ENJOY JUNKO BASEBALL
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10月26日

10月26日

こんばんは。

本日よりブログリレーを再開致します。トップバッターは私、主将を務めさせて頂くことになりました大島一輝(総3 桐朋)です。
1年間よろしくお願いします。

さて、先日行なわれました秋季リーグ戦は完全優勝というすばらしい結果で終わりました。

優勝の瞬間は人生で一番最高な瞬間でした。

しかし、これで満足出来ません。六大学リーグ秋春連覇にむけて、チーム一丸となって更なるレベルアップを図っていきます。

準硬式野球部はここからが本番だと思っています。

「強い準硬式野球部をつくる。」

猪砂主将(政4 立命館宇治)が日頃から言っていた言葉です。

本当に強い組織は、1年で結果が出なくなるような事はありません。

何年も長期的に継続して結果を残す事こそが、強い組織であると自分は考えています。

そのために、先輩達が作り上げてきた準硬式野球部をもっとより強靭なものにしなければなりません。
チームとしての結果はもちろんのこと、組織としてもより確固たるものにしていかなければなりません。
部員全員がこのチームを最高のチームにしていけるように、また幹部として最高のチームにできるように、幹部、マネージャー、スタッフ陣一同一生懸命取り組んでいきます。

自分たちの代は全日本選手権を知りません。

去年はあと少しのところで逃してしまいました。

去年の先輩達が乗り越えられなかった壁をこれからの練習を通してチーム全員で乗り越えて行きます。

最後になりましたが、主将としてまだたくさん至らない点があると思いますが、気持ちとやる気では誰にも負けません。
今年もいいチームだったと思われるように頑張ります。

明日のブログは副将の富田雅基(経3 桐朋 写真)に回したいと思います。

3年 大島一輝
10月25日

10月25日

こんばんは。

本日は新チームの幹部発表がありました。

主将と3人の副将を中心として、気持ちをまた一層引き締め、精進して参りたいと思います。


新幹部は、明日からはじまる3年生のブログリレーにてご紹介致します。


明日からのブログリレーは新主将の大島一輝(総3 桐朋 写真)より始まります!

新たな本塾準硬式野球部の応援よろしくお願い致します。



1年マネージャー 谷脇文香
10月24日

10月24日

こんばんは。

本日は新チーム発足後、初の平日練習でした。

ここ数日肌寒い日が続いておりましたが、本日は太陽も照っていて、よい天気のもと練習を行うことが出来ました。

月曜日の練習は、授業の為、出られない選手も多く、グラウンドは普段より広く感じられます。

しかし、選手ひとりひとりが「声出し」を心がけ、普段同様の活気を出している様子がうかがえます。


今日の写真はフリーバッティング中の写真です。




1年マネージャー 谷脇文香
10月23日

10月23日

こんばんは。

本日、秋季関東地区高等学校野球大会にて
慶應義塾高校が初戦の相手、花咲徳栄高校にコールド勝ち致しました。


このブログをご覧になっている
塾高硬式野球部OB、そのご父兄の方で応援に足を運ばれた方も少なくないのではないでしょうか。


塾高野球部OBが多く在籍し、
同じ日吉台グラウンドを使って練習する
我が部としては今後の展開にも目が離せません!


本日の本塾準硬式野球部は、
午前、午後に分かれて二部練を行いました。

30人程度での練習となり、ひとりひとりにとって
精度の高い練習が出来ました。


さて、明日からまた新しい週が始まります。
気持ちを引き締めてがんばっていきましょう!


1年マネージャー 谷脇文香
10月22日

10月22日

こんばんは。
本日、新チームとなって初めての練習がありました。

どんよりとした空模様のせいもあってか、
4年生23人の抜けた練習はどこか寂しい感じが致しました。


先日のリーグ戦優勝の余韻にいつまでも浸っていたいものですが、

先ずは11月3日より始まる関東王座決定戦、
そしてその先に向けて

本塾準硬式野球部はまた気持ちを新たに、
精一杯励んで参ります。


どうぞ応援よろしくお願い致します。


1年マネージャー 谷脇文香
10月17日

10月17日

昨日、10月16日、東伏見にて行われました対早稲田大学戦の勝利をもちまして、私達は引退を迎えました。


10勝2敗、勝ち点5の完全優勝。


このような最高の形で引退を迎えることができた私達は本当に幸せです。


試合後、そして祝勝会のときに、たくさんのOBの方々、ご父兄の方々、そして応援指導部の方々から、おめでとうの言葉を頂きました。


こんなにも多くの人達に支えられ、応援してもらっていたということを改めて感じ、感謝の気持ちでいっぱいです。


OBの皆様、父兄の皆様、今まで温かい声援、本当にありがとうございました。



自己紹介が遅れましたが、今回ブログを担当しておりますのは、今年度主将を務めました猪砂雄介(政4 立命館宇治)です。


本来であれば昨日中に投稿するはずだったのですが、試合後喜びのあまり冷静さを失っておりました。申し訳ありませんでした。



さて、目標だった優勝を果たすことができた弊部ですが、思い返せば3年前、小西さん(H27卒)が主将に就任した際に、山本部長より部に対して改革を命じられました。


「強い準硬式野球部をつくれ」


これまで主将挨拶の機会がある度にこの事に触れてきましたが、この言葉は、野球の面でも組織の面でも強い部をつくろう、という意味です。


当時1年生だった私には、新しく迎える監督がグランドの最高責任者になるとか、学生コーチは監督補佐という役割を担うとか、なんのこっちゃわかりませんでしたが、正直OBや部長が練習などに介入してくるのはめんどくさいなぁなんて思っていました。(失礼しました。)


学年別で設けられたOBの方々とのミーティングでは、私達の学年は歯向かうような態度で文句しか言わず、OBの方々にこの代はとんでもないなと言わせるぐらいには反抗していました。


そんな私達が、この最後のリーグ戦で、慶應準硬式に関わる人達が一丸となって戦えたと実感できたのは、小西さん(H27卒)、伊勢さん(H28卒)たち先輩方が2年間、改革の土台を作って下さったからです。


その一連の改革の一つの成果として、リーグ戦優勝という結果を残すことができて、すごくホッとしています。

私達が迷惑をかけまくったOBの方々や先輩方に、少しは恩返しすることができたのかなと思います。本当にお世話になりました。



そして、これを支えてくれた22人の同期のみんな。


本当にありがとう。



何を決める時でも、みんなが


「猪砂がそう思うならそれでいこうよ」


と言って背中を押してくれたから、いつでも前向きに頑張れました。

それぞれにはここでは書ききれないし、昨日の祝勝会の終わりに思いは伝えたつもりだから割愛します。
おじいちゃんおばあちゃんになってもみんなでワイワイやろうね。



最後に、後輩達へ。


1年間こんな私についてきてくれてありがとう。


最後に、主将としてこの1年間、メンバー選考に関わって感じたことを伝えてこのブログを締めようと思います。



野球は本当に不平等なスポーツです。



野球は結果が全てだとか言いながら、打率トップの25人がベンチに入っているわけではありません。


エラーが少ない25人が入っているわけでもありません。


リーグ戦でベンチに入れなかった人達の中には、


「俺はあいつよりも実戦での打率がいいのに」


とか、


「バントキャラのあいつよりも俺の方がバントうまいのに」


とか、様々な思いを抱えている人が多いと思います。


何が言いたいのかというと、監督や幹部がメンバーを何を根拠に決めているかというと「印象」です。

正確な打率や防御率は残念ながら見ていません。


紅白戦では、2本の三遊間ボテボテのヒットよりも、1本の会心のセンターライナーの方が印象に残るんです。


同じセンター前ヒットでも、ランナーなしの場面より、チャンスの場面で打った方が印象に残るんです。


どちらの場合も打率は同じ、もしくは前者の方が上なのに。


でも、逆に言えば、印象は一瞬で変えることができる。


全然打てないイメージのある人でも、3回のチャンスで3回会心の当たりを打てば印象は変わってきます。



僕は大学1年の秋が終わるまで、肩痛で投げることもできなければ、紅白戦でヒットを打ったことがありませんでした。

20打席はあったと思います。


周りは当たり前のようにヒットを積み重ねて、Aチームに合流する同期もいました。


焦りました。


ただその中でチューブトレーニングで肩の筋肉を鍛え、夜は岡村(経4 慶應義塾)と打ち込みました。

代替わりの瞬間の紅白戦で印象を変えてみせると。


その結果、紅白戦で固め打ち、織戸監督が初めてご覧になった試合でホームランを打って、2年から試合に関わることができました。

だから、メンタルトレーニングでもよく言われるように、そこまでの準備を怠らないでください。


印象は一瞬で変えられる。


結果出ない時はそう思って準備に、練習に励んでください。


ずいぶんと偉そうなことをつらつらと書いてしまいました。



最後の最後です。


この部はこれからが大切です。


強い準硬式野球部、強い組織を作り上げてください。


私に、そしてチームに関わって下さった全ての方々、本当にありがとうございました。


これからも慶應義塾準硬式野球部を宜しくお願い致します。


4年 主将
猪砂雄介
10月15日

10月15日

本日、秋季リーグ戦最終カードの早稲田戦初戦、逆転勝利を収めることができました。

たくさんの方の声援が私達の背中を最後まで押し続けてくださった結果、サヨナラ勝ちという素晴らしい結果になったと確信しております。

本当にありがとうございました。


今年度副将を務めます岡村雄太(経4 慶應義塾)です。


熱戦直後というのもありまして、いつも以上に暑苦しく長い文章となりそうです。(と言うよりなってしまいました。)
申し訳ありません。
あらかじめご了承くださいませ。


前回の田中優作(政4 慶應義塾)とは同じチームで野球を続けて10年目になります。


高校時代、三遊間を共に守った彼との関係も、今ではノッカーと外野手という関係に変化しました。

それでもこうして同じ目標に向けて熱くなれること、私もとても嬉しく思っています。



ここまでのブログリレー楽しく読ませて頂きました。

本当に4年間いろいろなことがありました。


入部直後、山本裕哉(経4 慶應義塾)と喧嘩したこともあれば、
志木高勢に裏で岡村さんと呼ばれていたこともあったみたいです。

それでもここまでこられたのは22人の同期がいつもそばにいてくれたからです。

本当に4年間ありがとう。
本当に支えられました。



今春の就職活動中、準硬式野球部とは?という質問に、

「野球にコンプレックスを抱えた人の集団です」

と答えたのは主将の猪砂(政4 立命館宇治)でした。



高校時代の私も野球にコンプレックスを抱えた人の1人でした。


私は慶應高校軟式野球部、俗に言う「なんや」の出身です。


心の何処かに後ろめたさがありました。

多くの普通部出身の同期が硬式で苦労していました。


ミズノプロのカバンがカッコよくて。

夜遅くまで煌々と光る日吉台のナイターが羨ましくて。

私は練習がしたいのに、必死で雨乞いする硬式のクラスメートがいて。

体の大きい硬式部員をすっと避けながら廊下を歩いたり。


高校3年間、なんやであることが私のコンプレックスでした。




7年前の高校入学直後。

普通部の同期が何人も硬式野球部へと進む中、私は自分の実力に限界を感じていました。

どうしても自分が主役でいたい私は、部員100人を超える硬式野球部に入部する気にはなれず、

アイスホッケーやトランポリンをしてみたり、

カラオケに入り浸ってみたり、

そんな日々を過ごしていました。



「体が小さく、パワーのない自分に野球で輝く場所はない」

「野球ってそんなに面白いものでは無かったな」


そう思っていた時、「暇ならキャッチボールでもしに来いや」と友人に誘われて行ったのが軟式野球部でした。


キャッチボールをしに来ただけのはずなのに5キロ走を走らされ、不貞腐れながら1時間かけて完歩し、

「軟式なのにこんなに走らされるなら面白くない、辞めよう」

そう思いながら一列ノックを受けていた私のところに、
白髪のおじいさん監督が近づいてきました。


頑固なおじいさん監督が毎日いる、とは聞かされていましたが、初めて会った日に1時間も長話をされるとは思ってもいませんでした。

何を話されたのか全く覚えていないのですが、

きっと「守れる内野手が足りないから入部してくれ」といった内容だったと思います。



春の県大会が終わるとそのおじいさんは私に「練習試合に連れて行くから普通部のユニフォームを持ってこい」と言いました。

人工芝のグランドで汚れることなくボールとバットを使って遊べれば十分!

そう思っていた私は丁重にお断りしたのですが、

まったく聞き入れてもらえず、

しぶしぶ週末に千葉の奥地まで行ったのを覚えています。



その練習試合の2試合目にスタメンで使ってもらって以降、
高校生活では打てなくても守れなくても全ての試合に出させて頂きました。



野球は勝っても負けてもとても楽しいものでした。

でも高校時代は達成感より悔しさが強かった。


今日もたくさん応援に来てくれた高校時代の仲間には、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

その悔しさが大きな糧となり、
野球を続けるエネルギーになりました。



月日は流れ、気が付くと私は準硬式野球部の最上級生になっていました。


どうしても負けられない春の早慶戦、1点負けの2死満塁。

誰もが岡村に代打をだせ!と思っていたあの場面。

進むべき道を見失い、路頭に迷っていた私を野球へ再び引き込んでくれたそのおじいさん監督は、
私にヒッティングのサインだけを送り、託してくれました。


試合後のスポーツ報知のコメントに「使ってくれた監督に感謝したい」といったようなことを話したところ、いろんな人から「ゴマをするのが上手いな!」と笑われました。

でもあのコメントは、すっと出てきた紛れもない本音でした。



だからこそ、

この秋、何としてでも優勝したいんです。


高校で2年間、大学で3年間、

いつもグランドに来てくれた、

このチームを変えてくれた、

僕を変えてくれた、

織戸監督を胴上げしたいんです。


それが監督にできる最初で最後の恩返しです。



明日、勝利すれば優勝が決まります。


野球の神様は僕らに最高に面白いエンディングを用意してくれました。

きっと「あとは自分たちの力でハッピーエンドに変えてみろ」と笑っています。



こんなエンディングにたどり着くまで、

本当にたくさんの方々にお世話になり、支えて頂きました。



毎試合応援に来てくださり、試合が終わると必ず声をかけてくださるOBのみなさん。

息子はとっくに卒業したはずなのに中津川まで応援に来てくださる稲山さん(H27卒)のお母さん。

半分以上、いや8割以上が誰のご父兄なのかわからないのに、たくさん声をかけてくださるご父兄のみなさん。


チーム改革の為ご指導くださいました山本部長。

熱心な指導でチーム打率を飛躍的に向上させてくれた嶋川コーチ。

現役時代そんな嶋川コーチの打席でホームスチールを試み憤死した矢田コーチ。


誕生日プレゼントのキャップを家の中でも大事に被ってくださる先輩や、

下手くそな自分に手取り足取り指導してくださった先輩方。


小さい頃、休みの度にキャッチボールをしてくれた親父。

親父がキャッチボールしか野球の練習方法を知らなかったおかげで、
16年間スローイングに苦労せずやってこられました。


小学生の頃からいつも試合を見に来てくれ、私が落ち込んでいる時もそっと支えてくれた、最近涙もろくなった母。

16年間何不自由なく、楽しく野球が出来ました。


バッティングセンターに行くと、私だけにではなく知らない小学生にもアドバイスしてしまう弟。

おまえのアドバイスがあったから打てました。



私達のプレーを陰で支えてくれた、縁の下の力持ち学生スタッフとマネージャー。


たくさんの方に支えられ、ここまでやってくることができました。

大変お世話になりました。

本当にありがとうございました。




そして、最後に、ここまでついてきてくれた後輩へ。


チャンスはいつか回ってくる、そんなことを思っていたら4年間あっという間に終わってしまいます。

部員80人を超えるチームで試合に出て活躍することはそう簡単な事でありません。

私自身も4年間でレギュラーになることはできませんでした。



「環境は周りが整えるものじゃない、自分が整えるもの」

「周りが英語しか話せないなら、日本語を覚えさせればいい」

これは川崎宗則選手の言葉です。


私は、チャンスは待つものではなく、自分で作るものだと思ってここまでやってきました。


内野手として試合に出られないなら、外野なら出れるんじゃないか、そう思って外野手になりました。

内外野ふたつのグローブを持って行き、シートノックをセカンドとセンター両方で受けていた時期もあります。

谷上さん(H28卒)や杉本さん(H28卒)が塁に出れば、「代走いきますか?」と監督に聞きに行きました。

監督から言われる前にベンチを出ていたこともあります。

場違いなのを承知で六大学のグアム遠征にも連れて行ってもらいました。


そうやってもらった数少ないチャンスを生かすため、
必死で準備して必死にプレーしてきました。

何とか出塁できるようになろうとひたすらファールを打ったり、

足が速くなりたくて往復30キロを毎日自転車で通ったり、

強い打球が打ちたくて夜な夜なジムに通ったり。


自分が打席に立つとしたら試合の終盤だと考え、

リリーフのピッチャーを中心にタイミングを合わせ、

ベンチにいる時から10人目の選手として試合に出ている感覚でいました。


試合で打席を貰えれば何とかしたいという一心でピッチャーに対峙し、

ランナーで出れば何とかしてホームベースを踏もうと思っていました。



その結果、高校最後の年の公式戦、

1本もヒットを打てなかった9番バッターが、

バットでYahoo!ニュースにのることができました。

自分のエラーで高校野球を終わらせてしまった私が、

試合後にたくさんの人からねぎらいの言葉をかけられるようになりました。

相手の一塁手が、

代走の私が走れないようにズボンを引っ張ってくるようになりました。


「スタメンで試合に出るんだ!」

みんながそう思ってこのチームに入ってきたと思います。

「代走の切り札になりたくて」

とか

「守備固めになりたくて」

なんて思って入ってきた人はいないと思います。



だから、

自分の可能性を信じて、
環境のせいにせず、
最後まで向き合って欲しい。

現状に満足したらそこまでです。




その先にきっと素敵な明日があると信じています。


慶應義塾の黄金時代を見せてください。
応援しています。



そして、いままでたくさんの思い出を本当にありがとう。


可愛いくて、うるさくて、人懐こい後輩たちに囲まれて過ごせた日々を誇りに思います。


最近「やっぱおっかむだわ!」とうるさい田口…商3 慶應義塾)。


最後まで敬語の使い方を理解してくれなかった有賀(商3 慶應義塾湘南藤沢)。


うるさいけど一番チーム想いな油科(環3 川和)。


練習量だけは半端無い石渡元就(経2 多摩大目黒)。


話の長い杉浦(政2 慶應義塾)。


常にケロッとしている頼もしい市野澤文太(商1 慶應義塾)。


いちいちうるさい下川(経1 慶應義塾)、出町(経1 慶應義塾)。


入部した頃はどうなってしまうのか心配でしかたなかった櫻井(経3 Dwight School London)。

なぜかいつでもどこでもそばにいる祥輝(文2 洛星)。

底抜けに明るい泉(政1 慶應義塾)。

名前を挙げだしたらキリがありません。



素敵な時間をありがとう!!



今なら言えます。

「なんや」でも「準硬」でも、

ここまで野球を続けてきて良かったと。

野球のおかげで成長できました。

野球のおかげでたくさんの仲間ができました。

野球のおかげでたくさんの思い出ができました。


そしていよいよブログリレーも最終回。
主将、猪砂雄介(政4 立命館宇治)の登場です。


彼とは全体練習になかなか入れなかった1年生の頃から、高校が練習を終えた夜、室内練習場でバッティング練習をするようになりました。

今ではリーグを代表する投手となった彼の球を何千球も打たせてもらった結果、
大学までろくに打撃練習をしてこなかった私もここまで成長することができました。

ショートとピッチャーの二刀流キャプテンが先頭を走り続けてくれたから、私たちは今ここに立っています。

さこありがとう!



さあ、いよいよ最高のエンディングの始まりです。

明日の12時30分、東伏見でお待ちしております。

歓喜の瞬間を分かち合いましょう。


応援よろしくお願いいたします!!



Today is the day.

長くてすみません。

4年 岡村雄太
10月14日

10月14日

こんばんは。主務の田中優作(政4 慶應義塾 写真下真ん中)と申します。
遂にラストブログリレーも私含めてあと3人となりました。

私を紹介頂いた裕哉(山本裕哉 経4 慶應義塾)とは入部当初から数え切れない小競り合いをして5分後には仲直りするという行為を繰り返し、その度に同期に笑われましたが、今はいつも一緒に行動してる仲です。
気持ち悪いくらい一緒に行動してます。こちらも喧嘩するほど仲が良い、ってことですね。

本日は日吉台でのラスト練習でした。あっという間にこの瞬間が来てしまいました。4年間毎日のようにこの場所に通ったことを考えると感慨深く、寂しい思いでいっぱいです。またいつかこの場所で同期全員で野球できる日が来ればと思います。

さて、ラストブログは私も主務の活動を中心とした自身を振り返りたいと思います。

3年前の春、後輩はもちろん同期さえ知らないと思いますが、私は強肩サードとして入部しました。
当時、嶋川コーチ、渋田夏基さん(H27卒)や伊勢大輝さん(H28卒)にも
「お前のスローやばいな」
って言って頂けるほどのものでした。
平本洋文元主将(H26卒)にピッチャーやれよとも言われました。

こんなに褒められたら調子に乗りまくりますね、2秒で肩を壊しました。

そしてここからは同期後輩共に重々ご存知の私の練習スタイルが構築されました。

キャッチボールはグラウンドの隅で勁介(渡邊勁介 商4 慶應義塾志木)と共にチューブと戯れ、

キャッチボールやったとしても塁間まで。

内野ノックでは必ず偽投。

池田卓也先輩(H26卒)からは偽投王子とも呼ばれました。

私=偽投でした。完全に。

ものまね芸人、潮田(政4 慶應義塾志木)にも抜けなく真似されました。

幸い自分はバッティングの方で評価して頂いていたようで、DHや代打として試合にもそこそこ出して頂いてましたが何か物足りませんでした。

「自分はチームに対して何かできてんのかな。」

肩の怪我が治る見込みがなく、
守備は無理、
バッティングしかできない私は毎日のようにそう感じていました。もどかしかった。

そこで出会ったのが主務をはじめとする運営スタッフというポジションでした。

先輩から勧められたし、選手兼任でできるし、やってみるか。
そんな感じで務めることとなった六大学連盟の学生委員。

プレーで活躍する気で入部した私にとってなかなかに渋さがありました。

運営スタッフなんてどうせ裏方。地味。何が楽しいんだろう。

そう思ってました。

いざやってみるとやはりなかなかに大変でした。

他の同期がオフで街へ繰り出している中、
私は片道2時間かけてリーグ戦会場へ挨拶回りや仕事をしに行くことも幾度とありました。

でもとてもやりがいを持てました。

そして何と言ってもチームの力になれてる気がした。

居場所を見つけられた。

運営スタッフという立場は地味で表に出てきません。
ちやほやもされません。
でもそれでも構わないです。
チームが勝つために努力をするのはプレイヤーと何も変わらないと思います。

私はこの仕事に誇りを持っています。

私はそんな4年間の連盟学生委員や主務という立場でプレイヤーとしては決してできない経験をすることができたと思います。

新たな人脈を作ることもできました。

当時私を同期の中から引き抜き、きっかけをくれた山村俊揮さん(H27卒)には本当に感謝しています。ありがとうございました。

「例え道を間違えても、考え方次第でそれを正解にすることができる」

肩が健全だった頃の私に戻って、投すぎんなよ、壊すぞ。と言ってやりたい。

あの頃に戻ってやり直したい。

何度もそう思ったことがありました。

しかし、間違えた過去は変えることができません。戻ることもできません。

だったらその間違えた過去を正解にしてやればいいのです。

肩を壊すという一見ネガティブな過去のお陰で私は、運営スタッフとしてチームを支える決心をし、様々な経験ができました。

肩を壊していなければきっとこんな経験できなかったわけです。

肩を壊したお陰で今の自分があるのです。

ネガティブな過去が自分の中でポジティブな過去になりました。正解になりました。

今は後悔も何もありません。

例え道を間違えても、それを正解に変えてやればいいのです。

話は変わりますが、私はそんな4年間をたくさんの仲間に囲まれ、支えられて過ごしました。頼りにしてました。

ちょっとケアられてるような気がする1年たち

なんかちょっと俺らの代と雰囲気似てる2年たち

生意気で、わいさわいさとニヤニヤ擦り寄ってくる(主に田口(商3 慶應義塾)、油科(環3 川和)、嶋内(政3 慶應義塾))3年たち

いじられ倒し、いじり倒す同期たち

また、学生スタッフ陣にも後半1年間は本当にお世話になりました。

チームで1番チームのことを考えてる熱い男で、今でも小競り合いばっかだけど結局仲良い裕哉

人をいじるのが大好きで、ニヤニヤしてしかいない大脇(政4 慶應義塾志木)

タメ語しか使ってこないけど頼りになる中濱(政3 慶應義塾)

機械大好きな新楽(理2 浦和西)

しっぽぶんぶん振ってついてくる祥輝(文2 洛星)

熱い思いを持ちつつ、チームのことを冷静に見てくれてる結衣さん(商4 慶應義塾湘南藤沢)

グラウンド隅で楽しそうにしてるけど頼りになる後輩女子マネージャー陣

また、主将の猪砂(政4 立命館宇治)には頭が上がりません。

主将として野球に力を注ぎ、二刀流をこなす中、運営面でもスタッフ陣と力を合わせてチームを引っ張ってくれました。
本当にありがとう。

彼との出会いは入学前の3月でしたがこんなデキ男になるとは思いませんでした。
美味しいものをお土産に家に遊びに行くといつも嬉しそうな顔をするので、今度久しぶりに遊びに行って餌付けでもしようかと思います。

そのほかにも思い入れのある人がたくさんいますが、これくらいにしておきます。

この4年間とても楽しかった、みんな本当にありがとう。

是非後輩たちには仲間を大切にして欲しいと思います。

誰にも頼らずに生きていける人間なんていません。

仲間の存在を当たり前にすることなく、共に闘う仲間を常に大切にしてください。

OBの方には様々な経験をさせて頂き、自身を成長させて頂き、感謝しております。

特に荘村要信(S38卒)さん、山田善則(S44卒)さんには感謝してもしきれません。

本当にありがとうございました。

そして両親。これは直接伝えようと思います。

長くなってしまいました。
ここらで締めて次にバトンを渡したいと思います。

次回のラストブログリレーは副将の岡村雄太(経4 慶應義塾)です。
特に彼には思い入れが強く、彼とは普通部、塾高そして大学と10年間も部活の同期として過ごしています。
そんな彼は今、代走を中心に試合で活躍しています。
この秋季リーグも彼の一打で試合が決まったことがありました。彼が活躍してくれて本当に嬉しいです。
今週末の慶早戦でもグラウンド内で暴れまわってください。

岡村、野田の高校同期3人組でラストカード共にベンチに入ることはできませんでしたが、野球人生の集大成を、勝ちそして優勝で締めたいと思います。

それでは。

All's Well That Ends Well

4年 田中優作
10月12日

10月12日

我が部の敏腕マネージャー花畑結衣(商4 慶應義塾湘南藤沢)からご紹介に預かりました、監督補佐の山本裕哉(経4 慶應義塾 写真左)です。

花畑から少し話があったように、彼女とは色々ありました。その件に関しましては、OBを含めチームメイトのみんなにはご迷惑をおかけ致しました。ごめんなさい。

しかし、皆様は信じないかもしれませんが私と花畑は本当は仲が良いです。まさに「喧嘩するほど仲が良い」ということわざ通りです。

一年生の時には、私の恋の悩み相談のため毎日LINEをし、

二年生の時には、新人戦前に猪砂(政4 立命館宇治)と花畑と私の三人でチームについて何時間も話し合い、

三年生の時には、私が率先して花畑へのバレンタインデーのお返しを買い、

四年生の時には、就活でお互いメンタルが弱ってる中、二人で励まし合いました。

時には、チームについて揉めることの多い二人ですが、花畑なしではチームは成り立ちませんでした。花畑本当にありがとう。



さて、話が長くなってしまいましたが、


本日の法政戦やりました!!!!!


エース竹原の好投もあり、6対4で法政を下し、法政から約二年ぶりの勝ち点を上げることができました!!


私達の代は、法政に新人戦で15対0で負けてからスタートしました。

あの敗戦から約二年かけて雪辱を晴らすことができました!!!心の底から嬉しいです。

この勢いのまま、今週末の早稲田も下し、完全優勝を狙うのみです!!



話は変わりまして、ラストブログということで、私自身についても少し書きたいと思います。
ラストブログあるあるですが、拙い文章になってしまう可能性があります。
思いのまま書きたいと思うので、ご了承下さい。



まず、私が準硬式野球部に入部した経緯から話したいと思います。




1. 何が何でも試合に出て活躍したかった。


高校時代、一回も公式戦にベンチ入りできなかった私は、自分が活躍してチームが勝つという喜びを味わってみたかったです。
そして、本球場という大きなグラウンドでプレーをしたかったのが一つ目の理由です。
幸運ながら、一年秋からベンチ入りをできた私は、様々な本球場でベンチ入りをすることができ、高校時代から念願だった横浜スタジアムでもプレーをすることができました。


2. 尊敬する兄に近づきたかった


私には、3学年上の兄がいます。

小さい頃からなにをやっても負け続けていましたが、常に目標にしてきた存在でした。

そんな兄が早稲田の準硬に入り、一年生から全日本で投手として投げている姿を見て、同じ舞台で戦いたいという思いから入部しました。

残念ながら、やはり兄の背中は遠く、全日本で活躍するという目標は叶いませんでした。

しかし、兄のおかげでここまで頑張れました。兄貴ありがとう。


3. 泣きたかった


私は、野球人生の中で悔し涙、嬉し涙というものを流したことがありませんでした。
学生時代の最後は、本気で野球に取り組み、涙を流したかったという少し変な理由です。
今まで、涙を流してこなかった私が、何回も悔し涙、嬉し涙を流したのはこの部活が最初で最後だと思います。

特に、新人戦で法政に15対0で負けた時は、自分の不甲斐なさから泣きました。

冒頭にも少しあったように、猪砂と花畑と何時間もどのようにベンチ外選手のモチベーションを保つか、どのように法政に勝つかということを永遠と話し合いました。

何時間もかけて話し合ったにもかかわらず、自分が出場できたのは、最終回の一回のみでした。痛み止めを飲んでも飲んでも痛みが引かない右肩は、この日も言うことを聞いてくれませんでした。

自分が引っ張って行くんだという気持ちで臨んだ新人戦にも関わらず、大敗してしまいました。

不甲斐ない気持ちでいっぱいで、野球人生初めて悔し涙を流しました。

そんな時に声をかけていただいた小西さん(H27卒)や小田さん(H27卒)、才茂さん(H28卒)には本当に助けられました。ありがとうございました。



そんなこんなで入部した私でしたが、今現在は監督補佐というポジションで選手をサポートさせていただいております。



選手を辞めて、監督補佐になるという決断を下すには長い時間葛藤しました。


様々な技術を教えてくださり、下級生のときから試合に使って頂いた先輩への申し訳なさ、


16年間も野球を続け、絶対に活躍するんだという思いで入部した自分自身への不甲斐なさ、


そして何より親への申し訳なさです。


16年間もの間、嫌な顔一つせず早起きをしてくれて、ずっと応援してくれた親には本当に申し訳ないと思っています。



選手を辞める際に、「もう選手として見れないのかあ、さみしいなあ」と言われた時には、なにも言えませんでした。


父ちゃん母ちゃん、本当にごめん。



しかし、自分が選手を辞めているのにも関わらず、出張の帰りスーツケースを引きずって試合を観に来てくれる父親、


毎週当たり前のように、今日観に行くからねーっと言ってくれる母親には頭が上がりません。


16年間本当にありがとう。


こんなに葛藤した私でしたが、最終的に監督補佐になるという決断を下したのは、猪砂主将の一言でした。



「お前がコーチになってくれたら、絶対いいチームになる。みんなで優勝しよう。」



この一言が、私を決断させました。



監督補佐になってからは、チームメイトに本当に助けられました。


すぐ頭に血が上ってしまう私を制止してくれる田中主務(政4 慶應義塾)、


ヘラヘラしているように見えて、やる時はやる猪砂主将、


おれが出なくてもチームが勝てばいいから、と言ってフォアザチーム精神旺盛の松島副将(環4 山手学院)、


後輩に舐められまくってるけど、下級生と上級生を繋げてくれている岡村副将(経4 慶應義塾)、


言うことが適当すぎるけど、自分にはストイックで、結果を残し続けている大瀬副将(商4 桐朋)、


他にも、最高の同期、後輩に恵まれました。



今現在主力としてチームを引っ張ってくれている、大島(総3 桐朋)、有賀(商3 慶應義塾湘南藤沢)、竹原(理3 横浜翠嵐)、井筒(経3 慶應義塾湘南藤沢)、


試合にあんまり出れてないのに、自分を押し殺してBのメンバーのモチベーションを保ってくれている、油科(環3 川和)


あと、タンク(中濱遼 政3 慶應義塾)。


一人一人に思入れが深すぎて書ききれませんが、


本当に最高のチームです。



監督補佐というポジションをやって本当に良かったと思います。



絶対にこのチームで優勝をして、最後に織戸監督、猪砂主将を胴上げしたいと思います。



長くなってしまいましたが、次は田中優作(政4 慶應義塾 写真右)にバトンを渡したいと思います。
優作は、高校からの仲でいつも一緒に行動しています。時には喧嘩もしますが、5分後にはお互い仲直りをします。
優作はチームに対して人一倍熱い想いを持っているので、熱いブログに期待しましょう。

優作よろしく。

Never Say Die


4年 山本裕哉
10月11日

10月11日

こんばんは。

韋駄天、川崎竜志(経4 慶應義塾志木)よりご紹介に預かりました花畑結衣(商4 慶應義塾湘南藤沢)です。
彼はもの凄くマネージャーに話しかけてくる部類の選手ではありませんが、今では楽しい場には必ず彼がいます。
特に片井家での食事会にはよく二人ともお呼ばれします。


本日は法政戦の第二回戦が行われ、本塾は3-0で見事勝利致しました。

明日は早大東伏見グラウンドにて13:00〜第三回戦が行われます。必ず勝ち点を奪取し、早稲田戦を優勝決定戦にしたいと思います。



秋季リーグ戦最終カードの早稲田戦まで残り3日となり、ラストブログも残り5名となりました。23名の4年生のラストブログが始まって以来、何を書こうかと考えてきましたが未だまとまりません。



マネージャーとして意識してきたこと2つを書き残し、わたしのラストブログとさせて頂きたいと思います。




@選手以上の努力をする


一般的にマネージャーやスタッフは選手を支える立場の人間とされています。日々練習やトレーニングに励み、表舞台で活躍する場のある選手とは違い、マネージャーは体力の消耗が著しく少なく、さらに目に見える業務はほんのわずかです。その上、特別大きな仕事ではなく一歩引いて考えると誰にでも出来るような当たり前のことを毎日やっています。

部の運営や選手のサポートはみんなにとっての当たり前を作り出すことで成り立っていると考えています。

誰にでも出来ることをやる立場だからこそ、日々努力をしている選手たちを超える努力をしなければ、一部員として正々堂々と部に所属できないと私は思っていました。


選手を支えるためには支える側の人間が選手以上の努力をしなければいけない。


こんな思いを胸に活動していると、決して目に見える結果としては残らないことでも自分のしてきたことに自信を持つことができます。



A自分がいなければ成り立たない組織にし、自分がいなくても成り立つ組織へする


準硬式野球部は伝統を受け継ぎつつも、より良くするために新たに何かを取り入れることには前向きなとてもフレキシブルな部です。


1.2年生の頃は、先輩方の仕事を全て奪おう、自分の担当外の仕事も全て把握しよう、自分がいなかったら成り立たない組織にしようという思いで仕事をしてきました。


3.4年生になり、後輩ができるとこれまで先輩方が作り上げてきた部の運営方法と私たちの代で新たに取り入れたもの全てを、私がいなくても後輩の力だけで成り立つ組織にしようと思い、活動してきました。

マネージャーの人数が決して多くない弊部でこの考え方はとても大切だと今となっては思います。当事者意識を誰よりも強くもてます。



私は高校時代、近藤(商4 慶應義塾湘南藤沢)、本多(経3 慶應義塾湘南藤沢)、有賀(商3 慶應義塾湘南藤沢)、井筒(経3 慶應義塾湘南藤沢)と同じ野球部でマネージャーをしていました。

当時は野球のルールから学び始め、マネージャーとしてどう部に所属すれば良いか答えが見つからないまま引退を迎えました。


結果、私自身は一切部に貢献できたと思えず自信は全くないまま野球部生活を終えました。


そのため、自己中心的すぎる理由ですが、2年半の思いや学んだことをアウトプットする場が欲しくて、準硬式野球部に入部しました。



残り5日間ありますが、高校時代と違い、全てやりきれたと思います。
爽快な気分で引退を迎えられそうなので幸せです。

マネージャーは部を支える立場ですが、そんなマネージャーも選手に支えられる場面は何度もありました。
OBの方々には可愛がっていただき、時には厳しいことも言われてきましたが、
先輩方から学ぶことはたくさんありました。



たくさん問題を抱えた私でしたが、これまで見守ってくれていた全ての方に感謝しています。


OBの皆様と保護者の皆様には引き続き、準硬式野球部を見守って頂きたいです。


3年半、ありがとうございました。



次のブログは監督補佐の山本裕哉(経4 慶應義塾)にお願いします。私が彼にラストブログを回すとは自分でも驚きです…一番喧嘩をした仲です。

お互い思ったことはすぐ口に出しなかなか引き下がれない者同士ですが、部に対しての熱い想いが人一倍あります。
明日は裕哉に法政戦勝ち点獲得の報告をブログでしてもらいたいです。



4年 花畑結衣
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