9月24日

9月24日

攻守共に高い実力を持ちながらもいまいち存在感の足りない潮田博紀(政4 慶應義塾志木)から紹介されました名田屋秀平(商4 慶應義塾 写真中左)です。
皆さん、先日の立教戦の潮田君のプレーをはっきりと覚えていますか?僕は覚えていません。

潮田君は地味とはいえ、とにかく器用でひょうきんなので、彼といるとなにかと退屈しません。僕も彼と談笑したり、相談したり、食事をしたり、三井のお雛様を見たり。多くの時間を過ごしてきましたが、退屈したことはありません。あっても彼のせいではありません。


彼がもどかしさ、とか言っていましたが、僕のはそんなもんじゃありません。「痛み」です。野球もプライベートも、痛みに耐えて戦っています。特にプライベートの方は打席も貰えそうにないですが、両方で最高の結果に向かい努力する所存です。奇跡よ起きろ。

痛みを感じ、それに耐えてきた準硬式野球部での生活ももう少しで終わってしまいますが、もう素振りもトレーニングも体のケアもしなくて良くなるのか、と考えると、練習嫌いの僕には少しだけ嬉しいことなのかもしれません。そもそもそこまでやっていませんが。

「振り返るの俺はやらないわ」とか言っていた潮田君も振り返っていましたし、僕も野田君以外の皆に倣ってここまでを振り返りたいと思います。



高校時代は二軍戦どころか三軍戦にも出られず、放ったヒットは2本ぐらい、おまけに学業では留年、というザ・落ちこぼれの僕は、最後の夏の大会が終った瞬間に「よし、これで野球とはおさらばだ」と、残りの学生生活(この時点で残り5年)を遊び続けて過ごそうと決意しました。別に向いてる、向いてないの話ではないのでここにはつっこまないで下さい。

その資金を稼ぐため、アルバイト漬けの日々を送っていたある日、母校の先生から誘いを受け、断れずに中学野球部のコーチに就任する羽目になってしまいます。

最初こそ苦労(生徒に38歳だと思われていたり)しましたが、下手でもがむしゃらに野球を楽しむ子供達の姿に僕の気持ちは変えられていました。
気がついたときには、真剣に野球をしたいという気持ちが再燃していました。そうしてその時たまたまお誘いを受けていた準硬式野球部に入部することになったのです。

ここから大活躍でもすれば非常に格好いいのでしょうが、残念ながらそこは僕です。そこまで格好良くなるはずもありません。

全く打てず、全く守れず、全く走れず、挙げ句の果てに納会で酔ったOBの方に「猪砂、お前は最高のショートになれ!」と間違えられ、散々な毎日でした。
まあ普通に考えれば高校で三軍戦に出られなかった選手がいきなり活躍しようだなんて話がうますぎます。そんなことは漫画位でしかありえないことです。


そんな僕に声を掛けて下さったのが、二学年上のとある先輩でした。
その先輩は、「お前は野球に対しては真面目だから、俺の技術で良ければお前に教えてやる」「2年の秋にはベンチ入りを狙えるようにしてやる」と、僕に技術指導をしてくださいました。
実際にベンチ入りしたのは4年の春だったので、そこは少し申し訳ないと思っていますが、それも僕らしいです。

そこから、僕は大きく変わりました。試合でもヒットが打てるようになり、僕の実力を認めてくれる人も増えてきました。

こうして失敗と成長を繰り返してきた選手生活も残り本当にわずかですが、その先輩と約束した、リーグ戦で活躍するという目標はないがしろにできません。

僕のここまでの人生、周囲の人たちに非常に恵まれてきました。

名前を上げればキリがありませんが、時に色々指導し、時に面白くいじってくれて、僕に居場所を作ってくださった先輩方。

試合や練習、合宿にまでも足を運び、激励の言葉をくださるOBの方々。

こんな僕でも程よく慕ってくれ、毎日楽しませてくれる可愛い?後輩達。

今でも中学生みたいなテンションで、昔を思い出しながら遊ぶことが出来る地元の友達。

今はそれぞれの場所で活躍する、高校時代のチームメート。

三田論や意味のわからない輪読に共に立ち向かったゼミの仲間。

僕と同じで口下手な両親。

そして、人のプライベートやデリケートな部分も容赦なく笑いの種にする、あまりに個性的すぎて最高と言うことが出来るかどうかはさておき、大好きな同期。

そんな人達の心の中に、微かにでも僕が存在していて、頑張れ、と少しでも思ってくれているのなら、僕は諦めません。最後の瞬間が来るまでやり通します。

最後に後輩たちに言っておきます。
絶対に諦めないでください。僕みたいな選手でも、主力の怪我に上手くつけこんだりして試合に出たりベンチに入ったりしてきました。何がどうなるかわかりません。人は意外と変わります。
高校時代、どうやって早く帰るかしか考えていなかった僕が毎日素振りを、なんて言ったら高校の同期は信じないと思います。自分の可能性を勝手に決めるやつはいじめに行くので悪しからず。

これだけの量書くと「やっぱり熱いな〜」とかニヤニヤしながら言ってくるやつが何人かいるような気がするので弁解しておきますが、リレー1人目の本多(経3 慶應義塾湘南藤沢)の頃辺りから書いているからこその長さですのでご了承下さい。

つい冗長になってしまいましたが、僕の話はここまでです。
チームは優勝のため、猪砂主将以下、もう少しだけ突っ走ります。皆様、このチームにもう少しだけご声援願います。
頂点の景色を全員で眺めたいと思います。

僕が最後にブログを託すのは藤川淳(経4 慶應義塾 写真中右)です。かつて後輩だった彼ですが、今では使いっぱしりをさせられるようになったりと、上下関係がなくなるどころかひっくり返ってしまったように感じています。それでも僕はグラウンド内での彼の賢さに一目置いています。
さらに、僕たちはグラウンド外でも非常に仲良く、二人でこれからも某先輩に焼肉をご馳走になろうと、たかっていきたいと思います。
彼の知性溢れる秀逸なブログにご期待ください。

人間万事塞翁が馬

4年 名田屋秀平
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