10月6日

10月6日

こんばんは。貝持勇樹(経4 桜美林)から紹介預かりました、今年度副将を務めます松島優斗(環4 山手学院 写真中)です。


貝持は何に対してもこだわりが強く、ピッチングをする時にはある一つの筋肉が張っているだけで、目標としている球数の半分に至らなくても終了してしまいます。

その他にもグラブの重さ、普段履く革靴の重さ、部屋の温度、湿度、枕の種類…

少しの違いにこだわる研ぎすまされた野球センスは、みんながうらやむものだと思います。


そんな完璧主義な彼は心優しい人間です。

1ヶ月前、私が怪我をしてしまった時に、いち早く連絡をくれたのも彼でした。

「このまま帰って来ず引退とかやめてくれよ笑 ブルペンでも良いからもっかい組んで終わろうぜ?」

年齢には合わない若々しい絵文字付きのメッセージでした。


同時期に入部した3年前からずっと「バッテリーを組みたい」と言ってくれました。

大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

来週はきっと復帰します。

僕に球を受けてほしいピッチャーは、山ほどいますからね。
みんな、待っててね。


さて、冗談はこの程度にしておきまして
私はこの1年、副将を務めさせていただきました。


今では朝の顔になってしまった梅澤廉さん(H28卒)に、昨年の今頃、バッティングキャッチャーをしている際に言われました。

「来年、副将やるっしょ?」

(先日この発言についてお伺いしましたが、本人は覚えてらっしゃいませんでした。さすがです。)



考えてもいませんでした。

自分が大所帯の準硬式野球部で、そのような立場になることなんて。

そんなこんなで、結果的に副将に選んでいただきました。


正直、不安しかありませんでした。

ベンチ入りは経験したことがあったものの、リーグ戦に出場したことが一度も無いような選手が、チームの幹部になっていいのかな。と。



しかしある同期から、このようなことを言われました。

「この代を後輩から愛される代にしよう。後輩が付いてきてくれれば、自然にチームは強くなる。だからお前みたいなヤツが副将として、背中で引っ張ってほしい。」


そして、何かと葛藤する日々が始まりました。
覚悟はしておりました。

Bチームの中心となり、最上級生が数人しか居ない下級生中心の若いチームでの練習が続きました。
老害でしたね。申し訳ない。


そんなことを思ってでも、どの立場にいても、このチームで勝ちたい、

どんな形でも、チームの優勝に貢献したい。

さあ、これから優勝に向けて、一気に駆け上がろう!

と意気込んでいたちょうど1ヶ月前

練習中の不慮の事故で怪我をしてしまいました。

「なんで自分なんだろう」



新入生ばかりの雨上がりのグラウンド、一緒になって、最上級生1人で水抜きしたなぁ

だれも片付けない部室のゴミ箱片付けたし、汚い靴もちゃんと並べたなぁ

いやいや、善ポイント(2016年10月1日参照)とか関係なく、最後まで野球やらせてよ…


悔やんでも悔やみきれない日々が続いた自宅療養中、
小学生時代からつけ続けている野球ノートを見返しました。


すると、殴り書きの赤字でこう書いてありました。



野球の神様、俺に力をください。

あと一年、一年だけでいいから野球をさせてください。
野球が、大好きなんです。
お願いだからもう一年、野球やらせてください。
野球をさせてください。


高校2年生、椎間板ヘルニアで3ヶ月寝たきりになったときの記録でした。

ここで気がつきました。

あー。自分の学生野球は、本当だったら高校2年生で終わってたのか笑 、と


もう、本来だったら終わってる学生野球。
こんな体になっても続けられている。
幸運としか思えませんでした。


先輩方に恵まれました。

慶應で野球をするということは、こういうことか。と理解させていただきました。


後輩に恵まれました。

「今日ブルペンで受けてください!」と朝早くから言ってくれる後輩がいました。

朝練を毎日共にするも、すぐ待ち合わせ時間に遅刻してくる後輩がいました。

「一緒にリーグ戦に出ましょう!」と言ってくれる後輩もいました。



「キャッチャーから、チームを変えよう」

最上級生が私一人しかいないキャッチャー陣の後輩にも恵まれました。



鬼の監督補佐、山本裕哉(経4 慶應義塾)から逃げ回る子や

人生のほとんどをアメリカで暮らし、日本語がちょっと怪しい子。

今や外野手、主軸として大活躍のゴールデンルーキーや

実力よりも、体が横に成長してしまう子。

口を開けば飯おごれ、道具くれと、同じキャンパスに通う子や

僕が怪我をしている時に、励ましの一句を詠んでくれる心優しいキチガイ。

誰よりも声を出して、誰よりもガッツある偽善スマイルマシーン。


誰よりも練習いないし、いるのかいないのか分からないけど、レギュラークラスで野球がうまい子や、

誰よりも練習し、誰に対しても叱咤激励を欠かさない、「ちゃーす」とベストナインを獲ってしまう怪物。

みんなみんな、暴走しだすと止まらない、弟みたいに可愛いキャッチャー陣の後輩です。


練習メニューを考え、チームの為に朝から打って投げて…

あちこち痛い痛い言う彼らですが、学生スタッフがいなければ、チームの技術向上はありませんでした。


幹部になってから、彼女達の仕事の多さを知りました。そして驚きました。

膨大の仕事をこなすマネージャーなしではチームは成り立ちません。



そして、途中入部の僕を受け入れてくれた同期には感謝しきれません。
最高の同期達です。


最後の1年は椎間板ヘルニアが再発したり、足の靭帯を損傷したりと、練習を欠席せざるを得なかったことが多くありました。


身体的に家からグラウンドまでの道のりが辛かったです。

しかしやっとのことで部室に到着し、グラウンドに入ると、本当に気分が明るくなりました。

怪我をしている身に対し、心配もせず悪ふざけで、「ご老体」だの「もう引退だろ」だの「足短いな」だの、配慮の無い言葉を容赦なくかけてくるのも、同期でした。
良い代ですよ。



1年生の10月、入部前の自分に言ってあげたいです。

一つの目標、優勝に向かってこれほど真剣に取り組む、アツい仲間達がいるよ、と。

笑いが絶えない練習前後の部室での楽しい時間ももう終わりと考えると、寂しいものです。

同期はかけがえのない、宝物です。

学生野球を最後まで続けることが出来たのは、間違いなく同期のおかげです。

ありがとう。


あとは
このメンバーで、優勝したい。
それだけです。



後輩に愛される代になったかどうかは知る由もありません。

「この代が勝つ為に頑張りたい」と本気で思ってもらえる後輩が一人でも増えたのであれば、
私の副将としての役割は十分果たせたのかなと思います。

「あれ、お前そういえば副将だったな」とか、言わないでください。




さて、長々と語って参りました。
まだまだ思い出は尽きませんが、そろそろ近藤正崇(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)にうるさく突っ込まれるのでこの辺にしておきます。

面白いこと一つ書けなくて申し訳ありません。


彼もまた、チームの為に身を捧げている選手の一人です。
野手として入部しましたが、1年秋に投手に転向。

夏と冬の長期自主練期間は毎日のように彼の球を受けにブルペンに足を運びました。

日に日に球速が上がり、その豪速球で私のキャッチャーミットの紐を2本切ったのも、彼です(うち1本弁償済み)。


苦しんではいましたが、チームの為に自分がどのように行動すれば良いのか、常に考えることができる選手です。


凍って開かなくなってしまった部室の冷蔵庫と朝から大声で会話しているような、そんな明るくて声がデカい近藤にバトンを渡すことにしましょう。




自分らしく

4年 副将 松島優斗
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