10月13日
有賀慎一郎(商4 慶應義塾湘南藤沢)から紹介に預かりました、本日ラストブログを書く富田雅基(経4 桐朋 写真左)です。
練習の鬼、規格外の存在感。
色んな意味でとてつもなく刺激の強い同期です。
あれほど他人のことをよく見て、本気で考え、行動できる人を僕は他に見たことがありません。
自由気ままに生きている風の裏にはいつも、僕なんか到底到達できない深い思索がありました。
「有賀ならなんて言うかな」
「あいつならこんな時どうするかな」
実はそんなことを考えて意思決定をしたこともたくさんあります。
本気で尊敬している同期の1人です。長い付き合いになりそうだね。笑
これからもよろしく。
さて、ついにこの日が来てしまいました。
今まで3度先輩を送り出したけれど、自分が送り出される側になるなんて、ずっと先な気がしてました。
濃密すぎた3年半をどこから語れば良いのかさっぱりですが、感情の赴くままに書き殴りたいと思います。
肩、肘、膝、膝裏、腰、ハム、足の甲、足裏、手首。
大学で僕がけがをした箇所です。それもほとんど左右対称で2倍。
同期で1番乗り、1年春にリーグ戦に出場し2安打2盗塁で鮮烈デビューを果たした僕を待っていたのは、描いていた未来とは裏腹の、痛みばかりの毎日でした。
累計1年以上もの間、僕の名前のマグネットは〈DL(故障者)〉の枠にありました。
朝の集合後みんなが緊張感のなかアップに向かうのを横目に、ひとりトボトボと部室へ戻る日々。
もどかしい思いを掻き消すように静かな部室に爆音で音楽をかけトレーニングに励みながらも、
腹筋の合間にふと暗い天井を仰いで何度
「俺は何をやってるんだろう」
と思ったか分かりません。
痛い。くやしい。情けない。
惨めな自分が嫌で嫌で、いろんなことをしました。
寝る前のストレッチの時間を2倍にしてみたり。
柔軟性向上のための特別マシンがあるジムに通ってみたり。
油科(環4 川和)が「あいつはGodだ」と勧める、患部をペン先でつつくだけの怪しい先生に診てもらったり。
朝ヨガしてみたり。
「野球ができる喜び」なんて口ではよく言うけれど、僕に言わせればこいつはとんでもない幸せです。
キャッチボールもスイングも出来なくても、フリーバッティングの守備で久しぶりにグラウンドに立てただけで、本当に涙が出てくるんですから。
大好きな野球に、「あきらめんなよ」と言ってもらえている気がして。
野球には色々なことを教えてもらいました。
苦しいときほど明るくいる大切さを知りました。
仲間と共に夢を叶えて、泣いて抱き合う喜びを知りました。
大スランプもまた一興と学びました。
野球と出会えてよかった。
途中で投げ出さなくてよかった。
もしも8歳の10月、野球と出会っていなかったら。
もしも中学や高校で別れを告げていたら。
確実に今の僕はありません。
ありがとう、野球。
大好きです。
もうひとつ、野球は僕に一生の宝物をくれました。
「仲間」です。
出たよ、と思ったそこのあなた。お許しを。今日は野球人生最後の練習が終わったんです。クサさ120%でいかせてください。
高校までも、自分は世界で1番最高な仲間を持てたと誇りを持っていました。これ以上はないと思っていました。
でも最後の4年間に、野球はまだサプライズを取っておいてくれました。
日吉台にはまたしても、最高の仲間がうじゃうじゃいました。
「とみーがいないとつまんねーよ」と声をかけ、けが続きで腐りかけの僕をどん底から引き上げてくれたやつとか、
毎日一緒に朝練をして、僕を見守り続けて下さった先輩とか、
どう腕を振ってもあさっての方向に球が飛んでく僕とのキャッチボールに嫌み一つ言わず付き合い、革命を起こしてくれたやつとか、
夜な夜な電話で3時間もチームの未来を語り合ったやつとか、
無限にあだ名をつけてくるやつとか、
オチもヒネリもないしょうもない絡みにも必ず丁寧にツッコんでくれる後輩とか。
みんながいたからここまで来れました。
心身崖っぷちでも、皆の思いを、皆との時間を無駄にしたくなくて、ギア入れ直して戻ってくることができました。
部内だけじゃないです。
いつも活躍を気にかけ、たまに連絡をくれる高校時代の友人。
とんでもない僻地まで駆けつけてくれたうえに、無法地帯の我らが応援席を統率してくれるリーダーやチアのみんな。
叱咤激励のなかにいつも愛を感じるOBの方々。
圧倒的なパワーで後押ししてくださるJKB48の皆様。
みんな一緒に戦ってきました。悔しい思いも、嬉しい思いも全部共にしてきました。
僭越かもしれないけれど、そんな人達も全部ひっくるめて、「仲間」だと僕は思っています。
そんな最高の仲間と駆け抜けた最後のリーグ戦も、残すところ1カードとなりました。
泣いても笑っても、もうこんな熱い青春は帰ってきません。
一緒に戦ってきた仲間の想いを全部バットに乗せて、明日は全力で振り抜きます。
いざ法多摩へ。
これを読んで下さっている仲間のあなた。
最後にもう一度、一緒に暴れ倒してやりましょう。
話の長いクセはなかなか治りませんね。
そろそろバトンを手放します。
次回担当するのは我らがマネージャー、浅野晴名(商4 慶應義塾NY学院 写真右)。
2年生のときにやってきた彼女は、当時同期にマネージャーのいなかった僕らにとってまさに救世主でした。
思えば僕が大学で1番変わろうとしたのは、とあるミーティングで晴名がぼそっと「とみたは完璧主義なんだよ」と言ってくれた時でした。
彼女のおかげでできない自分、弱い自分を肯定できるようになりました。
口数はそれほど多くないけど、彼女も人を本当によく見ていて、時に的確なアドバイスをくれます。
この1年何度もぶつかりました。ぶつかれてよかった。選手をサポートするプロフェッショナルとしての彼女を、とても尊敬しています。
個性的すぎる15人の想いが塗りたくられてバトンもずいぶん重くなってきたけど、がっちり受け取ってね。
最後に後輩へ。
どこに挟めばいいか分からなくて、こんなとこに書き足しました。
結果が出なかったり、勝つために考え方が対立したり。
これから困難に出くわすやつ、あるいは現在進行形で、苦しんでいるやつもいると思う。
辛くて理不尽で逃げ出したくなることの方が多いけど、そんな時はどうか「野球への感謝」を忘れないでほしい。
結果を出すために悩み続ける環境を与えてくれたのも、
本気で喧嘩できる仲間を寄せ集めたのも、
全部野球です。
野球が小さい頃から自分を育ててくれたと思ったら、俺はそんな存在に対して失礼な態度は取れなかった。
いつかやりたくてもやれなくなる時が来ます。
今を大切に。
ラストブログもあとふたり。皆様、最後まで僕ら4年をよろしくお願いします!
今を戦えない者に、次や来年を語る資格はない
4年 富田雅基
練習の鬼、規格外の存在感。
色んな意味でとてつもなく刺激の強い同期です。
あれほど他人のことをよく見て、本気で考え、行動できる人を僕は他に見たことがありません。
自由気ままに生きている風の裏にはいつも、僕なんか到底到達できない深い思索がありました。
「有賀ならなんて言うかな」
「あいつならこんな時どうするかな」
実はそんなことを考えて意思決定をしたこともたくさんあります。
本気で尊敬している同期の1人です。長い付き合いになりそうだね。笑
これからもよろしく。
さて、ついにこの日が来てしまいました。
今まで3度先輩を送り出したけれど、自分が送り出される側になるなんて、ずっと先な気がしてました。
濃密すぎた3年半をどこから語れば良いのかさっぱりですが、感情の赴くままに書き殴りたいと思います。
肩、肘、膝、膝裏、腰、ハム、足の甲、足裏、手首。
大学で僕がけがをした箇所です。それもほとんど左右対称で2倍。
同期で1番乗り、1年春にリーグ戦に出場し2安打2盗塁で鮮烈デビューを果たした僕を待っていたのは、描いていた未来とは裏腹の、痛みばかりの毎日でした。
累計1年以上もの間、僕の名前のマグネットは〈DL(故障者)〉の枠にありました。
朝の集合後みんなが緊張感のなかアップに向かうのを横目に、ひとりトボトボと部室へ戻る日々。
もどかしい思いを掻き消すように静かな部室に爆音で音楽をかけトレーニングに励みながらも、
腹筋の合間にふと暗い天井を仰いで何度
「俺は何をやってるんだろう」
と思ったか分かりません。
痛い。くやしい。情けない。
惨めな自分が嫌で嫌で、いろんなことをしました。
寝る前のストレッチの時間を2倍にしてみたり。
柔軟性向上のための特別マシンがあるジムに通ってみたり。
油科(環4 川和)が「あいつはGodだ」と勧める、患部をペン先でつつくだけの怪しい先生に診てもらったり。
朝ヨガしてみたり。
「野球ができる喜び」なんて口ではよく言うけれど、僕に言わせればこいつはとんでもない幸せです。
キャッチボールもスイングも出来なくても、フリーバッティングの守備で久しぶりにグラウンドに立てただけで、本当に涙が出てくるんですから。
大好きな野球に、「あきらめんなよ」と言ってもらえている気がして。
野球には色々なことを教えてもらいました。
苦しいときほど明るくいる大切さを知りました。
仲間と共に夢を叶えて、泣いて抱き合う喜びを知りました。
大スランプもまた一興と学びました。
野球と出会えてよかった。
途中で投げ出さなくてよかった。
もしも8歳の10月、野球と出会っていなかったら。
もしも中学や高校で別れを告げていたら。
確実に今の僕はありません。
ありがとう、野球。
大好きです。
もうひとつ、野球は僕に一生の宝物をくれました。
「仲間」です。
出たよ、と思ったそこのあなた。お許しを。今日は野球人生最後の練習が終わったんです。クサさ120%でいかせてください。
高校までも、自分は世界で1番最高な仲間を持てたと誇りを持っていました。これ以上はないと思っていました。
でも最後の4年間に、野球はまだサプライズを取っておいてくれました。
日吉台にはまたしても、最高の仲間がうじゃうじゃいました。
「とみーがいないとつまんねーよ」と声をかけ、けが続きで腐りかけの僕をどん底から引き上げてくれたやつとか、
毎日一緒に朝練をして、僕を見守り続けて下さった先輩とか、
どう腕を振ってもあさっての方向に球が飛んでく僕とのキャッチボールに嫌み一つ言わず付き合い、革命を起こしてくれたやつとか、
夜な夜な電話で3時間もチームの未来を語り合ったやつとか、
無限にあだ名をつけてくるやつとか、
オチもヒネリもないしょうもない絡みにも必ず丁寧にツッコんでくれる後輩とか。
みんながいたからここまで来れました。
心身崖っぷちでも、皆の思いを、皆との時間を無駄にしたくなくて、ギア入れ直して戻ってくることができました。
部内だけじゃないです。
いつも活躍を気にかけ、たまに連絡をくれる高校時代の友人。
とんでもない僻地まで駆けつけてくれたうえに、無法地帯の我らが応援席を統率してくれるリーダーやチアのみんな。
叱咤激励のなかにいつも愛を感じるOBの方々。
圧倒的なパワーで後押ししてくださるJKB48の皆様。
みんな一緒に戦ってきました。悔しい思いも、嬉しい思いも全部共にしてきました。
僭越かもしれないけれど、そんな人達も全部ひっくるめて、「仲間」だと僕は思っています。
そんな最高の仲間と駆け抜けた最後のリーグ戦も、残すところ1カードとなりました。
泣いても笑っても、もうこんな熱い青春は帰ってきません。
一緒に戦ってきた仲間の想いを全部バットに乗せて、明日は全力で振り抜きます。
いざ法多摩へ。
これを読んで下さっている仲間のあなた。
最後にもう一度、一緒に暴れ倒してやりましょう。
話の長いクセはなかなか治りませんね。
そろそろバトンを手放します。
次回担当するのは我らがマネージャー、浅野晴名(商4 慶應義塾NY学院 写真右)。
2年生のときにやってきた彼女は、当時同期にマネージャーのいなかった僕らにとってまさに救世主でした。
思えば僕が大学で1番変わろうとしたのは、とあるミーティングで晴名がぼそっと「とみたは完璧主義なんだよ」と言ってくれた時でした。
彼女のおかげでできない自分、弱い自分を肯定できるようになりました。
口数はそれほど多くないけど、彼女も人を本当によく見ていて、時に的確なアドバイスをくれます。
この1年何度もぶつかりました。ぶつかれてよかった。選手をサポートするプロフェッショナルとしての彼女を、とても尊敬しています。
個性的すぎる15人の想いが塗りたくられてバトンもずいぶん重くなってきたけど、がっちり受け取ってね。
最後に後輩へ。
どこに挟めばいいか分からなくて、こんなとこに書き足しました。
結果が出なかったり、勝つために考え方が対立したり。
これから困難に出くわすやつ、あるいは現在進行形で、苦しんでいるやつもいると思う。
辛くて理不尽で逃げ出したくなることの方が多いけど、そんな時はどうか「野球への感謝」を忘れないでほしい。
結果を出すために悩み続ける環境を与えてくれたのも、
本気で喧嘩できる仲間を寄せ集めたのも、
全部野球です。
野球が小さい頃から自分を育ててくれたと思ったら、俺はそんな存在に対して失礼な態度は取れなかった。
いつかやりたくてもやれなくなる時が来ます。
今を大切に。
ラストブログもあとふたり。皆様、最後まで僕ら4年をよろしくお願いします!
今を戦えない者に、次や来年を語る資格はない
4年 富田雅基