10月10日
投げては矢のような送球、打ってはグランドスラム、呑んでは水を飲むようにお酒を流し込む、公私共に仲の良い大瀬裕太(商4 桐朋)から紹介を受けました川崎竜志(経4 慶應義塾志木 写真中央)です。
彼は僕に借りがあると思っているようですが、僕はそんな風には思っていません。
友情はプライスレスです。
困ったときはお互い様なので、その時に助けて貰えれば嬉しい限りです。
本日は法政戦第1戦目が行われ、本塾は4-8と負けを喫しました。リーグ戦優勝に向けて、明日の試合は絶対に勝たなければいけません。自分達にできることを1つ1つ積み重ねていきたいと思います。
さて、僕もみんなに倣って思いの丈を文章に綴ることでラストブログリレーを繋ぎたいと思います。少し長いですがどうかお付き合いを。
皆様ご存知の通り、僕はイップスでボールが思うように投げられません。野球を始めて14年のうち、現在に至るまでの7年間イップスと付き合ってきました。
高校時代には監督にボールをぶつけたこともありました。
イップスが治ったと思い入った準硬式野球部では入部早々に暴投し、怖い先輩に怒鳴られました。
そんな怖い先輩を見返そうと、日々練習して来ました。
その甲斐あってか、2年の秋リーグからは代走、バント要因としてベンチ入りを果たしてきました。
自分の役割を全う出来ることも出来ないこともありました。
ケガもたくさんしました。
故に、秋の定期戦も一回も出たことがありません。
ザッと振り返ればこんな感じです。
鮮明に思い出せば、「たられば」 な悔しい思いもたくさん蘇ります。
9回ツーアウトでの代走のあの場面でコケなければ、
ノーアウト1、2塁での代打バントで一塁側に転がしていれば、
肉離れさえしていなければ、
ボールを思うように投げることが出来れば、、、と。
嬉しいことももちろんありました。
怖い先輩からセーフティーバントを決めて出し抜いてやった時、
練習試合で初めて先発してツーバウンドながらもホームで捕殺出来た時、
特にリーグ戦で勝利の喜びを真近で共有できた時
は、このために生きてきたんだとさえ思えるくらい感動するものがありました。
こんな準硬式野球生活を送ってきた僕ですが、今猛烈に感じているのは、足が速くて良かった、走塁が上手くて良かったということです。
この足がなければ、試合に出ることはおろか、ベンチ入りすら出来ていません。
信じるか信じないかは、あなた次第ですが、僕は高校1年生の頃は、大脇(政4 慶應義塾志木)と肩を並べるくらい足が遅かったです。
高校野球で教わったトレーニングを毎日地道にやった結果、僕は足が速くなることが出来ました。過去の自分が頑張ったから、今の自分があるのです。
逆に、過去の自分の行動力の無さ故に7年間のイップス生活から抜け出す事が出来なかったのだと痛感しています。
こんな野球生活から学んだことを後輩たちに、こんな言葉で送ろうと思います。
『今が過去を作り、今が未来を変える。』
学生生活、色々な過ごし方があると思います。
麻雀やギャンブルに明け暮れるもよし、
合コンやバイトもよし、
ゼミで勉学に励むもよし。
しかしながら、このどれを取っても、野球グランドで味わえる勝利の喜びには及びません。
スタンドで味わうよりも、ベンチで味わう勝利は全然違います。
ベンチで味わう勝利よりも、グランドに立って味わう勝利は想像以上のものでしょう。
そんな喜びを後輩たちには追いかけてほしいと思います。
今何をすべきかを常に考えて、それを行動に起こしてほしいと思います。
過去は変えられませんが、今の自分の行動が未来を変えることはできます。
偉そうで申し訳ございませんが、僕の野球経験と人生の先輩からということで受け取っていただければ幸いです。
最後になってしまいましたが、こんなワガママで気分屋の自分と仲良くしてくれた同期には本当に感謝してもしきれない思いで一杯です。
特に中学からの仲である片井琳太郎(経4 慶應義塾志木 写真右)には、いつもキャッチボールに付き合って貰いました。本当にありがとう。
後輩たちもグランドを始め、餃子パーティーでも下準備でお世話になっております。
卒業された先輩たちにも、投げ方や飲み会でたくさんお世話になりました。
また、OB会には新しいマシンの資金援助、
父母の方々には遠路はるばるの試合観戦、
たくさんの人に支えられて、この準硬式野球部は成り立っていると思います。この場を借りて、感謝の意を示すと共に、ぜひ優勝して恩返ししたいです。
長々と語ってしまいましたが、ここらでラストブログのバトンを回したいと思います。
次のブログは花畑結衣(商4 慶應義塾湘南藤沢)が担当します。彼女とは、若かりし頃ドンパチやっていましたが、今となっては良い思い出です。
今はみんなのマドンナで最近美貌に磨きがかかっている彼女からの最後の思いに期待です。
“一瞬に生きる”
4年 川崎竜志
彼は僕に借りがあると思っているようですが、僕はそんな風には思っていません。
友情はプライスレスです。
困ったときはお互い様なので、その時に助けて貰えれば嬉しい限りです。
本日は法政戦第1戦目が行われ、本塾は4-8と負けを喫しました。リーグ戦優勝に向けて、明日の試合は絶対に勝たなければいけません。自分達にできることを1つ1つ積み重ねていきたいと思います。
さて、僕もみんなに倣って思いの丈を文章に綴ることでラストブログリレーを繋ぎたいと思います。少し長いですがどうかお付き合いを。
皆様ご存知の通り、僕はイップスでボールが思うように投げられません。野球を始めて14年のうち、現在に至るまでの7年間イップスと付き合ってきました。
高校時代には監督にボールをぶつけたこともありました。
イップスが治ったと思い入った準硬式野球部では入部早々に暴投し、怖い先輩に怒鳴られました。
そんな怖い先輩を見返そうと、日々練習して来ました。
その甲斐あってか、2年の秋リーグからは代走、バント要因としてベンチ入りを果たしてきました。
自分の役割を全う出来ることも出来ないこともありました。
ケガもたくさんしました。
故に、秋の定期戦も一回も出たことがありません。
ザッと振り返ればこんな感じです。
鮮明に思い出せば、「たられば」 な悔しい思いもたくさん蘇ります。
9回ツーアウトでの代走のあの場面でコケなければ、
ノーアウト1、2塁での代打バントで一塁側に転がしていれば、
肉離れさえしていなければ、
ボールを思うように投げることが出来れば、、、と。
嬉しいことももちろんありました。
怖い先輩からセーフティーバントを決めて出し抜いてやった時、
練習試合で初めて先発してツーバウンドながらもホームで捕殺出来た時、
特にリーグ戦で勝利の喜びを真近で共有できた時
は、このために生きてきたんだとさえ思えるくらい感動するものがありました。
こんな準硬式野球生活を送ってきた僕ですが、今猛烈に感じているのは、足が速くて良かった、走塁が上手くて良かったということです。
この足がなければ、試合に出ることはおろか、ベンチ入りすら出来ていません。
信じるか信じないかは、あなた次第ですが、僕は高校1年生の頃は、大脇(政4 慶應義塾志木)と肩を並べるくらい足が遅かったです。
高校野球で教わったトレーニングを毎日地道にやった結果、僕は足が速くなることが出来ました。過去の自分が頑張ったから、今の自分があるのです。
逆に、過去の自分の行動力の無さ故に7年間のイップス生活から抜け出す事が出来なかったのだと痛感しています。
こんな野球生活から学んだことを後輩たちに、こんな言葉で送ろうと思います。
『今が過去を作り、今が未来を変える。』
学生生活、色々な過ごし方があると思います。
麻雀やギャンブルに明け暮れるもよし、
合コンやバイトもよし、
ゼミで勉学に励むもよし。
しかしながら、このどれを取っても、野球グランドで味わえる勝利の喜びには及びません。
スタンドで味わうよりも、ベンチで味わう勝利は全然違います。
ベンチで味わう勝利よりも、グランドに立って味わう勝利は想像以上のものでしょう。
そんな喜びを後輩たちには追いかけてほしいと思います。
今何をすべきかを常に考えて、それを行動に起こしてほしいと思います。
過去は変えられませんが、今の自分の行動が未来を変えることはできます。
偉そうで申し訳ございませんが、僕の野球経験と人生の先輩からということで受け取っていただければ幸いです。
最後になってしまいましたが、こんなワガママで気分屋の自分と仲良くしてくれた同期には本当に感謝してもしきれない思いで一杯です。
特に中学からの仲である片井琳太郎(経4 慶應義塾志木 写真右)には、いつもキャッチボールに付き合って貰いました。本当にありがとう。
後輩たちもグランドを始め、餃子パーティーでも下準備でお世話になっております。
卒業された先輩たちにも、投げ方や飲み会でたくさんお世話になりました。
また、OB会には新しいマシンの資金援助、
父母の方々には遠路はるばるの試合観戦、
たくさんの人に支えられて、この準硬式野球部は成り立っていると思います。この場を借りて、感謝の意を示すと共に、ぜひ優勝して恩返ししたいです。
長々と語ってしまいましたが、ここらでラストブログのバトンを回したいと思います。
次のブログは花畑結衣(商4 慶應義塾湘南藤沢)が担当します。彼女とは、若かりし頃ドンパチやっていましたが、今となっては良い思い出です。
今はみんなのマドンナで最近美貌に磨きがかかっている彼女からの最後の思いに期待です。
“一瞬に生きる”
4年 川崎竜志