ENJOY JUNKO BASEBALL
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9月28日

9月28日

こんばんは。
残暑が続く今日この頃。

共に野球をすること7年目の花牟礼航大(経4 慶應義塾)から紹介を受けました吉野元(経4 慶應義塾)です。

高校1年の春に彼と出会った時は、衝撃でした。世の中にはこんなおもしろい(見た目の)人間がいるのかと、、、

そんな彼らには何度いたずらを仕掛けたことでしょうか、、、
今継続中の仕掛けが、、
いつ気づかれるのか、、
ハラハラドキドキです。


本日も日吉台球場で練習が行われました。先週から授業が始まりましたが、ほぼすべての単位を取り終えた四年生を中心に、多くの部員がリーグ戦に向けて活動していました。
しかし、学生たるもの学業をおろそかにしてはいけません。午前は練習、午後は授業。メリハリが大切です。
前期取得4単位
卒業まであと14単位
この履修登録のままでは卒業単位に足りません、と学事からの通知
いやいや、
そんなんどうでもいいくらい大変だったのよ、と文句を言う私
こんな私が後輩に伝えられることは、「何事にも未来の姿を想像しながら行動することは大切だよ」ということ。野球も勉強も人生も、、、
追加履修の期限に迫られ、なんだかんだ焦りながらこのブログを書いています。



さて引退が迫っているということで、各々が自分語りをつらつらと書いています。私はそれを見て、「みんな色々あったんだなぁ、成長したんだなぁ」と、見た目通り小学生のような感想を抱いています。

そこで私も4年間を振り返りました。
かなりブルーな気持ちになりました。
絶望的な文章力で頑張って書きます。


高校で一度もベンチ入りすらできず、とにかく試合で活躍したいと入部した準硬式野球部。


1年秋の立教戦の8回、ブルペンで肩を作り、いざマウンドに向かおうとした、その時。





「やっぱ高木でいくわ」


えーーーー、、、、、、


オープン戦ではある程度コントロールが良いので試合を壊すことはない、使い勝手最高!
ということで、誰か(野田、近藤など)が崩れたら行くよ、という毎度お馴染みの起用法。

ある程度結果を出すからリーグ戦のベンチに入るも、いつでも投げられるようブルペンで1回から9回まで肩を作り待機したこともあり、、、


リーグ戦で投げたら、地味に点を取られ、法政の小野にホームランを打たれ、、、、


春の東大戦では竹原から勝ち星を盗みなんとも言えない気持ちになり、、、


まったく活躍できてないじゃん、、、と
自分の理想とはかなりかけ離れてしまいました。


試合で結果を出した時も、織戸監督には
「球威が〜、緩急が〜」
と150回くらい言われ


いつだかの合宿で猪砂に
「おまえ野球下手になってね?」
と言われ


1年時に共にベンチに入った高木は、ベンチ入りしていない私に
「おまえそこでなにやってんの笑」
と言い


バッテリーミーティングで有賀に
「劣化してます」
と言われ

ガコッ、、ボテボテ、、
「おまえ全然球こないな笑」
「んー、、、スライダーだからねー、(ストレートだけど、、)」
と言う毎度の会話をこなし


通学の1時間半を上手く利用しきれなかったり


上手くいかないことだらけで、自分の弱さが際立つ、準硬式野球部での生活でした。



ただ、そんな中で得た仲間が大きな財産です。
私個人のことに対して、自分のことのように喜んでくれる同期や後輩、OBの方がいました。
慶應義塾準硬式野球部に関わる人すべてに感謝の心を忘れません!!


つらつらと書きながら小学生時代を思い出しました。

読書感想文を自信満々に母親に見せたところ、

「これはただの要約だ」と一蹴され、その後泣きながら母親と感想文を仕上げたことです。
他の人のようにご立派な文章を書けない私をお許し下さい。



明日は、なぜか選手時代より学生スタッフになってからのほうが精力的にトレーニングに取り組んでいる、大脇拓仁(政4 慶應義塾志木 写真)がブログを担当します。

先日、炭水化物ダイエットで身体がかなり萎んでおりました。貧相です。
なので元気いっぱいで立派なラストブログを期待しています!

遅刻厳禁

4年 吉野元
9月26日

9月26日

こんにちは!
低運動神経界ではプロ並の野球センスを持っている藤川淳(経4 慶應義塾)から紹介を預かりました、投手の花牟礼航大(経4 慶應義塾 写真左)です。CJ(藤川淳→キャンドルジュン→CJ)とは高校の頃から辛いマイナー生活を過ごした仲で、同じマイナー民として試合で活躍してくれる姿は自分の事のように嬉しいです。現在リーグ戦のポイントが101.5点と突っ走っているCJの活躍に今後も乞うご期待です。

さて引退まで残り3週間、日吉での練習はあと10日強という事で、ひしひしと引退が近づいていることを身に染みて感じています。ラストブログということで私も過去のブログのフレームワークに沿って自分の野球人生について振り返らせて頂こうと思います。 長々とした駄文になっているかと思いますがどうか最後まで見ていただけると幸いです。

まず私は1年秋に同期の松島(環4 山手学院)、貝持(経4 桜美林)とほぼ同時期に入部しました。俗に言う秋入部組です。なぜ秋まで入部しなかったのか。その背景には硬式野球部リタイアという私にとっての大きな闇があったからです。その現実を受け入れる事が出来ない惨めな空っぽな自分に嫌気が刺していました。

「それでも本気で野球がしたい。」

硬式野球部を辞めた後、一ヶ月考え抜いた末に出た結論がこれでした。この想いを叶える為に最もふさわしいと考えた団体が今所属している準硬式野球部です。
そして半年間の謹慎処分の間に2週間に1度ピッチングにお付き合い頂いた元投手コーチの曽根さん(昭和32年 甲子園優勝投手)には本当に感謝しております。

「痛いっ!」

と言いながらも、私の3球に1球叩くボールに対し、何度も何度も防具無しでストッピングをしてくださった事を今でも鮮明に覚えています。ありがとうございました。

そしてやっとの想いで入部したものの私の野球生活は「挫折の連続」でした。正直上手くいった思い出はほぼありません。
特に3年春、東大戦の開幕先発投手として投げるも、3回4失点で負け投手となってしまった経験は忘れる事が出来ません。とても悔しく自分の存在意義が見出せなくなりました。
しかし試合に出ていなくともひたむきに努力を続ける塚本さんの背中を見て、自分も変わらなければいけない、入部当時の覚悟はどこいった、と自問自答しまくりました。
そこから後悔の無いよう80m走やボールボーイを全力でやったり、ベンチでむちゃむちゃ声を出したり、ほんの少しの意識ですが自分を変えました。
冬の長期自主練期間にも有賀(商3 慶應義塾湘南藤沢)と共にリーグ戦で活躍するために色々考え、おそらく1000球くらいは投げ込みました。本当感謝してます。ありがとう。
そして試行錯誤を重ね迎えた4年春。リベンジ東大戦の機会がやってきました。ここで抑えられれば最高だったのですが、結果はあえなく打たれリベンジを果たす事は出来ませんでした。今でも、もがき苦しんでます。

こんな挫折ばかりの野球人生でしたが、だからこそ1つ言えること、

「自分で決めた目標や夢だけは絶対最後まで貫き通して欲しい」

他人からどう言われたって見られたって正直どうでもいい。でも過去の自分に笑われたら終わりなんじゃないかなって思います。
だから今の自分が過去の自分から見て恥じない生き方をしてるかどうか常に考えて欲しいです。そしてありのままの今の自分を全て受け入れ、変える勇気を持てばきっと満足した野球生活が送れると思います。

そして最後になりますが、やっぱりここまで頑張って来れたのは仲間の存在が1番大きいと思っています。
私の事を常に叱ってくれた先輩方、ほぼタメ語で同期みたいになってる後輩達、そしていじりすぎディスりすぎですが、こんな中途半端な形で入部した私を受け入れてくれた同期には本当に感謝したいと思っています。
何1つ欠けても今の自分は無いと思います。
この仲間達と最後の最後絶対優勝したいです。そして準硬式野球部に入って本当に良かったと思えるよう、引退の時が来るまで全力で突っ走ろうと思います。本当にみんなありがとう!

明日のブログはCJ同様高校の頃からの同期である吉野元(経4 慶應義塾 写真右)にバトンを渡したいと思います。彼はいたずらが大好きで、7年間でされたいたずらを挙げたらキリがありません。靴にGGをまかれ脱げない、おもりをバッグに入れられ背負えない、水に濡らしたベーティーを冷凍庫に入れられ固まり着れない、そんなしょうもない事ばかりしてます。そんなふざけてるガンツ(元→がん→GANTZ)ですが4年間の思いの丈を真面目に語ってくれるので期待しましょう!

首尾一貫

4年 花牟礼航大
9月25日

9月25日

高校時代はそこそこ尊敬していた先輩ですが、今ではプライベートの悩み相談を積極的に私にするようになった名田屋秀平(商4 慶應義塾)から紹介されました藤川淳(経4 慶應義塾 写真左)です。完全に立場逆転です。

名田屋は部員と話す95%の会話がふざけてます。
気に食わないことがあるとすぐ悪口に走ります。

そんな彼ですが実は非常に真面目で、いいやつです。就職活動の際、「おれの長所と短所教えて」と聞いたところ、数時間で的確な回答が返ってきました。真面目な名田屋のお陰で数々の面接を乗り越えることができました。

本日はAチームが午前練習、午後にはBチームを中心に紅白戦を行いました。全員が平等にチャンスをもらえるとはいきませんが、チャンスは誰にでも訪れます。いつどのような状況で出されてもいいように、日々準備を怠らないようにしましょう。

さて、こんなに仲が良い集団が他にいるか?というくらい仲が深まった同期、こんなに理想的な上下関係になれる集団が他にいるか?というくらい最高な後輩と野球ができるのも残りわずかとなりました。

最後のブログを書くにあたって、みんなのように過去を振り返ってみようとめちゃくちゃ考えました。なぜ野球を始めたのか、なぜ慶應に入って野球をやろうと思ったのか、なぜ準硬式野球部に入部したのか。
結果、わかりません。
気付いたらこうなってました。「初心を忘れるな」とよく言いますよね。綺麗さっぱり忘れました。

なので、私は後輩宛てのメッセージを兼ねて書こうと思います。
まだ22年間しか生きていない私が偉そうなことは言えませんが、以下のことを忘れなければ残りの野球人生必ず好転すると信じています。もちろん日常生活にも役立ってくれれば幸いです。



「将来の自分の理想像を明確に思い描き、それに向かうための目標を設定し、達成するために常にチャレンジする」

みなさん、どうでしょうか。何年後にはこうなっていたい、何十年後にはこういう生活をしていたい、来年はこういう形でチームに貢献したい...
具体的に思い描けていますか?日々チャレンジしていますか?

がむしゃらに努力し「今を生きる」ことが大切...
もちろん大切ですが、それだけではダメです。自分はこの時期までにこうなりたい!だから今はこれに取り組みこの課題を克服しようとしている!このように明確な目標を掲げ、それを達成するためのステップを一つ一つクリアしていく。ここまでできてやっと「今を生きる」意味があると思います。

そこで一つ忘れてはいけないこと。
それは日々「達成感を味わう」ことです。
人間は達成感こそ次へのモチベーションとなるそうです。そのため、最終的な目標達成までのステップで小さい達成感を味わいながら、常にモチベーションを保ちながら、物事に取り組むことが重要です。

私はこのような考え方を持つようになってから様々なことが好転した気がします。是非後輩にも知っておいてほしいです。

このことを含め、今年度内野チーフを担っていた私は今年の内野陣に次の2つのことを言い続けたつもりです。(最近は全員揃うことが少ないため言えていませんが)

・常にチャレンジし、失敗し、課題を見つけ、それを克服するためにまたチャレンジすること

・痛めている箇所を悪化させないこと

怪我ほど厄介なものはありません。目標を見失ってしまうから。ステップを踏めなくなるから。だからこそしつこく言ってきました。

さらに監督や学生スタッフに常に評価されている中で、「チャレンジ&失敗」することは決して容易ではありません。例え練習でエラーしても、チャレンジして失敗した結果のエラーなら良いと私は思いますが、首脳陣からしたらそうはいきません。ここの考え方のギャップは埋まることはないでしょう。しかし、そんな状況でも今年の内野陣は全員が日々実践できていると感じます。

何かあれば私に弱音を吐くものの、実は裏には物凄い責任感が宿る大島(総3 桐朋)。

その大島を超えるほどの責任感を持っているものの、実はとっても優しくピュアな井筒(経3 慶應義塾湘南藤沢)。

その井筒を超えるほどの優しさを持っているものの、実は物凄い考えて練習する努力家の西村(法3 慶應義塾)。

ただのキチガイかと思いきや、実は裏には物凄い熱い想いを秘めて努力を絶やさない油科(環3 川和)。

あと1年内野手としてやっていけるのかという心配が絶えない嶋内(政3 慶應義塾)。

学生スタッフへ転身後も積極的に練習メニュー改善に関わってくれる元内野手中濱(政3 慶應義塾)。

この6人の3年生内野手に加え、

練習を常に盛り上げてくれる5人の2年生内野手、
それぞれ個性溢れる13人の1年生内野手。

そして我々6人の4年生内野手。

この30人の内野陣は私の誇りです。
12年間の野球人生全て内野手としてプレーしてきましたが、最後がこのメンバーで本当に良かったです。あとは残りの試合で勝ちを積み重ねるだけ。まだまだ成長し続けます。

「長すぎる」という声が聞こえてくるので、この辺で失礼します。
明日は就職活動中、幾度となく将来の理想像について語り合った花牟礼航大(経4 慶應義塾 写真右)がブログを担当します。
彼は名田屋とは違い、会話の95%いじられています。いじられることを生きがいとしている反面、真面目に話すと見違えるほど真面目になる花牟礼は最後どのようなブログを書くのでしょうか。
期待しましょう!!

Opportunity is NOW HERE

4年 藤川淳
9月24日

9月24日

攻守共に高い実力を持ちながらもいまいち存在感の足りない潮田博紀(政4 慶應義塾志木)から紹介されました名田屋秀平(商4 慶應義塾 写真中左)です。
皆さん、先日の立教戦の潮田君のプレーをはっきりと覚えていますか?僕は覚えていません。

潮田君は地味とはいえ、とにかく器用でひょうきんなので、彼といるとなにかと退屈しません。僕も彼と談笑したり、相談したり、食事をしたり、三井のお雛様を見たり。多くの時間を過ごしてきましたが、退屈したことはありません。あっても彼のせいではありません。


彼がもどかしさ、とか言っていましたが、僕のはそんなもんじゃありません。「痛み」です。野球もプライベートも、痛みに耐えて戦っています。特にプライベートの方は打席も貰えそうにないですが、両方で最高の結果に向かい努力する所存です。奇跡よ起きろ。

痛みを感じ、それに耐えてきた準硬式野球部での生活ももう少しで終わってしまいますが、もう素振りもトレーニングも体のケアもしなくて良くなるのか、と考えると、練習嫌いの僕には少しだけ嬉しいことなのかもしれません。そもそもそこまでやっていませんが。

「振り返るの俺はやらないわ」とか言っていた潮田君も振り返っていましたし、僕も野田君以外の皆に倣ってここまでを振り返りたいと思います。



高校時代は二軍戦どころか三軍戦にも出られず、放ったヒットは2本ぐらい、おまけに学業では留年、というザ・落ちこぼれの僕は、最後の夏の大会が終った瞬間に「よし、これで野球とはおさらばだ」と、残りの学生生活(この時点で残り5年)を遊び続けて過ごそうと決意しました。別に向いてる、向いてないの話ではないのでここにはつっこまないで下さい。

その資金を稼ぐため、アルバイト漬けの日々を送っていたある日、母校の先生から誘いを受け、断れずに中学野球部のコーチに就任する羽目になってしまいます。

最初こそ苦労(生徒に38歳だと思われていたり)しましたが、下手でもがむしゃらに野球を楽しむ子供達の姿に僕の気持ちは変えられていました。
気がついたときには、真剣に野球をしたいという気持ちが再燃していました。そうしてその時たまたまお誘いを受けていた準硬式野球部に入部することになったのです。

ここから大活躍でもすれば非常に格好いいのでしょうが、残念ながらそこは僕です。そこまで格好良くなるはずもありません。

全く打てず、全く守れず、全く走れず、挙げ句の果てに納会で酔ったOBの方に「猪砂、お前は最高のショートになれ!」と間違えられ、散々な毎日でした。
まあ普通に考えれば高校で三軍戦に出られなかった選手がいきなり活躍しようだなんて話がうますぎます。そんなことは漫画位でしかありえないことです。


そんな僕に声を掛けて下さったのが、二学年上のとある先輩でした。
その先輩は、「お前は野球に対しては真面目だから、俺の技術で良ければお前に教えてやる」「2年の秋にはベンチ入りを狙えるようにしてやる」と、僕に技術指導をしてくださいました。
実際にベンチ入りしたのは4年の春だったので、そこは少し申し訳ないと思っていますが、それも僕らしいです。

そこから、僕は大きく変わりました。試合でもヒットが打てるようになり、僕の実力を認めてくれる人も増えてきました。

こうして失敗と成長を繰り返してきた選手生活も残り本当にわずかですが、その先輩と約束した、リーグ戦で活躍するという目標はないがしろにできません。

僕のここまでの人生、周囲の人たちに非常に恵まれてきました。

名前を上げればキリがありませんが、時に色々指導し、時に面白くいじってくれて、僕に居場所を作ってくださった先輩方。

試合や練習、合宿にまでも足を運び、激励の言葉をくださるOBの方々。

こんな僕でも程よく慕ってくれ、毎日楽しませてくれる可愛い?後輩達。

今でも中学生みたいなテンションで、昔を思い出しながら遊ぶことが出来る地元の友達。

今はそれぞれの場所で活躍する、高校時代のチームメート。

三田論や意味のわからない輪読に共に立ち向かったゼミの仲間。

僕と同じで口下手な両親。

そして、人のプライベートやデリケートな部分も容赦なく笑いの種にする、あまりに個性的すぎて最高と言うことが出来るかどうかはさておき、大好きな同期。

そんな人達の心の中に、微かにでも僕が存在していて、頑張れ、と少しでも思ってくれているのなら、僕は諦めません。最後の瞬間が来るまでやり通します。

最後に後輩たちに言っておきます。
絶対に諦めないでください。僕みたいな選手でも、主力の怪我に上手くつけこんだりして試合に出たりベンチに入ったりしてきました。何がどうなるかわかりません。人は意外と変わります。
高校時代、どうやって早く帰るかしか考えていなかった僕が毎日素振りを、なんて言ったら高校の同期は信じないと思います。自分の可能性を勝手に決めるやつはいじめに行くので悪しからず。

これだけの量書くと「やっぱり熱いな〜」とかニヤニヤしながら言ってくるやつが何人かいるような気がするので弁解しておきますが、リレー1人目の本多(経3 慶應義塾湘南藤沢)の頃辺りから書いているからこその長さですのでご了承下さい。

つい冗長になってしまいましたが、僕の話はここまでです。
チームは優勝のため、猪砂主将以下、もう少しだけ突っ走ります。皆様、このチームにもう少しだけご声援願います。
頂点の景色を全員で眺めたいと思います。

僕が最後にブログを託すのは藤川淳(経4 慶應義塾 写真中右)です。かつて後輩だった彼ですが、今では使いっぱしりをさせられるようになったりと、上下関係がなくなるどころかひっくり返ってしまったように感じています。それでも僕はグラウンド内での彼の賢さに一目置いています。
さらに、僕たちはグラウンド外でも非常に仲良く、二人でこれからも某先輩に焼肉をご馳走になろうと、たかっていきたいと思います。
彼の知性溢れる秀逸なブログにご期待ください。

人間万事塞翁が馬

4年 名田屋秀平
9月23日

9月23日

準硬式野球部のわがままボディ野田啓介(経4 慶應義塾)から紹介預かりました、内野手の潮田博紀(政4 慶應義塾志木)です。彼は、いつ誘ってもフットワーク軽く来てくれるためよくご飯に行きます。今度暇でご飯食べたい時は彼を誘ってみてください。すぐに来ます。

さて、これまでの私が担当したブログでも一度も自分のことについて振り返ったことがなかったので、この機会に振り返させていただきたいと思います。日本語が苦手なので拙い文章になってしまいますがご容赦下さい。

私の大学野球での生活を振り返ると「もどかしさ」が一番最初に頭に浮かびます。

「まあ、いけるっしょ!!」

こんなクソ生意気な感じで野望もなく入部した私は、入ってすぐ実戦練習にも参加させてもらい、華々しいスタートをきりました。そして迎えた若手の活躍の場、新人戦。華々しい活躍をしてやると意気込んで挑んだ結果、
まさかの守備で3エラー。誰でもいいから代わってくれ!と思いながら守った地獄のような試合を経験しました。
ここから私の歯痒い野球生活が始まりました。
1年生の秋、いい感じに調子が上がってきた時に大遅刻。
チャンスをもらえたと思ったらトンネルエラー。新チーム始まってレギュラー争いがかかった試合で何でもないフライを落球…。

挙げればキリがないほど自分に対してもどかしい思いをして苦しみました。

しかし、苦しみながらも心折れずに続けた結果、4年の春には初めてリーグ戦全ての試合でベンチ入りすることができ、スタメン出場も果たすことができました。この時は本当に諦めないで良かったと思えた最高の瞬間でした。これからまだ東大、法政、早稲田が残っているので最後に優勝して私の大学生活の中から「もどかしさ」というものを完全に払拭したいと思います。

最後に、本当にありきたりで絶対書きたくないと思っていましたが、やはり先輩や後輩、同期なしには心折れずにやってこれなかったと思いますので感謝したいと思います。
朝練だけでなく昼も夜もご飯に誘ってくださった先輩。
プレーではなくグローブだけを褒めてくれる後輩。
同じ西武線だからという理由だけでご飯に連れていけとうるさい後輩。
そして何より私が笑えない状況の中でもいじって笑いに変えてくれた同期たち。
本当にありがとうございます。

次のブログはそんな感謝をしている同期の中の一人。代打で打席に立てば何か試合を動かすミラクルを持つ男、名田屋秀平(商4 慶應義塾 写真)にお願いしたいと思います。彼も私と同様もどかしさを感じながらも諦めず4年生になってから活躍した中の一人です。現在ではプライベートでももどかしさを感じているようですが、公私ともに打席に立ってバットを振ってミラクルを起こしてほしいものですね。

変えられるものを変える勇気

4年 潮田博紀
9月22日

9月22日

毎日連絡を取り合い、恋人なのではと錯覚するくらい仲の良い坂本遼(環4 川和)からバトンを受け継ぎました、同じく投手の野田啓介(経4 慶應義塾)です。 彼とは、合宿の度に2人で風呂に入り、恋の悩みや野球の悩みを打ち明け語り合ったものです。

歓喜に沸いた立教戦から一夜明け、本日の練習は生憎の雨でしたが、室内でのバッティング練習を行いました。
昨日の市野澤文太(商1 慶應義塾)の活躍に奮起されてか、多くの下級生が練習後も自主的にマシンバッティングをしており、リーグ戦後半は第二、第三の市野澤に期待出来そうです。

話は少し変わりますが、今年は私の中で、非常に野球が熱い年だったと感じております。
25年ぶりに広島カープがリーグ優勝、昨年に続く清宮ブーム、宮台選手を中心とした東大旋風、横浜DeNA初のCS進出、今も続くソフトバンク日本ハムの首位攻防、有賀ベストナイン…

また、東京オリンピックから野球が競技種目に復活するなど、野球熱再燃を感じさせる年なのでは、と思っています。
そんな熱い年の中、我が塾準硬式野球部も負けないくらい熱いです。

今春は最後まで優勝争いに食い込み、秋も明治に連勝、立教からも8季ぶりに勝ち点奪取と、ノリに乗ってます。
ここまで力をつけてきたのには、週6日の練習と毎日の自主トレーニングなど、並々ならぬ努力があるからです。
ただ、それだけではありません。

新人戦で法政に15点差で大敗、関東大会で早稲田に20点差で大敗、東大に完封負け、3季連続5位…
多くの絶望を味わってきたチームだからです。自分たちの弱さを知ってるこそ、組織として強くなることが出来ました。

今では他大に負けない二枚看板に絶対的なリリーフエースもいます。六大最強捕手に、天才打者、レーザービームを放つ鉄壁のセンター、打率5割越えのスーパールーキーもいます。
ここだけでは語れない最高の選手達が揃っています。
慶應が見せるジャイアントキリング、見に来ませんか??

早慶戦は優勝で締めくくります。
皆さんの応援、是非お待ちしております!!

長くなりましたが、次は潮田博紀(政4 慶應義塾志木 写真)にバトンを繋ぎます。
立教戦3戦目では猪砂に代わりスターティングメンバーを務め、安定した守備と打撃を見せてくれました。
プライベートでは、坂本にも負けないくらい僕と毎日連絡をとるくらい仲の良い同期です!!
野球もプライベートも絶好調間違いなしのうしくん!よろしく!!

All's well that ends well.

4年 野田啓介
9月20日

9月20日

こんばんは。引退は間近ですが卒業は間近ではありません、投手の本多正幸(経4 慶應義塾湘南藤沢)です。

本日は、第3戦までもつれている立教戦が雨の影響で行われず、各自室内などで調整を行いました。
悪天候が続きますが、メンバーにはなんとしても勝ってもらい、そのために私は全力でサポートしたいと思っております。

さて
4年生23名の引退まであと約1ヶ月となり、ラストブログリレーの時期となりました。なぜ最初が私かは分かりませんが、書かせていただきます。

私は高校最後の夏を三塁コーチ兼ブルペン投手として終え、その瞬間から体育会準硬式野球部への入部を決めていました。理由は、目の病気もあり思うように練習できず、公式戦も未出場で投手として不完全燃焼だったからです。

入部時の挨拶で、「試合でメガネが投げていたら私なので覚えてください」と言ったっきり、メガネの代名詞はリリーフエースの村石(経2 慶應義塾志木)に完全に奪われました。

入部してから3年半程たち、私は本当にこの部でよかったと心から思えています。
1、2年の時は先輩に「陸上に転向しろ」と5000回くらいは言われました。(競走部の方々すみません)
バントで指を詰め、得意のはずのランニングで肉離れも2回ほどしました。
オーバースローからアンダースローまで全部試しましたが、その酷さ故に某コーチから「君はいつもそのフォームなのか?」と言われたこともありました。
こんな私に4年間投手を続けさせてくれた監督、コーチ、仲間に感謝しかありません。

特に仲間の存在は大きいです。
先輩達は3代それぞれ色は違いましたが、皆尊敬できる方ばかりでした。
後輩はさらに代によって様々です。特に3年生は確固たる理論を持っているやつ、2軍でもリーダーシップが凄いやつ、漢検を頑張るやつなどいて、私自身学ぶことも多々ありました。
そして私は今、同期が本当に大好きです。
紆余曲折はありましたが、現在とても良い関係で野球ができています。
この部でよかったと思えているのも、確実に同期のおかげです。ありがとうございます。
最高の同期と共に、是が非でも優勝します。

そして不思議なことに、ここ最近特に野球が本当に楽しいです。
あと1ヶ月ですが、この時期に楽しいと思えることを幸せに感じ、選手としても少しでも上手くなって終わりたいです。

結局高校からできていない公式戦出場の夢はまだ叶っていませんが、今は最高の87名で優勝していつも私をいじってくださる織戸監督を胴上げしたい気持ち一つです。
明日は必ず勝ちます。

次は、投手チーフの坂本遼(環4 川和 写真)に回します。
坂本とは練習も私生活もよく共にしました。
彼は高校時代、本格派として活躍していましたが、肩のケガに苦しみなかなか上で活躍することができませんでした。
私は単純に実力不足で出れていないので立場は違いますが、B戦の後にお互い励ましあったりもしました。
そしてやはり1番印象深いのは、新人戦に2人でベンチ入りした時です。当初試合後半を2人の継投リレーで繋ぐ予定でしたが、私の出場はなく彼がきっちり法政打線を抑えました。
正直投げたかったですが、あまり出場機会に恵まれなかった立場で一緒に頑張ってきた者として、とても嬉しかったのを覚えています。
そんな坂本は今チーフとして、個性の強い投手陣をまとめています。誰よりも練習して背中で引っ張る姿は真似できません。
最近投球の方もノリに乗ってるので、最高のブログよろしくお願いします!


4年 本多正幸
9月19日

9月19日

こんばんは。
最近チームに大きく貢献してる伊藤佑太朗(商2 慶應義塾湘南藤沢)より紹介預かりました新楽和貴(理2 浦和西)です。彼の影の努力が早く実を結ぶことを切に願うばかりです。

対立教大学第3回戦が火曜日に行われることになったため、本日は日吉台グラウンドにて立教戦メンバーとメンバー外に分かれて練習を行いました。メンバー練習の方では立教大学第1戦、第2戦で挙がった課題を全員で確認し合い、それを踏まえて実践練習を行いました。

明日の対立教大学第3回戦は15季ぶりのリーグ優勝に向けて大事な1戦となります。明日も1点を争う展開が予想されますがミスを抑え、慶應の野球を見せることができれば必ず慶應が勝つと信じています。


明日のブログより4年生のラストブログが始まります。トップバッターは、写真のメガネは大きくないですが日常は大きいメガネがトレードマークの本多正幸(経4 慶應義塾湘南藤沢 写真)さんにお願いしたいと思います。本多さんお願いします!

2年 新楽和貴
9月15日

9月15日

こんにちは。

リーグ戦で絶賛活躍中の城下陸(文2 韮山)から紹介を受けました谷諒太郎(商2 サレジオ学院)です。彼は、普段は優しく、みんなに癒しを与えてくれるような存在ですが、グラウンドに立つと人一倍熱い気持ちが溢れているのが目にとれます。


さて、本日は久しぶりにAとBが合同になって全員で練習が行われる予定でしたが、生憎の雨により室内打撃とランニングが行われました。週末に行われる立教戦を目指して調整を行う者、またさらに先をみすえてさらなるレベルアップを目指す者など各々が考えながら練習をすることが出来たと感じます。
雨が降り続くこの頃、雨に濡れて体が冷え風邪をひきやすくなっています。私は風呂につかることにより身体を温め、疲れをとるということを意識しています。体調管理をしっかりとして全員万全な状態で立教戦に挑みたいと思います。


次回のブログは最近ファーストでものすごい存在感を示す杉浦正敏(政2 慶應義塾 写真)に回したいと思います。彼の勢いのあるパワフルなブログに期待しましょう!

2年 谷諒太郎
9月14日

9月14日

こんばんは。

オフになるたびに銭湯に誘ってくる長沢卓哉(政2 慶應義塾)から紹介預かりました城下陸(文2 韮山)です。銭湯に行くたびに彼の鍛え上げられた肉体に驚愕し、自分の努力の不足を痛感させられております。
本日も天候に恵まれず、室内打撃や自主練習などに予定が変更されました。ここ数日はグラウンドで満足のいく練習が出来ていませんが、個人的には不安や焦りなどはそれ程感じていません。勿論、グラウンドで練習できるに越したことはありませんが、こうした状況でも全員が緊張感を持って練習に取り組むことができていますし、全体練習後も残って練習している選手が多く、チームの雰囲気が次の立教戦に向けてとても良い状態にあると思います。
立教戦までに出来ることは限られているので、今出来ないことよりも、出来ることの精度を高めることに重点を置いて試合までの残り2日間を過ごしたいと思います。
さて、次回のブログは、写真から見て取れる端正な顔立ちからは想像のつかない笑いのセンスで、チームメイトの腹筋の強化に役立っている谷諒太郎(商2 サレジオ学院 写真)に託したいと思います。爆笑必至の彼のブログに期待しましょう。

2年 城下陸
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