10月12日

10月12日

我が部の敏腕マネージャー花畑結衣(商4 慶應義塾湘南藤沢)からご紹介に預かりました、監督補佐の山本裕哉(経4 慶應義塾 写真左)です。

花畑から少し話があったように、彼女とは色々ありました。その件に関しましては、OBを含めチームメイトのみんなにはご迷惑をおかけ致しました。ごめんなさい。

しかし、皆様は信じないかもしれませんが私と花畑は本当は仲が良いです。まさに「喧嘩するほど仲が良い」ということわざ通りです。

一年生の時には、私の恋の悩み相談のため毎日LINEをし、

二年生の時には、新人戦前に猪砂(政4 立命館宇治)と花畑と私の三人でチームについて何時間も話し合い、

三年生の時には、私が率先して花畑へのバレンタインデーのお返しを買い、

四年生の時には、就活でお互いメンタルが弱ってる中、二人で励まし合いました。

時には、チームについて揉めることの多い二人ですが、花畑なしではチームは成り立ちませんでした。花畑本当にありがとう。



さて、話が長くなってしまいましたが、


本日の法政戦やりました!!!!!


エース竹原の好投もあり、6対4で法政を下し、法政から約二年ぶりの勝ち点を上げることができました!!


私達の代は、法政に新人戦で15対0で負けてからスタートしました。

あの敗戦から約二年かけて雪辱を晴らすことができました!!!心の底から嬉しいです。

この勢いのまま、今週末の早稲田も下し、完全優勝を狙うのみです!!



話は変わりまして、ラストブログということで、私自身についても少し書きたいと思います。
ラストブログあるあるですが、拙い文章になってしまう可能性があります。
思いのまま書きたいと思うので、ご了承下さい。



まず、私が準硬式野球部に入部した経緯から話したいと思います。




1. 何が何でも試合に出て活躍したかった。


高校時代、一回も公式戦にベンチ入りできなかった私は、自分が活躍してチームが勝つという喜びを味わってみたかったです。
そして、本球場という大きなグラウンドでプレーをしたかったのが一つ目の理由です。
幸運ながら、一年秋からベンチ入りをできた私は、様々な本球場でベンチ入りをすることができ、高校時代から念願だった横浜スタジアムでもプレーをすることができました。


2. 尊敬する兄に近づきたかった


私には、3学年上の兄がいます。

小さい頃からなにをやっても負け続けていましたが、常に目標にしてきた存在でした。

そんな兄が早稲田の準硬に入り、一年生から全日本で投手として投げている姿を見て、同じ舞台で戦いたいという思いから入部しました。

残念ながら、やはり兄の背中は遠く、全日本で活躍するという目標は叶いませんでした。

しかし、兄のおかげでここまで頑張れました。兄貴ありがとう。


3. 泣きたかった


私は、野球人生の中で悔し涙、嬉し涙というものを流したことがありませんでした。
学生時代の最後は、本気で野球に取り組み、涙を流したかったという少し変な理由です。
今まで、涙を流してこなかった私が、何回も悔し涙、嬉し涙を流したのはこの部活が最初で最後だと思います。

特に、新人戦で法政に15対0で負けた時は、自分の不甲斐なさから泣きました。

冒頭にも少しあったように、猪砂と花畑と何時間もどのようにベンチ外選手のモチベーションを保つか、どのように法政に勝つかということを永遠と話し合いました。

何時間もかけて話し合ったにもかかわらず、自分が出場できたのは、最終回の一回のみでした。痛み止めを飲んでも飲んでも痛みが引かない右肩は、この日も言うことを聞いてくれませんでした。

自分が引っ張って行くんだという気持ちで臨んだ新人戦にも関わらず、大敗してしまいました。

不甲斐ない気持ちでいっぱいで、野球人生初めて悔し涙を流しました。

そんな時に声をかけていただいた小西さん(H27卒)や小田さん(H27卒)、才茂さん(H28卒)には本当に助けられました。ありがとうございました。



そんなこんなで入部した私でしたが、今現在は監督補佐というポジションで選手をサポートさせていただいております。



選手を辞めて、監督補佐になるという決断を下すには長い時間葛藤しました。


様々な技術を教えてくださり、下級生のときから試合に使って頂いた先輩への申し訳なさ、


16年間も野球を続け、絶対に活躍するんだという思いで入部した自分自身への不甲斐なさ、


そして何より親への申し訳なさです。


16年間もの間、嫌な顔一つせず早起きをしてくれて、ずっと応援してくれた親には本当に申し訳ないと思っています。



選手を辞める際に、「もう選手として見れないのかあ、さみしいなあ」と言われた時には、なにも言えませんでした。


父ちゃん母ちゃん、本当にごめん。



しかし、自分が選手を辞めているのにも関わらず、出張の帰りスーツケースを引きずって試合を観に来てくれる父親、


毎週当たり前のように、今日観に行くからねーっと言ってくれる母親には頭が上がりません。


16年間本当にありがとう。


こんなに葛藤した私でしたが、最終的に監督補佐になるという決断を下したのは、猪砂主将の一言でした。



「お前がコーチになってくれたら、絶対いいチームになる。みんなで優勝しよう。」



この一言が、私を決断させました。



監督補佐になってからは、チームメイトに本当に助けられました。


すぐ頭に血が上ってしまう私を制止してくれる田中主務(政4 慶應義塾)、


ヘラヘラしているように見えて、やる時はやる猪砂主将、


おれが出なくてもチームが勝てばいいから、と言ってフォアザチーム精神旺盛の松島副将(環4 山手学院)、


後輩に舐められまくってるけど、下級生と上級生を繋げてくれている岡村副将(経4 慶應義塾)、


言うことが適当すぎるけど、自分にはストイックで、結果を残し続けている大瀬副将(商4 桐朋)、


他にも、最高の同期、後輩に恵まれました。



今現在主力としてチームを引っ張ってくれている、大島(総3 桐朋)、有賀(商3 慶應義塾湘南藤沢)、竹原(理3 横浜翠嵐)、井筒(経3 慶應義塾湘南藤沢)、


試合にあんまり出れてないのに、自分を押し殺してBのメンバーのモチベーションを保ってくれている、油科(環3 川和)


あと、タンク(中濱遼 政3 慶應義塾)。


一人一人に思入れが深すぎて書ききれませんが、


本当に最高のチームです。



監督補佐というポジションをやって本当に良かったと思います。



絶対にこのチームで優勝をして、最後に織戸監督、猪砂主将を胴上げしたいと思います。



長くなってしまいましたが、次は田中優作(政4 慶應義塾 写真右)にバトンを渡したいと思います。
優作は、高校からの仲でいつも一緒に行動しています。時には喧嘩もしますが、5分後にはお互い仲直りをします。
優作はチームに対して人一倍熱い想いを持っているので、熱いブログに期待しましょう。

優作よろしく。

Never Say Die


4年 山本裕哉
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