10月2日
こんばんは。
スマホゲームで鍛えられた集中力を打席でも遺憾なく発揮し、ヒットを量産する渡邊勁介(商4 慶應義塾志木)より紹介を受けました、福田淳史(政4 埼玉県立春日部 写真左)です。
引退して彼の言う「善ポイント」を貯める必要が無くなった時、彼の行動、性格が激変してしまうのではないかと心配しております。
さて、本日は東大戦第2戦目が行われ、本塾が14-2で勝利致しました。私自身、昨日のブログでお膳立てしてもらった分、一振りで結果を残したかったのですが…。大きな声援に答えられず申し訳ありません。
私は他の同期から少し遅れて大学1年の5月に入部しました。
準硬式野球部の存在は入学以前から知っていました。
知っていながら入部することをためらっていました。
「通学に2時間以上かかるから」
「浪人のブランクがあるから」
などと理由を付けていましたが結局は、大学生活を野球に捧げる覚悟がありませんでした。
高校時代、野球と受験勉強に追われてきた分、大学では悠々自適に生活したいと思っている自分がいました。
野球に未練がなかった訳ではありません。
高校3年最後の夏の大会、勝てばベスト16、4対3の1点ビハインド、8回裏2アウト満塁。
この場面で私に打席が回ってきました。
結果は空振り三振。
チームもそのまま敗れ、私の高校野球は終わりました。
それからというもの、ふとした時に自分が三振した時の打席が頭の中で勝手にプレイバックされます。
夜寝る前、
単語帳を片手に電車に乗っている時、
プロ野球中継を見ている時。
そしてその度に、
「もし自分が打っていたら」
と勝手に試合の続きを想像してしまいます。
戻れない過去に囚われている自分が情けなく、その悔しさを晴らしたいと思っていました。
しかし一歩踏み出すことが出来ませんでした。
野球の他に打ち込める「何か」を模索していました。
「浪人してまで大学に入ったのなら勉強に打ち込もう!」
スペイン語インテンシブクラスを受講したり。
「今まで全く縁がなかった世界に足をふみ入れよう!」
スローフードサークルに顔を出し、野菜を収穫したりしていました。本当です。
そんな大学生活を1ヶ月程、過ごしました。結局、野球のほかに打ち込めるものはありませんでした。
「人は二択の選択肢を迫られた時、50:50で迷うことはほとんど無い。大抵どちらかに気持ちが傾いていてそれを後押ししてもらいたくて一人で悩んだり、誰かに相談する。」
これは予備校に通っていた時にお世話になった講師の言葉です。まさにその通りでした。
腹の中では気持ちは決まっていました。
もしかしたら決断を後押ししてくれる人を待っていたのかもしれません。
「ここで一歩踏み出せなかったら今後の人生で後悔するときが必ず来る。」
そんな気がしました。やっと覚悟が出来ました。
入部したものの現実は厳しかったです。
大学1年生のうちは5時の始発電車で練習に行く日々が続きました。試合会場によっては3時間かかる所もありました。毎日が小旅行です。
大学2年からは一人暮らしを始めました。通学時間と引き換えに生活費を稼ぐため、ひたすら蕎麦屋で蕎麦を茹で、天ぷらを揚げました。
「よくそんな生活を続けていられるね」
周りの友人からはそう言われます。自分でもよく分かりません。ただ自分が考え抜いて出した答えがこの生活でした。
“0.083“
これは私の今春リーグ戦の打撃成績です。
今シーズン大きな期待を背負ってベイスターズにやってきたJ,ロマック選手よりも低い打率です。助っ人外国人ならば十中八九、戦力外です。「国へ帰れ」などとファンから野次が飛び交うこと間違いなしです。
しかし、こんな不甲斐ない私にも応援の声を掛けてくれる人が沢山います。
試合中、どんな場面でもお構いなしに「あつしー!」と大声で叫んでくる後輩。
メンバー選考のかかった紅白戦を前にして、
「活躍して一緒にベンチ入ろうぜ」
と帰り道、自転車を漕ぎながら声を掛けてくれる勁介(渡邊勁介 商4 慶應義塾志木)。
この言葉は善ポイント稼ぎではないと信じています。
同じく紅白戦前に「ヒット3本ね」と毎回、猛打賞を求めてくる裕哉(山本裕哉 経4 慶應義塾)。
下級生からは鬼コーチとして恐れられている彼ですが、私が試合で活躍するとは自分のことのように喜んでくれます。
今日の試合後、写真を取ろうと声をかけたところ「まだ福田さんがベンチ入ると思っているので」と突っぱねる大島(総3 桐朋)。
どんな言葉を掛けてくれるよりも嬉しいです。1、2年生は信じられないと思いますが、かつて一緒のポジションでノックを受けていたのが懐かしいです。
ここまで来ると、油科(環3 川和)、羽柴(商2 浅野)、杉浦(政2 慶應義塾)あたりが自分の出番はまだかと待ちくたびれているのが想像できますが、
書き出したら枠内に収まりそうにないので直接言うことにします。
準硬式野球部員だけではありません。
試合中、我を忘れ、慶應の応援方法も無視して、力の限り声援を送ってくれる熱い熱い応援指導部がいます。
試合後は「統率を乱した」として先輩部員からひどく怒られ落ち込んでいましたが。彼らのテクの上達と共に私たちも成長してきました。
男ばかりのスタンドに華を添え、優勝が懸かった法政戦の前にはサプライズで素敵な応援動画を送ってくれるチアリーディング部がいます。
彼女たちが来てくれる日に限って投打ともに好プレーが連発するのは気のせいではありません。
千葉から2時間3時間かけて応援に来てくれる両親がいます。私の出場時間は移動時間に比べれば米粒以下ですが、今日の試合も応援しに来てくれました。いいところを見せられず、申し訳ないです。
苦しいことはいくらでもありました。
でも、このように沢山の人たちの応援に支えられてここまで来れました。
あの時、一歩踏み出すことが出来たから
大好きな野球にまた打ち込むことが出来ました。
それを全力で応援してくれる人たちに出会いました。
自分自身が様々な人に支えられていることに気が付きました。
その支えが文字通り「有り難い」ものであることが分かりました。
もう過去には囚われません。
残された日々を一人の野球人として全力で駆け抜けたいと思います。
優勝したいです。
次回のブログは高木健太郎(環4 愛知県立刈谷 写真右)に託します。
彼はなにかと「規格外」な男です。
ボールを投げれば圧倒的なパワーで打者を圧倒し、
バットを持てばベンチまで聞こえてくるスイングスピードで打球は遥か上空へ。
マイクを握ればHYの「366日」を完璧に歌いこなし、
日本の教育について語らせれば、永遠と持論を展開します。
もうめちゃくちゃです。そんな彼の熱いブログに注目です!
愛してくれてありがとう。
4年 福田淳史
スマホゲームで鍛えられた集中力を打席でも遺憾なく発揮し、ヒットを量産する渡邊勁介(商4 慶應義塾志木)より紹介を受けました、福田淳史(政4 埼玉県立春日部 写真左)です。
引退して彼の言う「善ポイント」を貯める必要が無くなった時、彼の行動、性格が激変してしまうのではないかと心配しております。
さて、本日は東大戦第2戦目が行われ、本塾が14-2で勝利致しました。私自身、昨日のブログでお膳立てしてもらった分、一振りで結果を残したかったのですが…。大きな声援に答えられず申し訳ありません。
私は他の同期から少し遅れて大学1年の5月に入部しました。
準硬式野球部の存在は入学以前から知っていました。
知っていながら入部することをためらっていました。
「通学に2時間以上かかるから」
「浪人のブランクがあるから」
などと理由を付けていましたが結局は、大学生活を野球に捧げる覚悟がありませんでした。
高校時代、野球と受験勉強に追われてきた分、大学では悠々自適に生活したいと思っている自分がいました。
野球に未練がなかった訳ではありません。
高校3年最後の夏の大会、勝てばベスト16、4対3の1点ビハインド、8回裏2アウト満塁。
この場面で私に打席が回ってきました。
結果は空振り三振。
チームもそのまま敗れ、私の高校野球は終わりました。
それからというもの、ふとした時に自分が三振した時の打席が頭の中で勝手にプレイバックされます。
夜寝る前、
単語帳を片手に電車に乗っている時、
プロ野球中継を見ている時。
そしてその度に、
「もし自分が打っていたら」
と勝手に試合の続きを想像してしまいます。
戻れない過去に囚われている自分が情けなく、その悔しさを晴らしたいと思っていました。
しかし一歩踏み出すことが出来ませんでした。
野球の他に打ち込める「何か」を模索していました。
「浪人してまで大学に入ったのなら勉強に打ち込もう!」
スペイン語インテンシブクラスを受講したり。
「今まで全く縁がなかった世界に足をふみ入れよう!」
スローフードサークルに顔を出し、野菜を収穫したりしていました。本当です。
そんな大学生活を1ヶ月程、過ごしました。結局、野球のほかに打ち込めるものはありませんでした。
「人は二択の選択肢を迫られた時、50:50で迷うことはほとんど無い。大抵どちらかに気持ちが傾いていてそれを後押ししてもらいたくて一人で悩んだり、誰かに相談する。」
これは予備校に通っていた時にお世話になった講師の言葉です。まさにその通りでした。
腹の中では気持ちは決まっていました。
もしかしたら決断を後押ししてくれる人を待っていたのかもしれません。
「ここで一歩踏み出せなかったら今後の人生で後悔するときが必ず来る。」
そんな気がしました。やっと覚悟が出来ました。
入部したものの現実は厳しかったです。
大学1年生のうちは5時の始発電車で練習に行く日々が続きました。試合会場によっては3時間かかる所もありました。毎日が小旅行です。
大学2年からは一人暮らしを始めました。通学時間と引き換えに生活費を稼ぐため、ひたすら蕎麦屋で蕎麦を茹で、天ぷらを揚げました。
「よくそんな生活を続けていられるね」
周りの友人からはそう言われます。自分でもよく分かりません。ただ自分が考え抜いて出した答えがこの生活でした。
“0.083“
これは私の今春リーグ戦の打撃成績です。
今シーズン大きな期待を背負ってベイスターズにやってきたJ,ロマック選手よりも低い打率です。助っ人外国人ならば十中八九、戦力外です。「国へ帰れ」などとファンから野次が飛び交うこと間違いなしです。
しかし、こんな不甲斐ない私にも応援の声を掛けてくれる人が沢山います。
試合中、どんな場面でもお構いなしに「あつしー!」と大声で叫んでくる後輩。
メンバー選考のかかった紅白戦を前にして、
「活躍して一緒にベンチ入ろうぜ」
と帰り道、自転車を漕ぎながら声を掛けてくれる勁介(渡邊勁介 商4 慶應義塾志木)。
この言葉は善ポイント稼ぎではないと信じています。
同じく紅白戦前に「ヒット3本ね」と毎回、猛打賞を求めてくる裕哉(山本裕哉 経4 慶應義塾)。
下級生からは鬼コーチとして恐れられている彼ですが、私が試合で活躍するとは自分のことのように喜んでくれます。
今日の試合後、写真を取ろうと声をかけたところ「まだ福田さんがベンチ入ると思っているので」と突っぱねる大島(総3 桐朋)。
どんな言葉を掛けてくれるよりも嬉しいです。1、2年生は信じられないと思いますが、かつて一緒のポジションでノックを受けていたのが懐かしいです。
ここまで来ると、油科(環3 川和)、羽柴(商2 浅野)、杉浦(政2 慶應義塾)あたりが自分の出番はまだかと待ちくたびれているのが想像できますが、
書き出したら枠内に収まりそうにないので直接言うことにします。
準硬式野球部員だけではありません。
試合中、我を忘れ、慶應の応援方法も無視して、力の限り声援を送ってくれる熱い熱い応援指導部がいます。
試合後は「統率を乱した」として先輩部員からひどく怒られ落ち込んでいましたが。彼らのテクの上達と共に私たちも成長してきました。
男ばかりのスタンドに華を添え、優勝が懸かった法政戦の前にはサプライズで素敵な応援動画を送ってくれるチアリーディング部がいます。
彼女たちが来てくれる日に限って投打ともに好プレーが連発するのは気のせいではありません。
千葉から2時間3時間かけて応援に来てくれる両親がいます。私の出場時間は移動時間に比べれば米粒以下ですが、今日の試合も応援しに来てくれました。いいところを見せられず、申し訳ないです。
苦しいことはいくらでもありました。
でも、このように沢山の人たちの応援に支えられてここまで来れました。
あの時、一歩踏み出すことが出来たから
大好きな野球にまた打ち込むことが出来ました。
それを全力で応援してくれる人たちに出会いました。
自分自身が様々な人に支えられていることに気が付きました。
その支えが文字通り「有り難い」ものであることが分かりました。
もう過去には囚われません。
残された日々を一人の野球人として全力で駆け抜けたいと思います。
優勝したいです。
次回のブログは高木健太郎(環4 愛知県立刈谷 写真右)に託します。
彼はなにかと「規格外」な男です。
ボールを投げれば圧倒的なパワーで打者を圧倒し、
バットを持てばベンチまで聞こえてくるスイングスピードで打球は遥か上空へ。
マイクを握ればHYの「366日」を完璧に歌いこなし、
日本の教育について語らせれば、永遠と持論を展開します。
もうめちゃくちゃです。そんな彼の熱いブログに注目です!
愛してくれてありがとう。
4年 福田淳史