10月8日
(昨日のブログリレーは、都合によりおやすみさせていただきました。申し訳ありません。)
こんばんは。
副将の松島(環4 山手学院)から紹介に預かりました投手の近藤正崇(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右から2番目)です。
彼は、1ヶ月前に怪我をしてしまい、一足先に引退したと囁かれています。
しかし、僕は、彼がトレーニングとリハビリに励み、来週には復帰してくれると信じてます。
そして、全力でアピールして僕らの代全員リーグ戦出場に繋げてもらいたいところです。
本日の試合は、法政大学多摩キャンパスグランドで行われる最後の試合の予定でしたが、雨で中止となりました。
あのグランドには、4年生全員が様々な思いをもっています。
僕もグランドについたときはいろいろな思いが込み上げてきました。
さて、僕にもラストブログの順番が回ってきました。
いつも静かに存在感を無くして生活しているのでひょっとしたら回って来ないのではないかと密かに思ってました。
回ってきたので、僕もすこし四年間の思い出を書かせて頂きます。
僕は、言語力(日本語、英語の両方)がとても欠如しているため、駄文になると思いますがすこしお付き合いください。
高校野球を引退したときは、大学になったら違うスポーツをやろうと決めていました。
しかし、日に日に野球をやりたいという気持ちが生まれてきて、春から準硬式野球部に入部することにしました。
しかし、ラストブログのトップバッターを務めました本多(経3 慶應義塾湘南藤沢)から、高校野球を引退後、「近藤だけは準硬式野球部に入らないで」と何回も言われるくらい犬猿の仲だったので、彼には相当恨まれていたと思います。
しかし、今では同じポジションで仲良くしております。
さて、野球の話に入りたいと思います。この四年間は、辛かったけどいろいろな面で1番成長できたのかなと思います。
僕は、一塁手として準硬式野球部に入部し、1年の秋から投手にコンバートしました。
その時に出会ったのが投手コーチをされていた曽根さんでした。曽根さんには、投手の様々なことを教えていただきました。
自主練習期間中、片道二時間もかけて日吉のグランドまで来てくださりピッチングを見てくださったりしました。
2年の時は、二人三脚のような感じで野球をしていました。
2年生の時にあれだけ成長することが出来たのは曽根さんのおかげだとおもっています。
しかし、3年の春に試合でワンバウンドしてミットに入るボールをなげ、
キャッチボールでは10メートルで暴投ばかりしていました。
イップスになってしまいました。
投手をやめるどころ野球をやめたいと半年以上毎日思っていました。
イップスになったときに野手に戻る選択肢もあったかもしれません。そしたらもっとはやくキャッチボールができていたかもしれません。
しかし、たくさんの時間をかけて指導して頂いた曽根さんに恩返しを込めてもう一度投げたいと思い、やめるという選択肢はありませんでした。
投げることはできませんでしたが、後悔はないです。
そして、この3年間デッドボールを当ててしまったひと申し訳ありません。
キャッチャー陣の方何度も叩いて申し訳ありません。
後輩の中には、近藤さん細かいことにうるさいだけでなにもしてないよって思ってるひともいるかもしれません。あと1週間で居なくなるのでもう少し我慢して下さい。
そろそろつぎの人の紹介に入りたいと思います。明日は、副将の大瀬裕太(商4 桐朋 写真左から2番目)に回したいとおもいます。
同期の商学部5人、大瀬、近藤、名田屋(商4 慶應義塾 写真左)、渡邊(商4 慶應義塾志木 写真右)、花畑(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真手前)で文武両道を四年間続けて参りました。
そのお陰もあり、無事5人とも卒業を決めることができました。
これも彼のゼミやクラスなど素晴らしい人脈のお陰だとおもっております。
とても人間関係を大切にするひとです。
彼から野球や部員に対する熱い思いを語ってもらいたいと思います。よろしく!
環境は人を変える。
4年 近藤正崇
こんばんは。
副将の松島(環4 山手学院)から紹介に預かりました投手の近藤正崇(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右から2番目)です。
彼は、1ヶ月前に怪我をしてしまい、一足先に引退したと囁かれています。
しかし、僕は、彼がトレーニングとリハビリに励み、来週には復帰してくれると信じてます。
そして、全力でアピールして僕らの代全員リーグ戦出場に繋げてもらいたいところです。
本日の試合は、法政大学多摩キャンパスグランドで行われる最後の試合の予定でしたが、雨で中止となりました。
あのグランドには、4年生全員が様々な思いをもっています。
僕もグランドについたときはいろいろな思いが込み上げてきました。
さて、僕にもラストブログの順番が回ってきました。
いつも静かに存在感を無くして生活しているのでひょっとしたら回って来ないのではないかと密かに思ってました。
回ってきたので、僕もすこし四年間の思い出を書かせて頂きます。
僕は、言語力(日本語、英語の両方)がとても欠如しているため、駄文になると思いますがすこしお付き合いください。
高校野球を引退したときは、大学になったら違うスポーツをやろうと決めていました。
しかし、日に日に野球をやりたいという気持ちが生まれてきて、春から準硬式野球部に入部することにしました。
しかし、ラストブログのトップバッターを務めました本多(経3 慶應義塾湘南藤沢)から、高校野球を引退後、「近藤だけは準硬式野球部に入らないで」と何回も言われるくらい犬猿の仲だったので、彼には相当恨まれていたと思います。
しかし、今では同じポジションで仲良くしております。
さて、野球の話に入りたいと思います。この四年間は、辛かったけどいろいろな面で1番成長できたのかなと思います。
僕は、一塁手として準硬式野球部に入部し、1年の秋から投手にコンバートしました。
その時に出会ったのが投手コーチをされていた曽根さんでした。曽根さんには、投手の様々なことを教えていただきました。
自主練習期間中、片道二時間もかけて日吉のグランドまで来てくださりピッチングを見てくださったりしました。
2年の時は、二人三脚のような感じで野球をしていました。
2年生の時にあれだけ成長することが出来たのは曽根さんのおかげだとおもっています。
しかし、3年の春に試合でワンバウンドしてミットに入るボールをなげ、
キャッチボールでは10メートルで暴投ばかりしていました。
イップスになってしまいました。
投手をやめるどころ野球をやめたいと半年以上毎日思っていました。
イップスになったときに野手に戻る選択肢もあったかもしれません。そしたらもっとはやくキャッチボールができていたかもしれません。
しかし、たくさんの時間をかけて指導して頂いた曽根さんに恩返しを込めてもう一度投げたいと思い、やめるという選択肢はありませんでした。
投げることはできませんでしたが、後悔はないです。
そして、この3年間デッドボールを当ててしまったひと申し訳ありません。
キャッチャー陣の方何度も叩いて申し訳ありません。
後輩の中には、近藤さん細かいことにうるさいだけでなにもしてないよって思ってるひともいるかもしれません。あと1週間で居なくなるのでもう少し我慢して下さい。
そろそろつぎの人の紹介に入りたいと思います。明日は、副将の大瀬裕太(商4 桐朋 写真左から2番目)に回したいとおもいます。
同期の商学部5人、大瀬、近藤、名田屋(商4 慶應義塾 写真左)、渡邊(商4 慶應義塾志木 写真右)、花畑(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真手前)で文武両道を四年間続けて参りました。
そのお陰もあり、無事5人とも卒業を決めることができました。
これも彼のゼミやクラスなど素晴らしい人脈のお陰だとおもっております。
とても人間関係を大切にするひとです。
彼から野球や部員に対する熱い思いを語ってもらいたいと思います。よろしく!
環境は人を変える。
4年 近藤正崇