10月4日
こんばんは、先日福田(政4 埼玉県立春日部)に紹介されました、高木健太郎(環4 刈谷 写真右)です。
福田は数少ないトレーニーの共通言語で話せる友人であり、「最近アルコール足りてなくね?」の一言で、ゲリラ的に開催される飲みの常連で、日頃からお世話になっています。
彼の先日のブログには、私が日頃バットやボールを触っているような描写がありましたが、彼なりの優しさゆえの脚色ではないかと推察します。
ここ4、5年は、専らバーベルやダンベルと戯れ、日々を過ごしております。
準硬式野球部に入部した経緯や、
なんで部活動をほっぽり出して勝手に留学に行ったのか、
マルタ共和国ってどんな国なのか、
何で教師にならないのに教職を取っていたのか
等々の話題は、就職活動の面接で飽きるほど各社の人事の方に熱く語ってきました。
もう満足です。
ですから、この場をお借りして私が準硬式野球部を去るにあたり、遺言を残しておきたいと思い、乱文ではありますが、内容重視でつらつらと書かせていただこうと思います。
(後から読み直したら何を書いてるのか自分でも分からない文章になってしまいました。閲覧注意です。)
準硬式野球部に入る以前、私は不幸な人間であったと思います。
一言で言うとウジ虫みたいな人間でした。
今でも「高木ってどんなやつ?」とチームメイトに聞いたら、みんな口を揃えて「変なやつ」と答えると思います。それは今も昔も変わりません。今となっては、それでいいのです。それがいいのです。
でも準硬式野球部に入る前は、私はそんな「変な自分」が大嫌いでした。
以前の私は、他人に嫌われる勇気もなく、常に周囲の反応を窺って生きてきました。
今思い返せば、慶応義塾大学に進学を決めたのも、みんながいい大学だというから、羨ましがるから、という曖昧な理由であったと思います。
そんな私の価値観は紆余曲折あって、準硬式野球部に入部して、その中で様々な人に出会えたことで、180度変わりました。
準硬式野球部には、変な人間がいっぱいいました。
怪しいサプリメントを接種して、ひたすら上半身を鍛える先輩
中国の富裕層みたいな同期
東大を仮面受験して、飛び立っていった元同期
これまでの野球人生で見たこともない独特な投げ方をする同期
ひたすらバイトと筋トレと自主練をするストイックな人たち
何故か部室のゴミ箱に頭からダイブしている先輩
何故か鼻の穴にチューブわさびとチューブからしをダイブさせる先輩
レギュラーではなく、日銀総裁になると宣言して入部してきた人生の先輩
例を挙げたらきりがありません。
ここでは書けないような強烈に931(クサイ)飲み物を
「おい、これ誰か塩入れただろ!」
と言いながら飲み干していた先輩もいました。
そんな人たちと一緒になってわいわいやっているうちに、気付いたら幸せな日々を送ることができていました。
少しは部訓である「自ら思考して実践する。」という目標にも近づけたのではないかと誇らしい思いです。
格好良く言えば、私はそのような方々から私の生き方がいかに窮屈な生き方であったかを学び、他人の価値観の中で生きることをやめることができたのです。
しかし見方を変えれば、ちゃらんぽらんで、大変けしからんやつに映っていたかもしれません。
特に、突然休部をして留学に行ったときは、帰国後、部に残れるとは思っていませんでした。
恐らくこのような人間を受け入れてくれるほど柔軟性のある部は、準硬式野球部の他になかったのではないかと思います。
それでもこんな私を見捨てることなく愛し、時には憎んでくれた同期には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとう!
愛と憎しみで思い出したのですが、この世の中には三種類の人間がいると思います。
1. 自分のことを好きでいてくれる人間。
2. 自分のことを嫌っている人間
3. そして私に対して無関心な人間です。(ここではまだ出会ったことのない人も含まれます。)
所謂知人や友人と言えるような人のほとんどは1か2に分類できると思います。
私の場合、1と2の割合は半分半分でしょうか、この場合は半分の人間にも好かれていると捉えた方がよいのでしょうから、そうすることにします。
それでも、この人に自分は嫌われているのかな…と落ち込みそうになったときは、
いつもあることわざを思い出すようにしています。
「愛してその悪を知り、憎みてその善を知る」
中国の偉い人(同期のことではありません。)の言葉で、本来は
「人を愛しても、その人の欠点を認め、また、人を憎いと思っても、 その人の長所を認めるべきである」
という意味らしいですが、敢えてこの日本語通りに
「愛して初めてその人の悪いところを知り、憎んで初めてその人のよい所を知ることができる。」
と捉えるようにしています。
そうするといつも気持ちが楽になります。
イヤヨイヤヨも好きのうち
愛と憎しみは紙一重
いろいろ言い方はありますが
要は、なんだかんだ言っても俺のこと好きなんじゃね?
そもそも他人に嫌われない生き方などつまらない!
と思うようにしています。
好かれるということの反対は、無関心なことなのではないかと最近しみじみと感じます。
そんな風に思えるようになったのも、多様性を愛し、自分が苦しい時にも一緒になって苦しんでくれる最高の仲間に出会えたからです。
またその「多様性を許容に、固定観念を持つのではなく、独立心を持って思考できること」こそが、我が部の最大の強みではないかと思っているので、部内に、いい意味で変なやつがいるという多様性の流れを受け継いでいって欲しいと思います。
まあ後輩にも、グレーな奴、ベレーな奴を始め、変なやつは大勢いるので、そこのところは心配していませんが…
一人ひとりに直接感謝の言葉を言いたかったので、個人の名前は極力出しませんでした。
また、ほとんど野球のことを書きませんでしたが、皆さん察してください。
そういうことです。
それでも最高の仲間に出会えたと私は勝手に誇りに思っています。
次のブログは、同じ時期に怪我をして、文字通り苦楽を共にした貝持勇樹(経4 桜美林 写真左)にバトンを託したいと思います。
彼も私と同様に「自由人」でありますが、野球でも私生活でも、決めるところは決める男前です。
私が先発を任されていたときは、彼がリリーフで待機していてくれるおかげで、大変リラックスして投げることができました。
お互いに紆余曲折あり、それも今となっては懐かしい話です。
ただ、私がリリーフに誇りを持てるようになったのは、彼の存在が大きいです。
人生経験豊かな彼の野球人生を締めくくるブログは一読の価値ありです。
ご期待ください。
No pain, No gain!
胸肉食べる、ササミ食べる、卵もたくさん食べる。
自分は鶏の天敵ではないかと思ったことがある。 (「DNSスポーツサプリメント」公式アカウントより)
4年 高木健太郎
福田は数少ないトレーニーの共通言語で話せる友人であり、「最近アルコール足りてなくね?」の一言で、ゲリラ的に開催される飲みの常連で、日頃からお世話になっています。
彼の先日のブログには、私が日頃バットやボールを触っているような描写がありましたが、彼なりの優しさゆえの脚色ではないかと推察します。
ここ4、5年は、専らバーベルやダンベルと戯れ、日々を過ごしております。
準硬式野球部に入部した経緯や、
なんで部活動をほっぽり出して勝手に留学に行ったのか、
マルタ共和国ってどんな国なのか、
何で教師にならないのに教職を取っていたのか
等々の話題は、就職活動の面接で飽きるほど各社の人事の方に熱く語ってきました。
もう満足です。
ですから、この場をお借りして私が準硬式野球部を去るにあたり、遺言を残しておきたいと思い、乱文ではありますが、内容重視でつらつらと書かせていただこうと思います。
(後から読み直したら何を書いてるのか自分でも分からない文章になってしまいました。閲覧注意です。)
準硬式野球部に入る以前、私は不幸な人間であったと思います。
一言で言うとウジ虫みたいな人間でした。
今でも「高木ってどんなやつ?」とチームメイトに聞いたら、みんな口を揃えて「変なやつ」と答えると思います。それは今も昔も変わりません。今となっては、それでいいのです。それがいいのです。
でも準硬式野球部に入る前は、私はそんな「変な自分」が大嫌いでした。
以前の私は、他人に嫌われる勇気もなく、常に周囲の反応を窺って生きてきました。
今思い返せば、慶応義塾大学に進学を決めたのも、みんながいい大学だというから、羨ましがるから、という曖昧な理由であったと思います。
そんな私の価値観は紆余曲折あって、準硬式野球部に入部して、その中で様々な人に出会えたことで、180度変わりました。
準硬式野球部には、変な人間がいっぱいいました。
怪しいサプリメントを接種して、ひたすら上半身を鍛える先輩
中国の富裕層みたいな同期
東大を仮面受験して、飛び立っていった元同期
これまでの野球人生で見たこともない独特な投げ方をする同期
ひたすらバイトと筋トレと自主練をするストイックな人たち
何故か部室のゴミ箱に頭からダイブしている先輩
何故か鼻の穴にチューブわさびとチューブからしをダイブさせる先輩
レギュラーではなく、日銀総裁になると宣言して入部してきた人生の先輩
例を挙げたらきりがありません。
ここでは書けないような強烈に931(クサイ)飲み物を
「おい、これ誰か塩入れただろ!」
と言いながら飲み干していた先輩もいました。
そんな人たちと一緒になってわいわいやっているうちに、気付いたら幸せな日々を送ることができていました。
少しは部訓である「自ら思考して実践する。」という目標にも近づけたのではないかと誇らしい思いです。
格好良く言えば、私はそのような方々から私の生き方がいかに窮屈な生き方であったかを学び、他人の価値観の中で生きることをやめることができたのです。
しかし見方を変えれば、ちゃらんぽらんで、大変けしからんやつに映っていたかもしれません。
特に、突然休部をして留学に行ったときは、帰国後、部に残れるとは思っていませんでした。
恐らくこのような人間を受け入れてくれるほど柔軟性のある部は、準硬式野球部の他になかったのではないかと思います。
それでもこんな私を見捨てることなく愛し、時には憎んでくれた同期には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとう!
愛と憎しみで思い出したのですが、この世の中には三種類の人間がいると思います。
1. 自分のことを好きでいてくれる人間。
2. 自分のことを嫌っている人間
3. そして私に対して無関心な人間です。(ここではまだ出会ったことのない人も含まれます。)
所謂知人や友人と言えるような人のほとんどは1か2に分類できると思います。
私の場合、1と2の割合は半分半分でしょうか、この場合は半分の人間にも好かれていると捉えた方がよいのでしょうから、そうすることにします。
それでも、この人に自分は嫌われているのかな…と落ち込みそうになったときは、
いつもあることわざを思い出すようにしています。
「愛してその悪を知り、憎みてその善を知る」
中国の偉い人(同期のことではありません。)の言葉で、本来は
「人を愛しても、その人の欠点を認め、また、人を憎いと思っても、 その人の長所を認めるべきである」
という意味らしいですが、敢えてこの日本語通りに
「愛して初めてその人の悪いところを知り、憎んで初めてその人のよい所を知ることができる。」
と捉えるようにしています。
そうするといつも気持ちが楽になります。
イヤヨイヤヨも好きのうち
愛と憎しみは紙一重
いろいろ言い方はありますが
要は、なんだかんだ言っても俺のこと好きなんじゃね?
そもそも他人に嫌われない生き方などつまらない!
と思うようにしています。
好かれるということの反対は、無関心なことなのではないかと最近しみじみと感じます。
そんな風に思えるようになったのも、多様性を愛し、自分が苦しい時にも一緒になって苦しんでくれる最高の仲間に出会えたからです。
またその「多様性を許容に、固定観念を持つのではなく、独立心を持って思考できること」こそが、我が部の最大の強みではないかと思っているので、部内に、いい意味で変なやつがいるという多様性の流れを受け継いでいって欲しいと思います。
まあ後輩にも、グレーな奴、ベレーな奴を始め、変なやつは大勢いるので、そこのところは心配していませんが…
一人ひとりに直接感謝の言葉を言いたかったので、個人の名前は極力出しませんでした。
また、ほとんど野球のことを書きませんでしたが、皆さん察してください。
そういうことです。
それでも最高の仲間に出会えたと私は勝手に誇りに思っています。
次のブログは、同じ時期に怪我をして、文字通り苦楽を共にした貝持勇樹(経4 桜美林 写真左)にバトンを託したいと思います。
彼も私と同様に「自由人」でありますが、野球でも私生活でも、決めるところは決める男前です。
私が先発を任されていたときは、彼がリリーフで待機していてくれるおかげで、大変リラックスして投げることができました。
お互いに紆余曲折あり、それも今となっては懐かしい話です。
ただ、私がリリーフに誇りを持てるようになったのは、彼の存在が大きいです。
人生経験豊かな彼の野球人生を締めくくるブログは一読の価値ありです。
ご期待ください。
No pain, No gain!
胸肉食べる、ササミ食べる、卵もたくさん食べる。
自分は鶏の天敵ではないかと思ったことがある。 (「DNSスポーツサプリメント」公式アカウントより)
4年 高木健太郎