ENJOY JUNKO BASEBALL
このブログは長い間更新がありません。
つなビィでは、5年以上ログインがないアカウントは削除される場合がございます。
削除を希望されない方はこちらよりログインをお試しください。
10月10日

10月10日

投げては矢のような送球、打ってはグランドスラム、呑んでは水を飲むようにお酒を流し込む、公私共に仲の良い大瀬裕太(商4 桐朋)から紹介を受けました川崎竜志(経4 慶應義塾志木 写真中央)です。

彼は僕に借りがあると思っているようですが、僕はそんな風には思っていません。
友情はプライスレスです。
困ったときはお互い様なので、その時に助けて貰えれば嬉しい限りです。


本日は法政戦第1戦目が行われ、本塾は4-8と負けを喫しました。リーグ戦優勝に向けて、明日の試合は絶対に勝たなければいけません。自分達にできることを1つ1つ積み重ねていきたいと思います。


さて、僕もみんなに倣って思いの丈を文章に綴ることでラストブログリレーを繋ぎたいと思います。少し長いですがどうかお付き合いを。


皆様ご存知の通り、僕はイップスでボールが思うように投げられません。野球を始めて14年のうち、現在に至るまでの7年間イップスと付き合ってきました。

高校時代には監督にボールをぶつけたこともありました。

イップスが治ったと思い入った準硬式野球部では入部早々に暴投し、怖い先輩に怒鳴られました。

そんな怖い先輩を見返そうと、日々練習して来ました。

その甲斐あってか、2年の秋リーグからは代走、バント要因としてベンチ入りを果たしてきました。

自分の役割を全う出来ることも出来ないこともありました。


ケガもたくさんしました。

故に、秋の定期戦も一回も出たことがありません。

ザッと振り返ればこんな感じです。


鮮明に思い出せば、「たられば」 な悔しい思いもたくさん蘇ります。

9回ツーアウトでの代走のあの場面でコケなければ、

ノーアウト1、2塁での代打バントで一塁側に転がしていれば、

肉離れさえしていなければ、

ボールを思うように投げることが出来れば、、、と。


嬉しいことももちろんありました。


怖い先輩からセーフティーバントを決めて出し抜いてやった時、


練習試合で初めて先発してツーバウンドながらもホームで捕殺出来た時、


特にリーグ戦で勝利の喜びを真近で共有できた時


は、このために生きてきたんだとさえ思えるくらい感動するものがありました。



こんな準硬式野球生活を送ってきた僕ですが、今猛烈に感じているのは、足が速くて良かった、走塁が上手くて良かったということです。


この足がなければ、試合に出ることはおろか、ベンチ入りすら出来ていません。

信じるか信じないかは、あなた次第ですが、僕は高校1年生の頃は、大脇(政4 慶應義塾志木)と肩を並べるくらい足が遅かったです。
高校野球で教わったトレーニングを毎日地道にやった結果、僕は足が速くなることが出来ました。過去の自分が頑張ったから、今の自分があるのです。

逆に、過去の自分の行動力の無さ故に7年間のイップス生活から抜け出す事が出来なかったのだと痛感しています。


こんな野球生活から学んだことを後輩たちに、こんな言葉で送ろうと思います。



『今が過去を作り、今が未来を変える。』



学生生活、色々な過ごし方があると思います。
麻雀やギャンブルに明け暮れるもよし、
合コンやバイトもよし、
ゼミで勉学に励むもよし。

しかしながら、このどれを取っても、野球グランドで味わえる勝利の喜びには及びません。

スタンドで味わうよりも、ベンチで味わう勝利は全然違います。
ベンチで味わう勝利よりも、グランドに立って味わう勝利は想像以上のものでしょう。

そんな喜びを後輩たちには追いかけてほしいと思います。


今何をすべきかを常に考えて、それを行動に起こしてほしいと思います。

過去は変えられませんが、今の自分の行動が未来を変えることはできます。

偉そうで申し訳ございませんが、僕の野球経験と人生の先輩からということで受け取っていただければ幸いです。


最後になってしまいましたが、こんなワガママで気分屋の自分と仲良くしてくれた同期には本当に感謝してもしきれない思いで一杯です。

特に中学からの仲である片井琳太郎(経4 慶應義塾志木 写真右)には、いつもキャッチボールに付き合って貰いました。本当にありがとう。

後輩たちもグランドを始め、餃子パーティーでも下準備でお世話になっております。

卒業された先輩たちにも、投げ方や飲み会でたくさんお世話になりました。

また、OB会には新しいマシンの資金援助、

父母の方々には遠路はるばるの試合観戦、

たくさんの人に支えられて、この準硬式野球部は成り立っていると思います。この場を借りて、感謝の意を示すと共に、ぜひ優勝して恩返ししたいです。


長々と語ってしまいましたが、ここらでラストブログのバトンを回したいと思います。


次のブログは花畑結衣(商4 慶應義塾湘南藤沢)が担当します。彼女とは、若かりし頃ドンパチやっていましたが、今となっては良い思い出です。
今はみんなのマドンナで最近美貌に磨きがかかっている彼女からの最後の思いに期待です。

“一瞬に生きる”

4年 川崎竜志
10月9日

10月9日

MAX145km/hのストレートと、落ちすぎてホームベースの遥か手前でワンバウンドするフォークボールを操るプロ注目の本格派右腕、近藤正崇(商4 慶應義塾湘南藤沢)より紹介を受けました大瀬裕太(商4 桐朋 写真中央)です。

思い起こせば彼がまだ野手だった頃、よく深夜まで室内練習場でマシン打撃を共にしました。今となっては遠い過去の記憶です。



さて、ラストブログということで書きたいことは多々あります。

私もここまでの皆の熱いブログ同様、同期・先輩・後輩への想いを書き連ねたいところではありますが、如何せん一人ひとりへの想い入れが強すぎます。


個人名を出していてはとても書き切れそうにないので、直接全員に伝えることにします。


ということで、直接お礼が言えない人への感謝の気持ちを書きつつ、月並みで恐縮ながら準硬式野球生活を振り返りたいと思います。




トミー=ジョン(Thomas Edward Jhon Jr., 1913-)と
フランク=ジョーブ(Frank Jobe, 1925-2014)。


皆さんはこの2人をご存知でしょうか?


両氏がいなければ私は今頃野球が出来ていないということを考えると、
2人は野球人生における私の命の恩人と言えるかも知れません。



1974年7月17日。


ドジャースの左腕、トミー=ジョンは左肘の内側側副靱帯を断裂する大怪我を負いました。

当時この故障はメジャーリーグで

「キャリア・エンディング・デンジャー」

と呼ばれ、同じ怪我をした投手達は皆引退を余儀なくされていました。

彼も再起を絶望視されていましたが、一縷の望みに賭けます。

チームドクターを務めていたフランク=ジョーブが考案した
「損傷した肘の靭帯を切除し、他の部分の正常な腱を移植する手術」
を受けたのです。

当時この手術の成功率は5%未満と言われましたが、2年間に及ぶリハビリを経てジョンは76年にメジャー復帰を果たします。

すると、この年に10勝を挙げカムバック賞を受賞。

その後も46歳で引退するまでに手術後だけで164勝(通算288勝)をマークし、
完全復活を遂げました。

以後、この手術は同投手の名をとって

「トミー・ジョン手術」

と呼ばれ、

メジャーだけでなく日本球界においても数多くの投手の選手生命を救ってきました。



一昨年の8月、私もこの手術を受けました。


長きに渡り変な投げ方をしてきたツケが回ってきたのでしょう、1年生の冬の自主練期間が明けてキャッチボールをしてみると、右肘にとんでもない激痛が走りました。

針を打ったり電気を流したり、
往復4時間かけて肘の権威に診てもらいに行ったり慈善活動をしたりと、
色々と試してみましたが、引き裂かれるような痛みは一向に引きません。

そうこうしているうちに、2年生の春リーグが終わってしまいました。

1年の秋リーグから試合に出させてもらっていた自分としては、この春こそはレギュラーを取ると意気込んで臨んだシーズンだっただけに、スタンドで応援している自分に無性に腹が立ちました。


「自分は何のために入部したんだ。このままでは何も出来ずに4年間が終わってしまう。」


そう思い、手術を受けることを決めました。




手術は無事成功。


しかし、
術後一カ月してギプスを外した際の、モヤシのように細くなり、全く曲げ伸ばしが効かなくなった右腕はまさにモヤシそのものでした。

あの時の落胆と絶望は今でも鮮明に覚えています。



あれから2年。

山あり谷ありでしたが、今は痛みもなくボールを投げ、バットを振ることが出来ています。


肘の怪我以来、それまでは綺麗事にしか聞こえなかった

「野球が出来ることの有難み」

を切実に身を持って感じております。

大好きな野球が出来ることに感謝しつつ、一昨年亡くなった故・フランク=ジョーブ氏への感謝と哀悼の意を胸に、残り少ない野球生活を全うする所存です。


以上、長々と拙い文章を失礼いたしました。



次回は、同じ外野手で苦楽を共にしてきた川崎竜志(経4 慶應義塾志木 写真左から2番目)に書いてもらいます。
写真は4年生の外野手の集合写真です。この4人のお陰で4年間頑張ってこれました。
特に彼には借りがあるので、いつか倍にして恩返しがしたいと思っています。

それでは、竜志よろしく。

耐雪梅花麗 経霜楓葉丹

4年 大瀬裕太
10月8日

10月8日

(昨日のブログリレーは、都合によりおやすみさせていただきました。申し訳ありません。)

こんばんは。

副将の松島(環4 山手学院)から紹介に預かりました投手の近藤正崇(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右から2番目)です。

彼は、1ヶ月前に怪我をしてしまい、一足先に引退したと囁かれています。
しかし、僕は、彼がトレーニングとリハビリに励み、来週には復帰してくれると信じてます。
そして、全力でアピールして僕らの代全員リーグ戦出場に繋げてもらいたいところです。

本日の試合は、法政大学多摩キャンパスグランドで行われる最後の試合の予定でしたが、雨で中止となりました。
あのグランドには、4年生全員が様々な思いをもっています。
僕もグランドについたときはいろいろな思いが込み上げてきました。

さて、僕にもラストブログの順番が回ってきました。
いつも静かに存在感を無くして生活しているのでひょっとしたら回って来ないのではないかと密かに思ってました。
回ってきたので、僕もすこし四年間の思い出を書かせて頂きます。

僕は、言語力(日本語、英語の両方)がとても欠如しているため、駄文になると思いますがすこしお付き合いください。

高校野球を引退したときは、大学になったら違うスポーツをやろうと決めていました。

しかし、日に日に野球をやりたいという気持ちが生まれてきて、春から準硬式野球部に入部することにしました。

しかし、ラストブログのトップバッターを務めました本多(経3 慶應義塾湘南藤沢)から、高校野球を引退後、「近藤だけは準硬式野球部に入らないで」と何回も言われるくらい犬猿の仲だったので、彼には相当恨まれていたと思います。

しかし、今では同じポジションで仲良くしております。

さて、野球の話に入りたいと思います。この四年間は、辛かったけどいろいろな面で1番成長できたのかなと思います。
僕は、一塁手として準硬式野球部に入部し、1年の秋から投手にコンバートしました。

その時に出会ったのが投手コーチをされていた曽根さんでした。曽根さんには、投手の様々なことを教えていただきました。
自主練習期間中、片道二時間もかけて日吉のグランドまで来てくださりピッチングを見てくださったりしました。

2年の時は、二人三脚のような感じで野球をしていました。
2年生の時にあれだけ成長することが出来たのは曽根さんのおかげだとおもっています。

しかし、3年の春に試合でワンバウンドしてミットに入るボールをなげ、

キャッチボールでは10メートルで暴投ばかりしていました。

イップスになってしまいました。

投手をやめるどころ野球をやめたいと半年以上毎日思っていました。

イップスになったときに野手に戻る選択肢もあったかもしれません。そしたらもっとはやくキャッチボールができていたかもしれません。
しかし、たくさんの時間をかけて指導して頂いた曽根さんに恩返しを込めてもう一度投げたいと思い、やめるという選択肢はありませんでした。
投げることはできませんでしたが、後悔はないです。

そして、この3年間デッドボールを当ててしまったひと申し訳ありません。

キャッチャー陣の方何度も叩いて申し訳ありません。

後輩の中には、近藤さん細かいことにうるさいだけでなにもしてないよって思ってるひともいるかもしれません。あと1週間で居なくなるのでもう少し我慢して下さい。

そろそろつぎの人の紹介に入りたいと思います。明日は、副将の大瀬裕太(商4 桐朋 写真左から2番目)に回したいとおもいます。
同期の商学部5人、大瀬、近藤、名田屋(商4 慶應義塾 写真左)、渡邊(商4 慶應義塾志木 写真右)、花畑(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真手前)で文武両道を四年間続けて参りました。

そのお陰もあり、無事5人とも卒業を決めることができました。
これも彼のゼミやクラスなど素晴らしい人脈のお陰だとおもっております。
とても人間関係を大切にするひとです。
彼から野球や部員に対する熱い思いを語ってもらいたいと思います。よろしく!

環境は人を変える。

4年 近藤正崇
10月6日

10月6日

こんばんは。貝持勇樹(経4 桜美林)から紹介預かりました、今年度副将を務めます松島優斗(環4 山手学院 写真中)です。


貝持は何に対してもこだわりが強く、ピッチングをする時にはある一つの筋肉が張っているだけで、目標としている球数の半分に至らなくても終了してしまいます。

その他にもグラブの重さ、普段履く革靴の重さ、部屋の温度、湿度、枕の種類…

少しの違いにこだわる研ぎすまされた野球センスは、みんながうらやむものだと思います。


そんな完璧主義な彼は心優しい人間です。

1ヶ月前、私が怪我をしてしまった時に、いち早く連絡をくれたのも彼でした。

「このまま帰って来ず引退とかやめてくれよ笑 ブルペンでも良いからもっかい組んで終わろうぜ?」

年齢には合わない若々しい絵文字付きのメッセージでした。


同時期に入部した3年前からずっと「バッテリーを組みたい」と言ってくれました。

大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

来週はきっと復帰します。

僕に球を受けてほしいピッチャーは、山ほどいますからね。
みんな、待っててね。


さて、冗談はこの程度にしておきまして
私はこの1年、副将を務めさせていただきました。


今では朝の顔になってしまった梅澤廉さん(H28卒)に、昨年の今頃、バッティングキャッチャーをしている際に言われました。

「来年、副将やるっしょ?」

(先日この発言についてお伺いしましたが、本人は覚えてらっしゃいませんでした。さすがです。)



考えてもいませんでした。

自分が大所帯の準硬式野球部で、そのような立場になることなんて。

そんなこんなで、結果的に副将に選んでいただきました。


正直、不安しかありませんでした。

ベンチ入りは経験したことがあったものの、リーグ戦に出場したことが一度も無いような選手が、チームの幹部になっていいのかな。と。



しかしある同期から、このようなことを言われました。

「この代を後輩から愛される代にしよう。後輩が付いてきてくれれば、自然にチームは強くなる。だからお前みたいなヤツが副将として、背中で引っ張ってほしい。」


そして、何かと葛藤する日々が始まりました。
覚悟はしておりました。

Bチームの中心となり、最上級生が数人しか居ない下級生中心の若いチームでの練習が続きました。
老害でしたね。申し訳ない。


そんなことを思ってでも、どの立場にいても、このチームで勝ちたい、

どんな形でも、チームの優勝に貢献したい。

さあ、これから優勝に向けて、一気に駆け上がろう!

と意気込んでいたちょうど1ヶ月前

練習中の不慮の事故で怪我をしてしまいました。

「なんで自分なんだろう」



新入生ばかりの雨上がりのグラウンド、一緒になって、最上級生1人で水抜きしたなぁ

だれも片付けない部室のゴミ箱片付けたし、汚い靴もちゃんと並べたなぁ

いやいや、善ポイント(2016年10月1日参照)とか関係なく、最後まで野球やらせてよ…


悔やんでも悔やみきれない日々が続いた自宅療養中、
小学生時代からつけ続けている野球ノートを見返しました。


すると、殴り書きの赤字でこう書いてありました。



野球の神様、俺に力をください。

あと一年、一年だけでいいから野球をさせてください。
野球が、大好きなんです。
お願いだからもう一年、野球やらせてください。
野球をさせてください。


高校2年生、椎間板ヘルニアで3ヶ月寝たきりになったときの記録でした。

ここで気がつきました。

あー。自分の学生野球は、本当だったら高校2年生で終わってたのか笑 、と


もう、本来だったら終わってる学生野球。
こんな体になっても続けられている。
幸運としか思えませんでした。


先輩方に恵まれました。

慶應で野球をするということは、こういうことか。と理解させていただきました。


後輩に恵まれました。

「今日ブルペンで受けてください!」と朝早くから言ってくれる後輩がいました。

朝練を毎日共にするも、すぐ待ち合わせ時間に遅刻してくる後輩がいました。

「一緒にリーグ戦に出ましょう!」と言ってくれる後輩もいました。



「キャッチャーから、チームを変えよう」

最上級生が私一人しかいないキャッチャー陣の後輩にも恵まれました。



鬼の監督補佐、山本裕哉(経4 慶應義塾)から逃げ回る子や

人生のほとんどをアメリカで暮らし、日本語がちょっと怪しい子。

今や外野手、主軸として大活躍のゴールデンルーキーや

実力よりも、体が横に成長してしまう子。

口を開けば飯おごれ、道具くれと、同じキャンパスに通う子や

僕が怪我をしている時に、励ましの一句を詠んでくれる心優しいキチガイ。

誰よりも声を出して、誰よりもガッツある偽善スマイルマシーン。


誰よりも練習いないし、いるのかいないのか分からないけど、レギュラークラスで野球がうまい子や、

誰よりも練習し、誰に対しても叱咤激励を欠かさない、「ちゃーす」とベストナインを獲ってしまう怪物。

みんなみんな、暴走しだすと止まらない、弟みたいに可愛いキャッチャー陣の後輩です。


練習メニューを考え、チームの為に朝から打って投げて…

あちこち痛い痛い言う彼らですが、学生スタッフがいなければ、チームの技術向上はありませんでした。


幹部になってから、彼女達の仕事の多さを知りました。そして驚きました。

膨大の仕事をこなすマネージャーなしではチームは成り立ちません。



そして、途中入部の僕を受け入れてくれた同期には感謝しきれません。
最高の同期達です。


最後の1年は椎間板ヘルニアが再発したり、足の靭帯を損傷したりと、練習を欠席せざるを得なかったことが多くありました。


身体的に家からグラウンドまでの道のりが辛かったです。

しかしやっとのことで部室に到着し、グラウンドに入ると、本当に気分が明るくなりました。

怪我をしている身に対し、心配もせず悪ふざけで、「ご老体」だの「もう引退だろ」だの「足短いな」だの、配慮の無い言葉を容赦なくかけてくるのも、同期でした。
良い代ですよ。



1年生の10月、入部前の自分に言ってあげたいです。

一つの目標、優勝に向かってこれほど真剣に取り組む、アツい仲間達がいるよ、と。

笑いが絶えない練習前後の部室での楽しい時間ももう終わりと考えると、寂しいものです。

同期はかけがえのない、宝物です。

学生野球を最後まで続けることが出来たのは、間違いなく同期のおかげです。

ありがとう。


あとは
このメンバーで、優勝したい。
それだけです。



後輩に愛される代になったかどうかは知る由もありません。

「この代が勝つ為に頑張りたい」と本気で思ってもらえる後輩が一人でも増えたのであれば、
私の副将としての役割は十分果たせたのかなと思います。

「あれ、お前そういえば副将だったな」とか、言わないでください。




さて、長々と語って参りました。
まだまだ思い出は尽きませんが、そろそろ近藤正崇(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)にうるさく突っ込まれるのでこの辺にしておきます。

面白いこと一つ書けなくて申し訳ありません。


彼もまた、チームの為に身を捧げている選手の一人です。
野手として入部しましたが、1年秋に投手に転向。

夏と冬の長期自主練期間は毎日のように彼の球を受けにブルペンに足を運びました。

日に日に球速が上がり、その豪速球で私のキャッチャーミットの紐を2本切ったのも、彼です(うち1本弁償済み)。


苦しんではいましたが、チームの為に自分がどのように行動すれば良いのか、常に考えることができる選手です。


凍って開かなくなってしまった部室の冷蔵庫と朝から大声で会話しているような、そんな明るくて声がデカい近藤にバトンを渡すことにしましょう。




自分らしく

4年 副将 松島優斗
10月5日

10月5日

こんにちは 高木健太郎(環4 刈谷)から紹介に預かりました貝持勇樹(経4 桜美林 写真右)です。

彼も私も「自由人」とありましたが、彼はやるべきことをしっかりと自分で考え、日々努力を積み重ねているように見えました。とりわけ筋力トレーニングに励み、鋼の肉体を作り上げていました。
かつて彼に影響され、一年で体重を丁度10kg増量できたこともありました。
ですが、やはり彼に比べれば”もやし”みたいなもんでした…。彼には敵いません。

彼から受けた影響はトレーニングに限りません。彼から多くのことを学びましたが、キーワードだけ言いますと例えば「省エネ」「効率」といったことです。

同じリーグ戦、同じ試合で投げ、同じく怪我で長期離脱し、そして復帰した仲です。
彼なしには成長もなければ復帰もなかったでしょう。昨年二人で秋リーグ戦に復帰登板できた時はとても嬉しかったことを覚えています。

さて、ここから拙い文章でつらつらと自分のラストブログを書かせて頂きます。
高木のように哲学的なものは自分にはないので至って普通に書きます。しばしお付き合いください。

<秋入部>
花牟礼航大(経4 慶應義塾)のブログに既出ですが、私は秋入部組で三年前のこの時期にはまだ入部していません。

もとは理工学部体育会軟式野球部に所属していました。

大学入学時は手元に野球道具がなかったので野球はやらない予定でした。

1か月ほどサークル活動をしていましたが、高校のように大きな目標に向かって励む感じがあまりなく、「これでいいのだろうか」と思っていたところクラスメイトにリコタイ(理工学部体育会)に誘われ体験で行き、野球の楽しさを思い出し野球を再開しました。
そして、リコタイで野球をやるうちに高校野球部時代に肩肘の怪我で満足にやりきれずに引退してしまった悔しさがよみがえってきました。

準硬式野球部に入部した理由を言うために、少し昔話をします。

〜昔話〜
高校一年秋、紅白戦で好投するも、その直後の練習で肩を痛め、その後一年程不調に苦しみました。
スリークウォーターからサイドスローに転向したのもその時期です。
最後の冬でタイヤトレーニングやランニングメニューに励むことで、下半身が太くなり、足で土を掴むような感覚も身に付きました。
そして、球威が増し、最後の年は行けるかもと思ったのも束の間、年明け三日くらいで腰を痛め、さらに肘を痛め投げられなくなりました。

三年夏前の練習試合で3連投し、一年秋以来の好投をすることができました。
ここで夏の大会で投げたとなればいいのですが、やはり押しきれないのが自分で、
この直後肘の変形もあり選手の道を諦めざるを得ませんでした。

高校三年間で成長の感覚を掴みつつも結果に残せなかった、やりきれなかった悔しさを思い出したのと同時に、

「もし、もう一度成長できたらどんな結果を残せるのだろうか」

と思い、甲子園出場選手が他大に沢山いる準硬式野球部に移りました。

<やっぱり怪我>

入部しての事はご存知の方も多いと思いますので、簡単に書きますが、
2年春前に膝裏を怪我し、
2春のリーグ戦で肘を怪我し、
リーグ戦後の自主練習で肩を怪我し、
夏合宿初日靴を履くときに指の皮をめくり、
投球不可に陥りました。

膝、肘、指は時間と共に治っていきました。

しかし、肩がいつまでたっても治らない。

病院で関節唇損傷、腱盤不全断裂の二つを患っていることを知ったときは
「野球生命終わったかな」と思いました。

グラウンドに来ても、ランニングや体幹メニュー等しか出来ず、練習をブルペン付近から見守る日々が一年ほど続きました。

ですが、先輩・同期・後輩・コーチから励まされ、諦めずに頑張れました。「3年秋には復帰します」と監督に言ってその通りに実現出来たのは、周りの助けがあったからこそです。

<感謝>
これまで野球をやらせてくれた親、
怪我期間中に励ましてくれた先輩・同期・後輩、
競い合いながらも苦しいときは励まし合った投手陣、
もう一度ボールを投げさせてくれたトレーナー、担当医
には感謝してもしきれません。
ただ、その恩に結果で応えられなかったことが悔やまれます。これは僕の力不足です。申し訳ございません。

ただ、最後の学生生活において「感謝できる環境」に身を置けたことは幸せなことだなと感じています。

本当にありがとうございます。

今、チームは明治、立教、東大から勝ち点をとっています。残り法政、早稲田戦が残っていますが、慶應が優勝すると思っています。理屈ではなく、感覚ですが。

この慶應義塾準硬式野球部という最高のチームであれば、優勝出来ると信じています。必ず。

<次回のブログ>
次は捕手で副将の松島優斗(環4 山手学院 写真左)です。
私が一番ブルペンでボールを受けてもらった捕手であり、彼なしではリーグ戦での復帰は果たせなかったはずです。3年夏休みのブルペン、リーグ戦復帰の希望を持たせてくれました。

残念なのは、彼が試合に出ている期間は私が怪我をし、私が投げられている期間は彼が怪我をし、公式戦、OP戦どころか紅白戦、一ヶ所、BPでも組んだことがないということです。
肩をやったり、ぎっくり腰になったり、捻挫したりと彼も私のように怪我民です。

残り少ない日数、彼には妄言・妄想をやめ、リハビリに専念し来週には復帰してもらい、もう一度ピッチングを受けてもらいたいと思います。

短くまとめるはずでしたが、長文になってしまいました。失礼致しました。

塵も積もれば山となる

4年 貝持勇樹
10月4日

10月4日

こんばんは、先日福田(政4 埼玉県立春日部)に紹介されました、高木健太郎(環4 刈谷 写真右)です。

福田は数少ないトレーニーの共通言語で話せる友人であり、「最近アルコール足りてなくね?」の一言で、ゲリラ的に開催される飲みの常連で、日頃からお世話になっています。

彼の先日のブログには、私が日頃バットやボールを触っているような描写がありましたが、彼なりの優しさゆえの脚色ではないかと推察します。

ここ4、5年は、専らバーベルやダンベルと戯れ、日々を過ごしております。



準硬式野球部に入部した経緯や、
なんで部活動をほっぽり出して勝手に留学に行ったのか、
マルタ共和国ってどんな国なのか、
何で教師にならないのに教職を取っていたのか

等々の話題は、就職活動の面接で飽きるほど各社の人事の方に熱く語ってきました。

もう満足です。


ですから、この場をお借りして私が準硬式野球部を去るにあたり、遺言を残しておきたいと思い、乱文ではありますが、内容重視でつらつらと書かせていただこうと思います。

(後から読み直したら何を書いてるのか自分でも分からない文章になってしまいました。閲覧注意です。)



準硬式野球部に入る以前、私は不幸な人間であったと思います。

一言で言うとウジ虫みたいな人間でした。


今でも「高木ってどんなやつ?」とチームメイトに聞いたら、みんな口を揃えて「変なやつ」と答えると思います。それは今も昔も変わりません。今となっては、それでいいのです。それがいいのです。

でも準硬式野球部に入る前は、私はそんな「変な自分」が大嫌いでした。


以前の私は、他人に嫌われる勇気もなく、常に周囲の反応を窺って生きてきました。
今思い返せば、慶応義塾大学に進学を決めたのも、みんながいい大学だというから、羨ましがるから、という曖昧な理由であったと思います。

そんな私の価値観は紆余曲折あって、準硬式野球部に入部して、その中で様々な人に出会えたことで、180度変わりました。


準硬式野球部には、変な人間がいっぱいいました。

怪しいサプリメントを接種して、ひたすら上半身を鍛える先輩


中国の富裕層みたいな同期


東大を仮面受験して、飛び立っていった元同期


これまでの野球人生で見たこともない独特な投げ方をする同期


ひたすらバイトと筋トレと自主練をするストイックな人たち


何故か部室のゴミ箱に頭からダイブしている先輩


何故か鼻の穴にチューブわさびとチューブからしをダイブさせる先輩


レギュラーではなく、日銀総裁になると宣言して入部してきた人生の先輩


例を挙げたらきりがありません。


ここでは書けないような強烈に931(クサイ)飲み物を

「おい、これ誰か塩入れただろ!」

と言いながら飲み干していた先輩もいました。


そんな人たちと一緒になってわいわいやっているうちに、気付いたら幸せな日々を送ることができていました。

少しは部訓である「自ら思考して実践する。」という目標にも近づけたのではないかと誇らしい思いです。

格好良く言えば、私はそのような方々から私の生き方がいかに窮屈な生き方であったかを学び、他人の価値観の中で生きることをやめることができたのです。
しかし見方を変えれば、ちゃらんぽらんで、大変けしからんやつに映っていたかもしれません。


特に、突然休部をして留学に行ったときは、帰国後、部に残れるとは思っていませんでした。

恐らくこのような人間を受け入れてくれるほど柔軟性のある部は、準硬式野球部の他になかったのではないかと思います。

それでもこんな私を見捨てることなく愛し、時には憎んでくれた同期には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとう!



愛と憎しみで思い出したのですが、この世の中には三種類の人間がいると思います。


1. 自分のことを好きでいてくれる人間。


2. 自分のことを嫌っている人間


3. そして私に対して無関心な人間です。(ここではまだ出会ったことのない人も含まれます。)


所謂知人や友人と言えるような人のほとんどは1か2に分類できると思います。
私の場合、1と2の割合は半分半分でしょうか、この場合は半分の人間にも好かれていると捉えた方がよいのでしょうから、そうすることにします。

それでも、この人に自分は嫌われているのかな…と落ち込みそうになったときは、
いつもあることわざを思い出すようにしています。


「愛してその悪を知り、憎みてその善を知る」


中国の偉い人(同期のことではありません。)の言葉で、本来は
「人を愛しても、その人の欠点を認め、また、人を憎いと思っても、 その人の長所を認めるべきである」
という意味らしいですが、敢えてこの日本語通りに
「愛して初めてその人の悪いところを知り、憎んで初めてその人のよい所を知ることができる。」
と捉えるようにしています。

そうするといつも気持ちが楽になります。


イヤヨイヤヨも好きのうち


愛と憎しみは紙一重


いろいろ言い方はありますが


要は、なんだかんだ言っても俺のこと好きなんじゃね?

そもそも他人に嫌われない生き方などつまらない!

と思うようにしています。

好かれるということの反対は、無関心なことなのではないかと最近しみじみと感じます。


そんな風に思えるようになったのも、多様性を愛し、自分が苦しい時にも一緒になって苦しんでくれる最高の仲間に出会えたからです。

またその「多様性を許容に、固定観念を持つのではなく、独立心を持って思考できること」こそが、我が部の最大の強みではないかと思っているので、部内に、いい意味で変なやつがいるという多様性の流れを受け継いでいって欲しいと思います。

まあ後輩にも、グレーな奴、ベレーな奴を始め、変なやつは大勢いるので、そこのところは心配していませんが…


一人ひとりに直接感謝の言葉を言いたかったので、個人の名前は極力出しませんでした。


また、ほとんど野球のことを書きませんでしたが、皆さん察してください。
そういうことです。


それでも最高の仲間に出会えたと私は勝手に誇りに思っています。



次のブログは、同じ時期に怪我をして、文字通り苦楽を共にした貝持勇樹(経4 桜美林 写真左)にバトンを託したいと思います。

彼も私と同様に「自由人」でありますが、野球でも私生活でも、決めるところは決める男前です。

私が先発を任されていたときは、彼がリリーフで待機していてくれるおかげで、大変リラックスして投げることができました。

お互いに紆余曲折あり、それも今となっては懐かしい話です。

ただ、私がリリーフに誇りを持てるようになったのは、彼の存在が大きいです。

人生経験豊かな彼の野球人生を締めくくるブログは一読の価値ありです。
ご期待ください。



No pain, No gain!
胸肉食べる、ササミ食べる、卵もたくさん食べる。
自分は鶏の天敵ではないかと思ったことがある。  (「DNSスポーツサプリメント」公式アカウントより)


4年 高木健太郎
10月2日

10月2日

こんばんは。
スマホゲームで鍛えられた集中力を打席でも遺憾なく発揮し、ヒットを量産する渡邊勁介(商4 慶應義塾志木)より紹介を受けました、福田淳史(政4 埼玉県立春日部 写真左)です。

引退して彼の言う「善ポイント」を貯める必要が無くなった時、彼の行動、性格が激変してしまうのではないかと心配しております。

さて、本日は東大戦第2戦目が行われ、本塾が14-2で勝利致しました。私自身、昨日のブログでお膳立てしてもらった分、一振りで結果を残したかったのですが…。大きな声援に答えられず申し訳ありません。

私は他の同期から少し遅れて大学1年の5月に入部しました。
準硬式野球部の存在は入学以前から知っていました。
知っていながら入部することをためらっていました。

「通学に2時間以上かかるから」
「浪人のブランクがあるから」
などと理由を付けていましたが結局は、大学生活を野球に捧げる覚悟がありませんでした。

高校時代、野球と受験勉強に追われてきた分、大学では悠々自適に生活したいと思っている自分がいました。

野球に未練がなかった訳ではありません。

高校3年最後の夏の大会、勝てばベスト16、4対3の1点ビハインド、8回裏2アウト満塁。
この場面で私に打席が回ってきました。
結果は空振り三振。
チームもそのまま敗れ、私の高校野球は終わりました。

それからというもの、ふとした時に自分が三振した時の打席が頭の中で勝手にプレイバックされます。
夜寝る前、
単語帳を片手に電車に乗っている時、
プロ野球中継を見ている時。
そしてその度に、
「もし自分が打っていたら」
と勝手に試合の続きを想像してしまいます。

戻れない過去に囚われている自分が情けなく、その悔しさを晴らしたいと思っていました。

しかし一歩踏み出すことが出来ませんでした。
野球の他に打ち込める「何か」を模索していました。

「浪人してまで大学に入ったのなら勉強に打ち込もう!」
スペイン語インテンシブクラスを受講したり。

「今まで全く縁がなかった世界に足をふみ入れよう!」
スローフードサークルに顔を出し、野菜を収穫したりしていました。本当です。

そんな大学生活を1ヶ月程、過ごしました。結局、野球のほかに打ち込めるものはありませんでした。

「人は二択の選択肢を迫られた時、50:50で迷うことはほとんど無い。大抵どちらかに気持ちが傾いていてそれを後押ししてもらいたくて一人で悩んだり、誰かに相談する。」

これは予備校に通っていた時にお世話になった講師の言葉です。まさにその通りでした。
腹の中では気持ちは決まっていました。
もしかしたら決断を後押ししてくれる人を待っていたのかもしれません。

「ここで一歩踏み出せなかったら今後の人生で後悔するときが必ず来る。」

そんな気がしました。やっと覚悟が出来ました。

入部したものの現実は厳しかったです。

大学1年生のうちは5時の始発電車で練習に行く日々が続きました。試合会場によっては3時間かかる所もありました。毎日が小旅行です。

大学2年からは一人暮らしを始めました。通学時間と引き換えに生活費を稼ぐため、ひたすら蕎麦屋で蕎麦を茹で、天ぷらを揚げました。

「よくそんな生活を続けていられるね」

周りの友人からはそう言われます。自分でもよく分かりません。ただ自分が考え抜いて出した答えがこの生活でした。

“0.083“

これは私の今春リーグ戦の打撃成績です。
今シーズン大きな期待を背負ってベイスターズにやってきたJ,ロマック選手よりも低い打率です。助っ人外国人ならば十中八九、戦力外です。「国へ帰れ」などとファンから野次が飛び交うこと間違いなしです。
しかし、こんな不甲斐ない私にも応援の声を掛けてくれる人が沢山います。

試合中、どんな場面でもお構いなしに「あつしー!」と大声で叫んでくる後輩。

メンバー選考のかかった紅白戦を前にして、
「活躍して一緒にベンチ入ろうぜ」
と帰り道、自転車を漕ぎながら声を掛けてくれる勁介(渡邊勁介 商4 慶應義塾志木)。
この言葉は善ポイント稼ぎではないと信じています。

同じく紅白戦前に「ヒット3本ね」と毎回、猛打賞を求めてくる裕哉(山本裕哉 経4 慶應義塾)。
下級生からは鬼コーチとして恐れられている彼ですが、私が試合で活躍するとは自分のことのように喜んでくれます。

今日の試合後、写真を取ろうと声をかけたところ「まだ福田さんがベンチ入ると思っているので」と突っぱねる大島(総3 桐朋)。
どんな言葉を掛けてくれるよりも嬉しいです。1、2年生は信じられないと思いますが、かつて一緒のポジションでノックを受けていたのが懐かしいです。

ここまで来ると、油科(環3 川和)、羽柴(商2 浅野)、杉浦(政2 慶應義塾)あたりが自分の出番はまだかと待ちくたびれているのが想像できますが、
書き出したら枠内に収まりそうにないので直接言うことにします。

準硬式野球部員だけではありません。

試合中、我を忘れ、慶應の応援方法も無視して、力の限り声援を送ってくれる熱い熱い応援指導部がいます。
試合後は「統率を乱した」として先輩部員からひどく怒られ落ち込んでいましたが。彼らのテクの上達と共に私たちも成長してきました。

男ばかりのスタンドに華を添え、優勝が懸かった法政戦の前にはサプライズで素敵な応援動画を送ってくれるチアリーディング部がいます。
彼女たちが来てくれる日に限って投打ともに好プレーが連発するのは気のせいではありません。

千葉から2時間3時間かけて応援に来てくれる両親がいます。私の出場時間は移動時間に比べれば米粒以下ですが、今日の試合も応援しに来てくれました。いいところを見せられず、申し訳ないです。


苦しいことはいくらでもありました。
でも、このように沢山の人たちの応援に支えられてここまで来れました。

あの時、一歩踏み出すことが出来たから

大好きな野球にまた打ち込むことが出来ました。

それを全力で応援してくれる人たちに出会いました。

自分自身が様々な人に支えられていることに気が付きました。

その支えが文字通り「有り難い」ものであることが分かりました。

もう過去には囚われません。

残された日々を一人の野球人として全力で駆け抜けたいと思います。
優勝したいです。

次回のブログは高木健太郎(環4 愛知県立刈谷 写真右)に託します。
彼はなにかと「規格外」な男です。
ボールを投げれば圧倒的なパワーで打者を圧倒し、
バットを持てばベンチまで聞こえてくるスイングスピードで打球は遥か上空へ。
マイクを握ればHYの「366日」を完璧に歌いこなし、
日本の教育について語らせれば、永遠と持論を展開します。
もうめちゃくちゃです。そんな彼の熱いブログに注目です!

愛してくれてありがとう。

4年 福田淳史
10月1日

10月1日

こんばんは、ご紹介預かりました外野チーフの渡邊勁介(商4 慶應義塾志木)です。

ぽいや(片井琳太郎、経4 慶應義塾志木)とは
高校からの仲であり、埼玉県民であり、現在日吉民でもあり、本当に付き合いが長いです。彼が料理を振る舞う会(ぽいや会)ではお世話になっています。
5年後、10年後、20年後も開催するので、後輩達の参加待っています。笑

本日はリーグ戦VS東大の初戦で、応援指導部やチアのおかげもあり、15-0の7回コールドで見事勝利を収めました。17安打の猛攻と、1安打に抑えた猪砂主将(政4 立命館宇治)の鬼がかったピッチング。
試合後主将は「ノーヒットノーランは法政戦に取っておくわ」と言っていたので、ぜひ期待しましょう!

そして何と言っても7回二死、投手交代時の正幸コールには目頭が熱くなりました。

正幸(経3 慶應義塾湘南藤沢)と自主練で何度対戦したことか……

正幸の肉離れを何度見たことか……

今まで結果が出なくてもひたむきに努力し、それを1球に込めて打者をねじ伏せたピッチング。

文章では表せないものがあの場にはありました。

明日も1点ずつ取っていき点差を広げて、他の4年生にもチャンスを繋いでいきたいと思います。

さて、僕も野球生活を振り返ってみて色々と書きたいことがあるので、非常に長く拙い文章になるかと思いますが、最後までお付き合いよろしくお願いいたします。

とは言っても、2年から代打で出始め、3年でレギュラーとなり、4年で主軸。

できすぎています。運9割でここまで来ました。

リーグ戦は特に運ゲーだと思います。
代打は1打席しかなく、フル出場でも50打席ぐらいですから。

この野球という運ゲーを攻略する方法を振り返ってみて3つぐらい見つけたのでそれを伝えたいと思います。(上から目線になりますがご了承ください)

1つ目は努力です。
当たり前のことですが、まずは自分のステータスアップ。

努力というレベル上げで僕が特に意識したことは「人から意見を聞きまくる」です。

同期でもいい、先輩でも後輩でも。

特に急に調子が上がった人、打撃フォームが独特な人などが狙い目です。

ジョブチェンジみたいなもので、大胆に変えて、試行錯誤して、メモして。それを繰り返して、どんどん挑戦してください。

2つ目は準備です。

これは僕がリーグ戦初打席で走者一掃のスリーベースを打った時に大きく感じました。

この時、投手に合わせてバットを疲れるくらい振りました。

そして立った初打席、初球低めのボール球

投手と合わせて振りまくったことで投手とシンクロし完璧にタイミングが合いました。

タイミングが合えば、あとは何かが起きます。

先日の立教戦で、春リーグ首位打者の福田選手(春リーグ58.6pt)も攻撃中バットを鬼振っていました。

スイング軌道の確認や、タイミング合わせなど

良い時のスイングの軌道を自分で把握することも大切です。

その準備をするだけで確率は全然違ってくると思います。

3つ目は『善ポイント』です。

これは僕が弊部で生み出した言葉で、善い行いをすれば善ポイントが溜まり、甘い球が来たり、ポテンヒットになったりなど……

リーグ戦で苦しんでいた僕が塚本さん(H28卒)の善い行いを目の当たりにして「これだ!」と思い、意識してきたことです。

打席には運要素しかないので、グラウンドのゴミを拾ったり道具を綺麗に並べたり、私生活でもお年寄りに席を譲ったりなどして善ポイントを溜めましょう!

神様は見ています、気付いたら行動するのが大切です。

私事ですが僕は昨日、お年寄りの方に道案内をしました。
それが今日の猛打賞の大きな要因だと誰も知ることはなかった……

以上が後輩に伝えたいことです。

まだ続きます、運でここまで来たのは嘘です、色々な仲間に支えられて来ました。(お決まりのやつ)

最高の仲間4年同期をはじめ、

僕からMr.怪我人の称号を奪い取った富田(経3 桐朋)、

Twitterのバイオグラフィーにプロ野球選手と並べて「渡邊勁介」と書く五島(経2 慶應義塾湘南藤沢)、

それを真似する静岡の怪物鈴木貴(文3 清水東)、

ここまでヒットを量産してくれた相棒スカイビート31K(バット)、

そんな相棒に派手に傷をつけた頼れる4番大島(総3 桐朋)、

そんな大島に引導を渡そうとしている未来の4番石渡元就(秘密兵器)(経2 多摩大目黒)……

キリがないです。

そして試合後の打った打たなかった関係なく絡んでくれる選手。
実はこれが一番の楽しみです。

また、肩に激痛が走っていた暗黒時代に守備練習で代わりに守ってくれた名田屋(商4 慶應義塾)、片井(経4 慶應義塾志木)、岡村(経4 慶應義塾)には本当に感謝しています。

最後に謝罪しなければいけないこともあります。

4年で迎えた関東大会の駒澤戦、春リーグ立教戦。敗戦を喫したこの2戦で僕は怪我で試合に欠場しました。

気迫のピッチングで打者を抑え援護を待っていた投手陣、練習をマネジメントしてくれた学生コーチ陣、サポートしてくれたマネージャー、スタンドで応援してくれた選手……

もし出場できていたらという思いがずっと心に引っかかっています。

全日本大会の懸かった試合で貢献できなくて本当にすみませんでした。

ですが今秋は突っ走ります。

怪我はもうしません。

怪我しても出続けます。

悔し涙はもういらない。

勝って終わろう。

勝利の喜びを分かち合おう!

熱くなってしまいましたがこれで終わらせていただきます。

明日のブログはみんなから愛されている「ATSUSHI」こと福田淳史(政4 埼玉県立春日部 写真)です。
この写真は僕と淳史が愛してやまない漫画ONE PIECEのゾロ対Mr.1のワンシーンを再現しました。
彼はベイスターズがCSに出場して絶好調であるので、この写真の一刀流居合“獅子歌歌”のような鋭い一振りで明日の東大戦活躍してくれることでしょう。注目です!

背中の1は飛躍の糧だ

4年 渡邊勁介
9月30日

9月30日

こんにちは。
本日のブログを担当させていただきます片井琳太郎(経4 慶應義塾志木)です。


散々書かれていますが女子会、やりません。あげぽよ〜、言った記憶がございません。大脇くん(政4 慶應義塾志木)には困ったものです。『コラージュ禁止。野球してる写真』とあれほど言ったのにも関わらず、私の若き頃のコラージュ写真を載せやがりました。もうむちゃくちゃです。


そんな大脇くんですが実は高校からの親友であり非常に優しい同期です。入部当初、まだ打ち解けていない同期の中、彼は私を指差しこう言いました。


『こいつゲイ(キャラ)だから。』


引いた目で見る同期。ニヤニヤする大脇。この時はまだ冗談で終わると思っていました。
終わりませんでした。
イギリスからやってきた一つ下の櫻井(経3 Dwight School London)は夏合宿まで本気で信じていたとか。あらぬことを吹き込むのはやめて欲しいと思います。



さて、ラストブログが回ってきました。昨年卒業された先輩方のブログを読んでいたのがつい先日のように感じます。
何を書こうかなと考えているうちに自分の順番となってしまったので、いま頭にあることを書き連ねていこうと思います。


13年間野球を続けてきました。小学校3年生からです。これだけ長い時間続けた野球ですが、私が今感じている思いを一言で表すならば、『悔しさ』です。


小学校では補欠。中学ではレギュラーをとるもチームは初戦負け。高校では最後の夏に怪我で引退。
野球はもうやらないかな、なんて思っていましたが、先輩に誘われ高校3年生の秋に早稲田戦を観戦し、その場で野球を続けること、準硬式への入部を決心しました。


入部したのはいいもの、なかなか治らない肩、少し投げれると思ったら今度は肘を痛め、2年間は思うようにボールを投げられませんでした。


それならばバッティング!
と意気込んだところ、奇跡的に早稲田との練習試合でグランドスラムを打てたため、ベンチに入り代打として起用されるようになりました。
しかし輝かしい結果を残した訳でもなく。。。
あそこで一本打っていれば、、、、
なんて場面がたくさんあります。


早稲田戦、2.3塁のチャンスを遊直併殺打。
2塁走者がベースに戻れずアウトになる場面は今でも思い浮かびます。


立教戦、僅差で追いかける試合、先頭三球三振。
あまりにも一瞬でアウトをとられたため、応援指導部の『かっとばせかっとばせー』を聞きながらベンチへと戻りました。


せっかくスタメン出場した新人戦では、小野の飛球を万歳、春の東大戦では私だけが2タコをくらい、涙の途中交代。


まだまだありますが、長くなるので割愛します。このように未だ公式戦ノーヒット。パッとした結果は残せず、1シーズン通してベンチには入り続けたこともありません。


チャンスをもらいつつ活かせなかった私は

相変わらずここ一番に弱い。と同期に言われ

また三球三振っすか。と後輩に笑われ

もうベンチ入らないっしょ。とまで話されていました。

言われても仕方ないのです。結果がないから何も言い返せません。
でもクソ悔しいです。腸が煮えくってます。


あと2カード(東大戦はベンチには入れませんでした)で見返します。次こそチャンスを掴みます。


さて、ここまで書いて一息ついて、あれ、自分のことしか書いてないじゃんと思ってしまいました。
しかも悔しいとか、周りにバカにされてる話してるけど、本当に準硬式野球部で良かったの?
なんて思われそうですが、そんなことはありません、最高です。


学年の垣根を越えて接してくる個性豊かな後輩達、一緒に練習し、鍋をつつき、餃子をつつみ、最高に楽しかったです。


些細なことからなんでも相談に乗っていただいた先輩、こんな箸にも棒にも引っかからないような私にも、試合応援に来るたびに声をかけていただいてとても嬉しかったです。


雨の日も晴れの日も支えてくれたマネージャー、嫌な顔一つしないで氷を巻いてくれたり、臭い倉庫でボールを仕分けしてくれたり、本当に感謝しています。


そして、なにもかもつつぬけでかけがえのない同期。いじられた数とつけられたあだ名は数知れず。何かするたびに笑われてきましたが、そのおかげで辛いことも乗り越えられのは事実です。



私はこの準硬式野球部が大好きです。学生最後のチームがこの部で良かったと思います。
そして、4年最後のリーグ戦、絶対優勝します。集大成の結果。見せつけます。



長くなりましたが、これで僕のブログは終わりにします。駄文、散文、読みづらいところ多々あると思いますがご容赦ください。



大脇→片井ときたので、そのまま志木高でバトンを渡したいと思います。
明日のブログは渡邊勁介(商4 慶應義塾志木 写真)にお願いします。
今や東京六大学に名を轟かすプレーヤーとなりました。振ればヒット、出塁すれば盗塁、あっと言う間にホームへ帰ってくる。チームの頼れる3番です。ラストブログにどんな言葉を綴ってくれるのでしょうか。楽しみにしましょう。


臥薪嘗胆

4年 片井琳太郎
9月29日

9月29日

こんにちは。

準硬式野球部の元気印こと吉野元(経4 慶應義塾)から紹介を受けました、大脇拓仁(政4 慶應義塾志木)です。

紹介にもあったとおり、現在絶賛肉体改造中でございます。3週間で5キロ減量し、体脂肪率も4パーセント落としました。脇ZAPへの入会、喜んで受け付けますので、みなさん僕と一緒に美ボディを目指しましょう。

本日の練習は、今週末に控える東大戦に向けて実践練習を中心に行われました。一つ一つのプレーに細かい声が飛び交い、部員の意識が高まっているのをひしひしと感じます。

日吉台球場でこのメンバーで集まって練習ができるのも、残り9日だそうです。
はやいもんですね。

個性豊かな同期や後輩達とボールを追いかけることができなくなると思うと目頭が熱くなる反面、

一部の凶悪な後輩と離れられるという妙な高揚感もあり、複雑な心境であります。

最後なので少し真面目な話をします。「いつもヘラヘラしてるくせに調子にのるな大脇。」という有賀さん(商3 慶應義塾湘南藤沢)の声が聞こえてきますが無視します。ごめんなさい。許してください。

人は弱い生き物だと思います。
僕なんてめちゃくちゃ弱いです。
肩も弱いしノックの打球も弱いです。
メンタルも弱いです。
これまでの人生で何度も落ち込み、萎え、潰れかけてきました。

しかし、こんな弱い人間でも強さを手に入れる瞬間が今までに何度もありました。

それは、
「人に支えられていることを知った時」です。

特に去年まで一緒にプレーしていた先輩方には本当に支えられてきました。

結果が出ないときに、何気なく声をかけてくれる先輩。

毎朝練習に誘ってくれる先輩。

グラウンドの外でもいろんな相談に乗ってもらっています。今日もこれからお世話になってきます。本当にありがとうございました。

先輩だけではありません。

個性豊かな同期。

えげつないくらいイジられることもありましたが、それも支えだったとごり押しておきます。

学年の壁をぶち壊しコミュニケーションをとってくれる後輩たち。
ときには厳しい声をかけてくれ、飯に連れて行けと脅され、「打ちましょう!」と笑顔で誘ってくれたのも、全てが僕の支えでした。

部員だけでなく、グラウンドの外から「がんばって」と応援してもらえることも支えでした。

こうして、色々な人の支えに気づいた僕は、学生コーチになることを決めました。

僕の野球の能力なんて、たかが知れてます。
それだったら、僕が今まで支えられてきたみたいに自然と誰かの支えになるような存在になりたいと思ったからです。
この短い期間でそんな存在になれているのかは分かりませんが、一箇所バッティングやフリーバッティングのピッチャーを務めることで、肩をあまり使いたがらないピッチャー陣の支えになっていることは胸を張って言えます。

大切なものは失ってから気付く。なんてよく言いますが、準硬式野球部を引退する前に、人の支えに気付けた僕は本当に充実した日々を送れています。
幸せです。引退したくないです。


ちっちゃなことでもいいから、俺って支えられてるんだなぁってことを見つけてみてください。
なんとなく気持ちが楽になって、楽しくなって、周りのみんなのことが好きになってくるはずです。

大脇さんいつもバッピしてくれてるなぁ、ありがたいなぁ、そんな気持ちを待っています。

ではこんなところで、バトンを渡したいと思います。次回のブログは毎度おなじみ片井琳太郎(経4 慶應義塾志木 写真)にお願いします。
好きな言葉は女子会、口癖は「あげぽよ〜」の彼の奇抜なブログに期待してください!!!

無くせない夢ならば、無くす程の覚悟で。


4年 大脇拓仁
NEW ENTRIES
ブログのサイトを移転致します。(01.28)
12月15日(12.15)
12月14日(12.14)
12月13日(12.13)
12月12日(12.12)
12月11日(12.11)
12月9日(12.09)
12月8日(12.08)
12月7日(12.07)
12月5日(12.05)
ARCHIVES
LINKS
RSS
RSS