10月13日

10月13日

有賀慎一郎(商4 慶應義塾湘南藤沢)から紹介に預かりました、本日ラストブログを書く富田雅基(経4 桐朋 写真左)です。

練習の鬼、規格外の存在感。
色んな意味でとてつもなく刺激の強い同期です。
あれほど他人のことをよく見て、本気で考え、行動できる人を僕は他に見たことがありません。
自由気ままに生きている風の裏にはいつも、僕なんか到底到達できない深い思索がありました。
「有賀ならなんて言うかな」
「あいつならこんな時どうするかな」
実はそんなことを考えて意思決定をしたこともたくさんあります。
本気で尊敬している同期の1人です。長い付き合いになりそうだね。笑
これからもよろしく。




さて、ついにこの日が来てしまいました。
今まで3度先輩を送り出したけれど、自分が送り出される側になるなんて、ずっと先な気がしてました。
濃密すぎた3年半をどこから語れば良いのかさっぱりですが、感情の赴くままに書き殴りたいと思います。


肩、肘、膝、膝裏、腰、ハム、足の甲、足裏、手首。

大学で僕がけがをした箇所です。それもほとんど左右対称で2倍。

同期で1番乗り、1年春にリーグ戦に出場し2安打2盗塁で鮮烈デビューを果たした僕を待っていたのは、描いていた未来とは裏腹の、痛みばかりの毎日でした。

累計1年以上もの間、僕の名前のマグネットは〈DL(故障者)〉の枠にありました。

朝の集合後みんなが緊張感のなかアップに向かうのを横目に、ひとりトボトボと部室へ戻る日々。

もどかしい思いを掻き消すように静かな部室に爆音で音楽をかけトレーニングに励みながらも、
腹筋の合間にふと暗い天井を仰いで何度
「俺は何をやってるんだろう」
と思ったか分かりません。

痛い。くやしい。情けない。

惨めな自分が嫌で嫌で、いろんなことをしました。

寝る前のストレッチの時間を2倍にしてみたり。

柔軟性向上のための特別マシンがあるジムに通ってみたり。

油科(環4 川和)が「あいつはGodだ」と勧める、患部をペン先でつつくだけの怪しい先生に診てもらったり。

朝ヨガしてみたり。

「野球ができる喜び」なんて口ではよく言うけれど、僕に言わせればこいつはとんでもない幸せです。

キャッチボールもスイングも出来なくても、フリーバッティングの守備で久しぶりにグラウンドに立てただけで、本当に涙が出てくるんですから。

大好きな野球に、「あきらめんなよ」と言ってもらえている気がして。

野球には色々なことを教えてもらいました。

苦しいときほど明るくいる大切さを知りました。

仲間と共に夢を叶えて、泣いて抱き合う喜びを知りました。

大スランプもまた一興と学びました。

野球と出会えてよかった。

途中で投げ出さなくてよかった。

もしも8歳の10月、野球と出会っていなかったら。

もしも中学や高校で別れを告げていたら。

確実に今の僕はありません。

ありがとう、野球。
大好きです。



もうひとつ、野球は僕に一生の宝物をくれました。
「仲間」です。

出たよ、と思ったそこのあなた。お許しを。今日は野球人生最後の練習が終わったんです。クサさ120%でいかせてください。

高校までも、自分は世界で1番最高な仲間を持てたと誇りを持っていました。これ以上はないと思っていました。

でも最後の4年間に、野球はまだサプライズを取っておいてくれました。

日吉台にはまたしても、最高の仲間がうじゃうじゃいました。

「とみーがいないとつまんねーよ」と声をかけ、けが続きで腐りかけの僕をどん底から引き上げてくれたやつとか、

毎日一緒に朝練をして、僕を見守り続けて下さった先輩とか、

どう腕を振ってもあさっての方向に球が飛んでく僕とのキャッチボールに嫌み一つ言わず付き合い、革命を起こしてくれたやつとか、

夜な夜な電話で3時間もチームの未来を語り合ったやつとか、

無限にあだ名をつけてくるやつとか、

オチもヒネリもないしょうもない絡みにも必ず丁寧にツッコんでくれる後輩とか。

みんながいたからここまで来れました。
心身崖っぷちでも、皆の思いを、皆との時間を無駄にしたくなくて、ギア入れ直して戻ってくることができました。

部内だけじゃないです。

いつも活躍を気にかけ、たまに連絡をくれる高校時代の友人。

とんでもない僻地まで駆けつけてくれたうえに、無法地帯の我らが応援席を統率してくれるリーダーやチアのみんな。

叱咤激励のなかにいつも愛を感じるOBの方々。

圧倒的なパワーで後押ししてくださるJKB48の皆様。

みんな一緒に戦ってきました。悔しい思いも、嬉しい思いも全部共にしてきました。

僭越かもしれないけれど、そんな人達も全部ひっくるめて、「仲間」だと僕は思っています。

そんな最高の仲間と駆け抜けた最後のリーグ戦も、残すところ1カードとなりました。

泣いても笑っても、もうこんな熱い青春は帰ってきません。

一緒に戦ってきた仲間の想いを全部バットに乗せて、明日は全力で振り抜きます。

いざ法多摩へ。

これを読んで下さっている仲間のあなた。
最後にもう一度、一緒に暴れ倒してやりましょう。




話の長いクセはなかなか治りませんね。
そろそろバトンを手放します。

次回担当するのは我らがマネージャー、浅野晴名(商4 慶應義塾NY学院 写真右)。

2年生のときにやってきた彼女は、当時同期にマネージャーのいなかった僕らにとってまさに救世主でした。

思えば僕が大学で1番変わろうとしたのは、とあるミーティングで晴名がぼそっと「とみたは完璧主義なんだよ」と言ってくれた時でした。
彼女のおかげでできない自分、弱い自分を肯定できるようになりました。
口数はそれほど多くないけど、彼女も人を本当によく見ていて、時に的確なアドバイスをくれます。

この1年何度もぶつかりました。ぶつかれてよかった。選手をサポートするプロフェッショナルとしての彼女を、とても尊敬しています。

個性的すぎる15人の想いが塗りたくられてバトンもずいぶん重くなってきたけど、がっちり受け取ってね。



最後に後輩へ。
どこに挟めばいいか分からなくて、こんなとこに書き足しました。
結果が出なかったり、勝つために考え方が対立したり。
これから困難に出くわすやつ、あるいは現在進行形で、苦しんでいるやつもいると思う。
辛くて理不尽で逃げ出したくなることの方が多いけど、そんな時はどうか「野球への感謝」を忘れないでほしい。
結果を出すために悩み続ける環境を与えてくれたのも、
本気で喧嘩できる仲間を寄せ集めたのも、
全部野球です。
野球が小さい頃から自分を育ててくれたと思ったら、俺はそんな存在に対して失礼な態度は取れなかった。
いつかやりたくてもやれなくなる時が来ます。
今を大切に。



ラストブログもあとふたり。皆様、最後まで僕ら4年をよろしくお願いします!



今を戦えない者に、次や来年を語る資格はない

4年 富田雅基
10月12日

10月12日

井筒(経4 慶應義塾湘南藤沢)から紹介に預かりました、皆さんお待ちかね英検3級、TOEIC90点、文武両道の鏡、有賀慎一郎(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)です。この写真は副将3人の写真です。やっぱり良い写真です。

井筒とはもう10年間一緒に野球をしてきました。12歳の時、ガンジーのようなメガネでおかっぱ気味の彼が野球をしていたのを知っているのはこの部で僕1人だけでしょう。
彼は全力少年です。僕が疲れて少し抜いているランも、高校時代の1時間続いた灼熱のグラウンドでの素振りも、突然綺麗なお姉さんが目の前に現れて凝視している姿も彼はいつも全力でした。10年間春夏秋冬4000日、嫌という程隣で見てきた僕が言うので間違いないです。
そんな日々もあと3日。また内緒でiPhoneを冷凍庫に入れようと思います。
分かっています。ちょっと井筒に尺を使いすぎました。皆様申し訳ありません。陳謝。


井筒はさておき、僕の大学野球生活は本当に濃縮されていて、狂う程楽しい3年半を過ごすことができました。

今から4年前。
僕は高校3年の夏のめちゃくちゃ大切な最後の大会前、右膝靭帯を断裂。そのまま出場した試合で死球で左手首を骨折し、天を仰いで高校野球が終わりました。

1人でトイレにも行けず、90歳のヨボヨボの爺さんに歩くのを抜かされ、乗るはずのバスには乗れず何台ものバスに追い抜かされる。しまいには原因不明のストレス性のアレルギーで死にかけました。

手術後1週間の放心状態を経て、夜10時ナースステーションの前のソファで「準硬入ったらベストナイン獲るぞ」と腹筋を始めました。「傷口開くぞ」と関西弁キツめのベテランナースに頭を叩かれ足を持ってもらいました。

それが僕の大学野球の原点です。
そうです最悪です。ボロ雑巾みたいなスタートです。あの頃から何も自分の中では変わってません。今でも全部昨日の事のように覚えています。

準硬に入っても当たり前のように思うような結果が残せませんでした。
2年生の春から試合に出させてもらい、甲子園球児たちの圧倒的な力に打ちひしがれていました。
多くの試合でチームを負けに導いてきました。4年の春には大怪我をして、またまともに歩けなくなり試合に出れずチームも5位になりました。

毎日毎日本当に色んなことがありました。
平坦な道ではなかったです。泥水すするような道でした。
18歳の時に本当は野球が終わっていたはずでした。だから周りの人たちには感謝しかありません。
高3で手術して野球部をはじめとする沢山のSFCの友達がお見舞いに来てくれ、そこから本当に多くの人に支えられ、大学でももったいないくらいのクセのある素晴らしい人達に出会いました。どんな時も助けてもらい、自己主張の激しいガキの自分を認めてくれて背中を押され、今野球ができています。
1人で小便も行けない人生のドン底だった残念な僕は本当に多くの人の手で引き上げてもらいました。もう1回獲りますがベストナインも2回獲れました。昨秋7年半ぶりのリーグ優勝もできました。病院の天井を1日中穴があくくらい見ていたころには想像できなかったことです。
感謝しかありません。ありがとうございます。本当に多くの人達のおかげで今があります。


だいたいみんな酔ってて何言ってるか理解不能だけどやたらと応援してくれる友人たち。

私たちを息子のように温かい目で見守ってくれた首脳陣の方々。

全力で毎日のように痛いところを押し針をさしてくれた接骨院の先生たち。

常に越えたい存在だった小西さん(H27卒)。

「メシ!」と言ってあなたの有り余るお金を沢山使いました永谷さん(H28卒)。

練習する魅力的な背中はやたらかっこ良かったですクセが強過ぎる谷上さん(H28卒)。

バッテリーっていう時間を感じ最高でした猪砂さん、高木さん(共にH29卒)。

谷上さん以来圧倒的練習量、キャッチボール相手として地球上最底辺世界、スーパースター石渡元就(経3 多摩大学目黒)。

そして最高にくだらない同期。あざす。
僕の人生に大きな影響を与えてくれましたありがとうございます。個人名を書いたら書ききれないので許してください。


長いとは思うのですが最後にもう1つ。中二病かもしれませんが僕自身凄く大切なことだと思っていることです。
人生のドン底だった18歳の時からずっーと考えてきたことがあります。
「何のために野球をするのか」
この本質について4年間ずっと考えてきました。自分のためではなくてチームメートや周りの人を幸せにするために野球をする。周りを幸せにできる程、自分に力があるのか努力しているのか情熱はあるのか、このことに何よりも向き合ってこれたことが1番の自分の財産です。
自分が野球が上手いとか、金持ちかとか、容姿が良いかとか、そのこと自体はそんなに大した価値ではないと思うのです。自分が大切な周りの人を幸せに、笑顔に、他人の人生にプラスの影響を与えてこそはじめて価値があると思います。その為になりふり構わず前に出れる人間は最高にカッコいいと思います。
是非、しらけた人間にならず、人間的魅力のある人間に後輩にはなってもらいたい。そして私自身そういう人間になります。花火大会でもないのに花火をあげたいです。

まだまだ終わりじゃないです。
最後の東大戦、圧倒的に勝ってどデカイ有終の美を飾ってやろうと思います。こんな自分ですが最後まで背中を押してくださいお願いします。


次にブログを回すのは正々堂々、ド直球人間、正義は必ず勝つ、富田雅基(経4 桐朋 写真左)です。
彼とはこの1年で本当にソウルメイトになれました。同じ副将として人生の友として彼の聡明な考えに触れ、僕の人生が豊かになりました。
彼が東大戦必ず打ってくれると僕は信じています。頼むぞ富田。


有言実行

4年 有賀慎一郎
10月11日

10月11日

こんばんは。

竹原雅貴(理4 横浜翠嵐)からブログリレーのバトンを受け取った井筒陽介(経4 慶應義塾湘南藤沢 写真左)です。

「エース」

というのは、やはりさすがなもので、本当に頼もしい存在でした。

個人的にも何度エラーをして、何度竹原に救われて来たか分かりません。
僕をさんざんいじり倒してきた彼を褒めるのもなんかいやですが、
彼のピッチングの後ろはとても守りやすく、楽しかったです。

今週末、東大戦を完封したら、彼のパンチパーマをわしゃわしゃしてやろうと思います。
絶対に勝って、Aクラス入りしよう。


さて、引退までのこり4日。

ついに回ってきたラストブログ。

言いたいこと、伝えたいことが多くて全然まとまらなかったけど、最後まで読んでください。



「全力であり続けること」


最後の1年間、特にこだわったことです。
その背景には
「自分のため」から「人のために」という変化がありました。

正直、入部当初の僕は、チームが勝とうが負けようがあまり気にしていませんでした。
1年の秋からベンチに入り、2年の春にレギュラーとなりました。

ただ自分が試合に出たくて、試合でヒットを打ちたくて、同期の誰にも負けたくなくて、がむしゃらに練習してきました。

秋には、3番を任されるようになり、打席に入るのがあそこまで楽しみな時期はありませんでした。今思うと、本当に好き勝手自由にやらせてもらっていて、先輩方にたくさんフォローしてもらったと思います。ありがとうございました。

とにかく、自分の成長が楽しかったし、チームが勝っても負けても、楽しい日々でした。

しかし、3年生になって、
チームが勝つために死にものぐるいで努力する先輩がいて、
先輩たちが大好きになって、チームが好きになって、無性にチームで勝ちたくなって、先輩たちのために、チームが勝つために練習に励むようになりました。

結果として、個人的に結果は残せず、あまり貢献できませんでしたが、
15季ぶりとなるリーグ優勝を成し遂げることが出来ました。
悔しさはありましたが、個人的に活躍したときとは比べ物にならない達成感と嬉しさも同時にありました。


そして、最高学年になって、支えてくれる人が増えました。

チームのために、選手の道をやめて、肩肘ぼろぼろになってまでサポートしてくれた
柴(環4 慶應義塾)、西村(法4 慶應義塾)、稲田(法4 海陽学園)、中濱(政4 慶應義塾)のために。

ベンチに入れず悔しい想いをしていた4年生のために。

体にがたが来始めたとぼやきながらも毎日グランドに来て叱咤激励してくれる監督やコーチ陣のために。

バナナ食べるたんびに揃ってサルって言ってくるけど、チームを支えてくれているマネージャー陣のために。

毎カード遠い所まで応援に駆けつけてくれる應援指導部やチアのために。

ベストナインはまだかと煽り気味に、自分の活躍を気にしてくれる高校時代の友人のために。

優勝を味わせてくれた先輩方のために。

まだ優勝を味わったことがなく本当の準硬の楽しさを知らない1年生のために。

あげたら切りがないけど、
本当に多くの人に支えられてきて、この人たちのために勝ちたいと本気で思うようになりました。
この人たちのために勝つんだと思うと、自然と足は動いたし、朝練のノックからでもいくらでも飛びつけました。

むしろ、全力でいないと、ノックを打ち続けバッピを投げ続けてくれたスタッフや、
「たのむ、勝ってくれ」
とベンチに入れなかった悔しさを押し殺してエールを送り続けてくれた田口(商4 慶應義塾)や油科(環4 川和)に顔向けできませんでした。2人の言葉は実はとてつもなく重くて、背負っているものの大きさを感じたけど、頑張らなきゃと奮い立たせてくれました。

支えてくれる人たちのささいな

「頑張れ」

の一言が、どれほど力になったか言葉では表せません。
本当にありがとうごいました。


そして、後輩に何か残すために。

このチームでの優勝は消え、死ぬほど悔しいけど、
優勝を目指すと同時に、この1年間、後輩たちに何か残そうとやってきました。

後輩なのに仲良くなりすぎて、全力少年や一生懸命くんとからかってくる奴ばっかだったけど、そう言われるのは正直嬉しかった。そして、張り合って全力で走ってくる奴とか、朝練でドロドロになってる奴を見るともっと嬉しかった。

自分の全力であり続ける姿勢が後輩たちの記憶に残って、今後の野球人生に良い方向に影響したら良いなと思います。

個人的にたくさん言いたいことはあるけど、それは引退してから伝えることにしました。

とにかく、失敗を恐れず、全力で駆け抜けてください。

この4年間、たくさん失敗したけど、今となっては全て財産になっています。
苦労しがちの奴の方が最終的にはでっかい人間になります。

本当に生意気で、アホばっかで、なめてるやつばっかりだったけど、
一緒に野球できて本当に楽しかった。ありがとう。

アホみたいに練習して
アホみたいに苦しんで
アホみたいに楽しめよ


そして最後になったけど、同期のみんな。


本当にこの代で良かったと何度も、何度も思いました。
死ぬほど話し合って本気でぶつかったからこそ、今何でも言い合える関係になっていると思う。4年間で1番の財産です。

ありがとう。


さて、
想いをつらつらと書き連ねたので、そろそろバトンを次に回したいと思います。
昨日バトンを繋いでくれた竹原は、僕を1番いじってきたと言っていますが、
残念ながら2番手です。

有賀慎一郎(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)がいます。

iPhoneを冷凍庫に隠したり、、、

合宿のバスに乗る10分前に僕の荷造りを終えたスーツケースをこっそり解体し、部屋のあちこちに荷物を隠したり、、、


正直、仲のよろしくない時期もあったかと思います。笑
しかし、今では信頼している同期の一人です。
誰よりも厳しい声をかけてくれ、誰よりも褒め声をかけてくれました。

試合でエラーをしたとき、
ヒットを打ったとき、
誰よりも真っ先に声をかけてくれるのは彼でした。

気づけば、彼と野球をするのは今年でもう10年目です。
年々タイムが速くなる彼のキャッチャースローを捕り続けてきました。

僕が最後のブログリレーを繋ぐのは有賀しかいないでしょう。

過去、2度のベストナインを獲得し、
先日の対立教大学第3戦では、先制の3ランホームランを放ちました。

「怪物」

と周りに言わしめる彼の超ど級なラストブログにご期待ください!



本気の失敗には意味がある。
4年 井筒陽介
10月10日

10月10日

こんばんは。

油科俊毅(環4 川和)からブログを託されました、竹原雅貴(理4 横浜翠嵐 写真中央)です。

油科のブログにもあった通り、私たちの出会いは5年前の夏、高校野球最後の大会でした。

当時は「変わった名前だなぁ」程度の印象でしたが、フルスイングでの三塁打、ヘッドスライディングで地面を叩いて悔しがる姿は、思い返せば今にも通じる漢っぷりだったかもしれません。

「一緒に野球やろうぜ」
なんて恥ずかしいことを言った記憶はありませんが、
高校野球から縁のある選手と一緒に野球できることがとても嬉しかったのはよく覚えています。

まあ色々あったけど、最後はホウタマにアベックホームランでもぶち込んで引退しよう。



川和高校にはなんとか勝利した僕ですが、次の試合で塾高に敗れ、KEIOのユニフォームが大嫌いな状況で準硬式野球部に入部することとなりました。

しかし、そんな想いは忘れるほど、準硬では充実した4年間を過ごさせてもらえました。

おかげさまで、KEIOのユニフォームが大好きな状況で引退することができそうです。



もちろん、悔しいこと、辛いことはたくさんありました。

初めての公式戦では、法政の甲子園軍団に打ち込まれました。

紅白戦で名田屋さん(H29卒)に3安打され、サイドスロー転向を決めました。

初先発の関東大会、早稲田相手に1回ももたず9失点しました。

ホウタマの石垣にまでホームランを飛ばされたこともありました。



いつの日からか、肘は曲がらなくなってしまいました。

自分たちの代の春には自分自身1勝しかできず5位に沈みました。



そんな中でも、支えてくださる人は沢山いました。

ラストシーズンの間にも関わらず、ピッチングを何度も指導して頂いた小西さん、中場さん(共にH27卒)。

何度ボコボコにされても励ましマウンドに送り出してくれた伊勢さん、才茂さん(共にH28卒)。

ブルペンでは松島さん(H29卒)、齋藤(総3 聖学院)に何球捕ってもらったか分かりません。

僕らの代には投手が僕1人しかおらず、投手陣の先輩方・後輩達は下手したら同期よりも長い時間を共に過ごしたかもしれません。

いつも球場に来てくださるOB、JKBの皆様にはいつも優しい声をかけて頂きました。



そんなみなさんのおかげで、嬉しい経験も沢山できました。

早稲田を3回も完封できました。

ウエイトトレーニングを頑張って、体重が10キロ増えました。

2年間背番号18をつけ、通算18勝もあげることができました。

先輩方に導かれ、優勝決定戦のマウンドも経験できました。

この秋苦しんでもぎ取った明治、立教からの勝ち点は今までのどれよりも嬉しかった。

好き勝手にのびのびと、後悔の少ない4年間を過ごすことができました。



改めて、4年間お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。




そんな僕から、僭越ながら後輩へのメッセージをひとつだけ。



「自分の納得のいくことをやり抜くこと。」



どう頑張っても、結果なんてどう転ぶか分かりません。

そして出てきた結果を最後に誰よりも重く受け止め、背負わなければならないのは自分です。

ならば、人に言われたからとか、これやれば周りに何も言われないからとかじゃなく、
まずは自分自身が納得できる練習をしよう。

そうすれば、結果が出た後の後悔は少なくなると思います。

特に投手陣!
自分のピッチングでチームの勝ち負けが決まってしまうことを忘れず、
自分に嘘をつかない練習をしてください。

自分の納得する練習をしていたら、
それが自信になって「メンタルが弱い」なんてもう2度と言われなくなるはずです。

特に菅ちゃん(経3 慶應義塾)、頑張れ。
長沢(政3 慶應義塾)はまあいいや。


最後に同期へ。

個性しかないこの代でなければ、
思ったことを全て口に出してしまう僕は受け入れてもらえなかったと思います。

あえてここにたくさんは書きませんが、
本当に楽しい代でした。

本当にお世話になりました。
ありがとう。


さて、書きたいことを全て書き連ねたので、そろそろ次にブログを繋ぎたいと思います。

明日のブログは背番号1、一生懸命くんこと井筒陽介(経4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)に回したいと思います。

井筒くんは六大No.1の守備範囲を持つものの正面の打球は高確率でエラーするという弱点を抱えています。
しかし彼がエラーするとなぜかチームが勝つという、持ってる男です。

そしてチームNo.1のいじられキャラでもあります。

誰よりも井筒のことをいじっているのは僕だと思うので、
ブログでももっといじり倒してやりたいところですが、ここら辺でやめておきます。

最後に井筒へ一言。
いつもいじってごめんね、
でもあと5日いじり倒すから覚悟しといてくれ!!


一意専心
4年 竹原雅貴
10月9日

10月9日

こんにちは。

本日は4年生によるラストブログリレーをお休み致します。

雲ひとつない空の下、Bチームによる練習が行われました。

実戦練習など充実した時間を過ごすことが出来ました。

4年生はあと1週間ほどで引退してしまいます。

3年生以下は、4年生から学んだことを生かし、新しく部を作っていかなければいけません。

残りの1週間で1つでも多くのことを4年生から学んでいきたいと思います。




さて、4年生の引退試合となる東大戦まで1週間を切りました。

明日から行われる全体練習も部員一同気を引き締めて取り組んで参ります。

ご声援のほどどうぞ宜しくお願い致します。

明日のラストブログリレーの担当は、竹原雅貴さん(理4 横浜翠嵐)です。

よろしくお願い致します!!

1年 マネージャー 片桐菜摘
10月8日

10月8日

こんばんは!

みんなの人気者であり単純な馬鹿である田口勝康(商4 慶應義塾)からバトンを受け取った、最近打撃専門選手になりグラウンドにいる時間が減った為、チームメイトとコミュニケーションを取る機会が減り寂しい油科俊毅(環4 川和 写真左)です。話し掛けてください。

なぜ彼が人気者であるのか。

最近は、


「実際俺ら4年が引退するの寂しいっしょ?」


と後輩たちに聞きまくっています。
このような可愛げのある面。

そして、底抜けに真っすぐで単純馬鹿に見えて実は誰よりもチームに対して考えている優しく熱い面。

2つの面があるからだと思っています。
誰もがそんな彼の姿に支えられてきました。私もその1人です。

本日は、3・4年VS1・2年の紅白戦が行われました。

結果は3・4年の勝利でした。

引退まで残り1週間です。
4年生から少しでもなにかを吸収してもらう為に4年生一同必死です。

そんな中で先日、とある投手の後輩から、
「朝投げるんで東大戦まで毎日打ってください!!」
と連絡が来ました。

新人戦や新チームあるんだから自分に時間割けと思いましたが、ありがたく優しさに乗っかり毎日投げて貰っています。

そんな後輩の優しさを受けたり、ベンチ入りできるか分からない状況で最後まで結果を求めて本気でやれる今の自分は幸せ者だと思います。

意地でも結果出してベンチ入りを勝ち取ります!!


同期のさすがと思うブログを読んでいる中で
文才が無いからなのか、夜な夜な泣きながら書いていたからなのか分かりませんが、長い文になってしまいましたが最後までお付き合いください。

この部活で得たものを本気で伝えます!!!

引退まで残り1週間で思う事は

「自分が思い描いていた4年間じゃなかった」

入部当初は、3年生からはリーグ戦で活躍していると思い描いている自分がいました。

1・2年生からしたら信じられないかもしれないけど、去年優勝したチームの新チーム発足時はスタメンで出場していました。このままスタメンとしてリーグ戦で活躍していきベストナインを取ると息巻いていたんですよね。笑

しかし、人生甘くありません。

怪我等があり3年生の関東大会以降はベンチに入る事ができず、思い描いていた世界とは180度違ったスタメンからほど遠い世界で過ごしてきました。

私は、そんな世界でチームに貢献できていない自分に腹が立ち、もがき苦しみ、自分の存在意義を見つけようとスタッフになる事も考えていました。

そんな時に1つ上の野田さん(H29卒)・近藤さん(H29卒)等、先輩方の


「ゆっくん(油科)がまた活躍している姿が見たい。早く復活しろよ。」


という言葉に救われました。

当時、選手として道を見失っていた私にはその期待してくれた言葉だけで十分でした。
この言葉をかけられたら普通はリーグ戦で活躍する為に頑張るはずですが、


「大好きな先輩方と優勝したい。だから今の自分にしかできない事をして少しでも先輩の力になろう。」


なぜか、今の自分にできる事は、チームを裏で支える事だと思ったんですよね。笑
だから、Bチームの人達が野球に真っすぐに取り組めて優勝したいと頑張れる環境作りに励みました。

ホワイトボード上で10人前後いるハイレベルな定位置争いを繰り広げるファースト陣の中で日々自分の名前が右に移っていく。プレイヤーとして全く評価されない事実に、折れそうになったときもあった。

それでも、福田さん(H29卒)に叱咤激励されながら、Bチームを引っ張ろうとグラウンドでは先頭に立って明るく振る舞った。

当時Bチームにいた森田(経4 慶應義塾)、柴(環4 慶應義塾)、西村(法4 慶應義塾)、稲田(法4 海陽学園)に支えられ、自分なりにはBチーム全員が頑張れる環境を作り、少しは優勝に貢献できたと思ってます。

この4人には心の底から感謝しています。
お前らがいなかったら今の自分はなかった、ありがとう。

そして、新チームになり副将になりました。想定外でしたけど、、、
副将になったからには改めてBチームをまとめていこうとしました。

そんなある日、杉浦正敏(政3 慶應義塾)から、


「油科さんがっかりしましたよ。いつまでもチームの事考えてないでもっと自分が試合に出る為に必死になってください。」


と言われました。

副将としての役割ばかりを考え、自分が選手として試合に出場する目標を見失っていました。

最上級生になった時に副将としてではなく一選手として、決めていた事を思い出しました。

3年生のBチームの時に、

うるさいだけの自分に付いてきてくれた、
頑張ってる姿を見て力をもらっていた、

大好きな後輩達への恩返し。

私と同じように苦しんでいる後輩達に希望をもってもらいたい。
だから、リーグ戦のメンバーに入って試合でヒットを打つと心に誓った。

アニキ!アニキ!と慕ってくれた?後輩達が私が引退した後でも


「油科さんのように、ずっとBチームで過ごしていてもリーグ戦でヒットを打ったから、頑張ればできる」


と思ってもらえるような先輩の姿を残したかった。

だから、春リーグ最終カードの早慶戦でメンバー入りを勝ち取った時に連絡をくれたり、私に抱きついてきてくれた後輩達がいて俄然燃えた。

打席に向かう時の声援に背中を押されヒットを打った時は、体が震えるほど嬉しかった。試合後に自分の事のように喜んでくれる後輩達の姿を見て、本当に嬉しかった。

杉浦の言葉がなければ、この喜びは味わえなかった。
できた後輩じゃねえか、ありがとな。

準硬式野球部では、思い描いていた世界とは180度違った世界でした。
でも、そこには生涯忘れる事のない大切な経験がありました。

誰しもがベンチ外でいいやなんて、入部してきている人なんていません。
絶対にリーグ戦で活躍する世界を夢見て入部しています。

それでも、100人近くいる部でそれを叶えられるのは多くないはずです。

だから、努力した先に思い描いた世界が広がっていなくても、挫けずに自分の信念を貫いて駆け抜けてください。

私のように挫けそうになっても、大切な仲間が支えてくれるから安心して突っ走ってください。

そこには、今まで経験した事がないような素晴らしい世界が広がっています。



長々と書かせてもらいましたが
最後にエールと感謝を述べさせてもらいます。

内に秘めたガッツは人一倍な脇屋(政3 慶應義塾湘南藤沢)、
いつでも俺らを笑わせてくれた心優しい谷(商3 サレジオ学院)、
才能が開花し始めた岡島(政3 York Mills Collegiate Institute)、
努力ができる天才石渡(経3 多摩大学目黒)、
思った事は口にできる大した輩島田(商3 桐朋)。

やればできるんだからもっと自信持ってプレーしてほしい1年生達。

あと、小川(商2 慶應義塾)。

ここには挙げきれない最高な後輩達を含め、

リーグ戦のメンバーに名前が出る日を楽しみに待ってます。

そして、

二人三脚で歩いてきた大好きな杉浦、
ぶっ飛んだ性格と熱さのハイブリット羽柴(商3 浅野)、
なぜか周りに人が集まる田中(政2 時習館)。

この3人は、責任感が強い選手なので来年のチームを引っ張っていく存在だと確信してます。

守備力以外は、1年前じゃ信じられないくらい成長してくれた。
安心して引退できます。

頼んだぞ。


イップスで投げられなくなった私をキャッチボールに誘ってくれた伊勢さん(H28卒)、
Bチームで暴走していた私を見守ってくれた福田さん・名田屋さん(H29卒)と1つ上の先輩方、
Bチームで俺のわがままに嫌な顔ひとつせず、すべてを受け入れてくれた五島(経3 慶應義塾湘南藤沢)。

副将として力になれたか自信ないけど最後までこの代を引っ張ってくれた大島(総4 桐朋)。

僕らの代でも監督をしてくださり、常に
「君はもうダメだ。」
と愛の鞭をくれた織戸監督。

家で野球について全く話さない私の気持ちを察しながら何も聞かずに毎日必ず玄関から私の背中に向かって頑張れ、と一言声を掛け続けてくれた母親。

準硬式野球部というフィールドで出会えた方々。

最後に、共に3年半歩んできた同期。

どれだけ感謝してもしきれない。

本当にありがとうございました。


次は、単純なだけではなく野球馬鹿である竹原雅貴(理4 横浜翠嵐 写真右)に回します。
彼とは、高3の夏からの知り合いで彼の頭脳明晰なピッチングで引退させられました。

体験練習で始めて部室に行った時に、扉を空けたら開口一番に謎のパンチパーマをした選手に

「一緒に野球やろうぜ」

と言われたのが最近のように感じます。

恥ずかしいけどこの場を借りて言わせてもらうと、

同じ県立高校出身として、彼のマウンドでの活躍ぶりは
羨ましくもずっと私に力を与えてくれていました。

最後くらい竹原にナイスバッティン言われたいわ。笑

不撓不屈

4年 油科俊毅
10月7日

10月7日

柴くん(環4 慶應義塾)から紹介を受けました田口勝康(商4 慶應義塾 写真左)です。

柴くんは僕のことを「俺よりもっと単純な馬鹿」と言っていましたが、
ブログを見た瞬間声をあげて笑ってしまいました。


そっくりそのまま彼にこの言葉を返します。
そして君ほどの馬鹿はいません。


柴くんは、毎朝僕の朝練に付き合ってくれました。

彼にバッティングピッチャーをしてもらう時は、ものすごく手前で落ちるワンバウンドが15球連続で来たり、
時には頭部付近にボールが何度も来て、朝から血の気が引きましたが、
彼がスタッフとして私に尽くしてくれる時間を考えたら怒ることなんて出来ませんでした。

まぁ、ありがとう。笑



振り返ると同じ目標を持つ仲間と貴重な4年間を過ごせたと思います。


入部してすぐは、織戸監督に勧められ、ピッチャーとして試合に出場させて頂きましたが、早稲田大学にボコスカに打たれたことは今でも夢に出てきて、うなされて寝つけません。


野手に戻ってからは2年生の関東大会からベンチに入ることが出来ました。

1回戦では念願だった横浜スタジアムでプレーし、2回戦では初ヒット、3回戦はスタメンという割と順調な滑り出しでした。


ここから自分が活躍してやるという希望で満ち溢れていました。



しかし2年春のリーグ戦最終戦でヘッドスライディングをし、起き上がるとまるで漫画のように肩がポロッと落ちてきて、
脱臼しました。



振り返るとこの脱臼でプレースタイルが少し変わってしまったのだけ残念ですかね。
手術してしっかり完治させればよかったかもしれないです。


2年生の秋頃、結果が出ない時に、田中優作さん(H29卒)、山本裕哉さん(H29卒)、岡村雄太さん(H29卒)、有賀慎一郎(商4 慶應義塾湘南藤沢)を始め多くの先輩、同期、後輩が気にかけてくれて、支えてもらい、自分の幼さを知りました。


そしてそんな人達に結果で恩返しをしたいなと思いました。



3年春には、スタメンか途中出場でほぼ全試合に出場し、報知ニュースに載れるような活躍もできた日もありました。
チームの勝利に貢献出来て嬉しかったです。


3年秋にはお世話になった先輩方と優勝を経験出来、忘れられない思い出となりました。


新チームになり、チームを引っ張ろうとしていたところ、またしても脱臼しました。

抑えても震えの止まらない腕を見ながら、ただただ呆然としました。


肩が上がらずボールがまともに投げられない事態になり、ボールを投げることが野球の中で1番自信があったものの、無くなりました。


冬の長期自主練習期間に油科俊毅君(環4 川和 写真右)とキャッチボールをした時のことです。
近距離も届かない、ヒョロヒョロの私の投げる力の無いボールを、彼は何度も大きすぎる声で

「ナイスボール」

と言ってくれました。

治る見込みが全く見えなかった私にとって、彼なりの優しい気遣いは本当に有り難かったですね。

そこからの今年1年間は本当にあっという間で、自分の納得のいくような結果は残せませんでした。

そして1番の目標であったチームとしての優勝も逃してしまいました。


残念でした。


しかし、どんな時も目標を見失わずに前に進んで来れました。
それは決して自分の力ではありません、周りに多くの仲間がいたからです。ありがとう。


また、ケガをしたからこそ少しは人間的に成長できたのかなと思います。



こんな未熟者の僕ですが、2つだけ伝えたいことがあります。


1つ目は、本質を突いた努力をすることです。
いくら努力してもベクトルの違う努力をすると直接成果には繋がりにくいです。
自分に必要であり、理にかなった努力を続けて、上手くなって下さい。


2つ目は、最終的にスタメンになれるか、ベンチに入れるかはもちろん大事です。
しかし、結果を残せた、残せなかったはひとまず置いといて、
いつでも熱く、猛烈に野球をして楽しんでください。

きっとこの熱い経験が、今後何十年と生きる上で「財産」になると思います。


僕は14年間野球を続けて「財産」になりました。

社会人になる前にいい経験が出来ました。

今後も優勝を目指し頑張って下さい。

お世話になりました。



次に紹介するのは、みんなのアニキ??こと油科俊毅くんです。

彼は副将として、自分が出たい気持ちを押し殺して、大きな声でチームを鼓舞し、気丈に振舞っていました。
それはチームのみんなが知っています。

去年の秋、スタンドの一体感を作り上げたのは紛れもなく彼です。
彼がいなければ、優勝は無かったです。

下級生の頃から、一般人には理解できない意味不明な言葉と、
ありえない型破りな破天荒な行動と、
涙もろい一面で良くも悪くも、とにかく人を巻き込んで来ました。


輝かしい過去の実績を持ちながらも、大学では苦悩も多かっただろう彼の漢らしいブログから後輩は必ず何かを感じとって欲しいです。

よろしく!




最後に後輩へ。


顔をあげれば、右にも左にも前にも後ろにも仲間が隣にいるはずです。


頑張って。









後悔のない日々を。


4年 田口勝康
10月6日

10月6日

こんばんは。

西村厚人(法4 慶應義塾)からご紹介に預かりました、柴崚太郎(環4 慶應義塾 写真左)です。


昨日のブログで西村は、「僕が彼を支えられていたか分からない。」と不安がっていたので、この機会にお答えしましょう。


僕は西村に支えられてきました。


というより、西村に常におんぶにだっこ。
それは高校時代から今日まで、7年間変わらないことです。

この先の人生で、彼が困っている時、1回でもおんぶし、そしてだっこできるような人間になることは、僕の目標の1つでもあります。


さて、本日の練習は来週末に控える東大戦に向けて引き締まった、良い雰囲気でできました。
金曜の練習は特に人数が多いため、下級生の多くは全ての練習メニューには入れません。ですが、練習の前後に積極的に自主練習に励む彼らの姿を見ると、部員95人全員で東大戦を勝ちにいく姿勢の表れではないかと感じました。



さて、ラストブログリレー、ついに自分にバトンが回ってきてしまいました。

これがラストブログの内容として正しいかは分かりません。
ですが、自分らしく、熱いスピリットをしっかり燃やしながら、書き上げてやろうではありませんか。



「ド下手クソ。」



この言葉が自分にはぴったりだと思います。

それは野球の実力しかり、生き方しかり。



下級生時から誰からも期待されていなかった自分は、結局選手として1回も公式戦には出られず、唯一残せたものはというと、
おそらく弊部史上1番の珍粗相だと思います。


そんなどうしようもない僕のことを、沢山の人が支えてきてくれました。
それは部の関係者だけではありません。


毎朝、駐輪場で「いってらっしゃい!」と元気よく声を掛けてくれる、名前も知らないおっちゃん。


練習後に昼飯を食べに行くと、「準硬っす!」と言うだけで、サービスをしてくれる藤屋の名物店長。こちらも、未だに名前が分かりません。


そんな、名前も知らない沢山の人達も僕のことを支えてきてくれました。


ここで、名前を知っている人達に感謝の言葉は無いのか?と疑問に思う人も多いでしょう。


でもここには書けません、数が多すぎます。


昨日、何度もブログの下書きをしました。
沢山の人の名前を書いては消し、書いては消し。

このブログには収まりきらない感謝の気持ちは、一人一人に丁寧に僕の言動で示して行きたいと思います。


一人だけ、山本裕哉先輩(H29卒)。

冒頭でも言った「ド下手クソ。」な選手時代の自分に懇切丁寧に、、いや非常にテキトーなアドバイスをして下さり、
そしてスタッフとしてあるべき姿を提示して下さり本当に感謝しています。
あなたのお陰でここまでやってこれました。


裕哉さんが遺してくれたものを僕も、少しだけ引き継げたのではないかと思います。


僕が後輩達に遺せたものは、応援席でバントケースになるとお尻を上下に揺らす奇妙な動作と、今秋のリーグ戦で数々の奇跡を演出してくれた一つの"角材"くらいです。


ただ、一つだけ遺したい言葉があります。


「目は口ほどに物を言う。」


僕はこの言葉を、準硬での4年間で良くも悪くも、特にスタッフになってから強く実感しました。

所詮、言葉で伝えられることには限りがあります。

自分がどんな立場であっても、自らの行動を律することを怠らないで下さい。
そうすれば、皆の目は今よりもっと輝きを増し、自分の真意をきっと仲間は汲み取ってくれるでしょう。


僕はそんな仲間を持てたと実感しています。


僕を今まで支えてきてくれた後輩達は皆、本当に良い目をしていると思います。


そんな皆の目が今よりもっと輝きを増せば、これから先、強い準硬式野球部が築けると確信しています。



では、そろそろブログのバトンを田口勝康(商4 慶應義塾 写真右)に渡そうと思います。


彼と自分は常に馬鹿をして、周囲に迷惑を掛けてきました。


でも田口と僕とで決定的に違うのは、僕は単純に馬鹿、田口はもっと単純に馬鹿だということです。


馬鹿をよく捉えると、素直で実直。

そんな田口の実直さに何度救われたことか、そんな田口をどれだけ大好きなことか。

そんな大好きな田口のためなら、僕はいくらでも自分の時間を割けます。


ここまでくると、「お前、、そっちの気があるんじゃないか?」と疑われるかもしれませんね。否定できませんが笑


そんな何においても実直な彼は、努力を積み重ねた結果、怪我からの復活を果たし、
法政カードでついに今秋のリーグ戦では初のベンチ入りを果たしました。


最後に一本、もう一度田口のヒットを見せて欲しい。

そんな彼のヒットを僕の "ド下手クソな馬鹿応援" で後押しできれば幸いです。


では田口、ラストブログも、残り1週間も、全力で馬鹿しようぜ!


No pain, no gain



4年 柴崚太郎
10月5日

10月5日

こんばんは。

嶋内隆介(政4 慶應義塾)からバトンを受け取った西村厚人(法4 慶應義塾)です。


思い返してみると、彼とは部活動以外でも多くの時間を共に過ごしてきました。

練習後、行きつけのお店でメロンソーダを飲みながら、くだらない話をしていたひと時。

オフになれば近くの温泉に行き、何時間も湯に浸かりながら真面目な話に明け暮れたひと時。

社会に出てお互い環境は変わろうとも、同じような時間を共有していきたいものです。



さて、いよいよ残すところ東大戦のみとなっていますが、今年の東大は投打共に例年よりレベルが高いことを、部員皆感じていると思います。
長袖を着る選手も増えてきましたが、実戦中心の緊張感ある熱い練習を行うことができたかと思います。



そして早くも中盤に差し掛かったラストブログリレー。
今日の練習後、僕のことを大好きな後輩複数名が

「西村さんのブログ楽しみにしてます!」

と目を輝かせていたのを思い出すと少々気張ってしまいますが、
頑張って言葉にするので温かい目で見守ってください。





「自分と向き合う」


僕がこの3年半で一番大切と感じたことです。

こうみるとなんだか陳腐に思えますが、真に自分に向き合うことは、簡単なことでないと思っています。



都合の良い自分とだけ向き合い続けることが一番幸せだからです。




僕は野球が下手でした。

硬式出身者がほとんどの準硬式野球界で、私の実力はある意味際立っていました。

それまで振っていた2倍の重さのバットが、筋トレもろくにしたことのないガリガリ男を振り回し、

目が追いつかない速さで襲ってくる硬いボールが、捕球どころかグローブすら触れられずに後ろを抜けていました。

僕の出自を考えても、きっとお荷物が入ってきたと先輩方には思われていたはずです。



ここで僕は必死に練習して、ベンチ入り争いに絡むまでの存在にはなります。

しかし、憧れの先輩方に少しずつ近づいていく過程に充足感を得ながらも

強豪六大学を相手に活躍するビジョンは、一向に見えないままでした。



野球がド下手な自分に向き合い、やっとのことで成長できた次には、

必死に努力して成長した自分が、六大学では通用しないという事実に向き合わなくてはならなくなりました。

死に物狂いで練習した分、この自分に向き合うことは正直辛かったですが、だからこそ今のスタッフとしての自分がありますし、あの努力があったから、今納得してスタッフに没頭できています。



何が言いたいかというと、目を背けたくなるような自分を含めて、真の意味で自分と向き合ってみてほしいということです。

たかだか22年しか生きていませんが、とりあえず今は、それが成長への一番の近道な気がしています。


結局僕たちは、春も秋も優勝できませんでした。

簡単でないことは百も承知でしたし、やれることもやってきたつもりでしたが、やはり後悔が残ります。

後輩には絶対に優勝して欲しい、そのためにも、本当に頑張ってください。応援しています。




と、「感謝」をテーマにしたブログが続いていたこともあったので何か変えようとした結果、変な感じになってしまいました…。

人生一度のラストブログ、嶋内みたいにもっと前の日から気合を入れて作っておくべきでした。

胸の内に秘める感謝は、直接皆さんに伝えていこうと思います。



さあ、明日のブログは柴崚太郎(環4 慶應義塾 写真)に回しましょう。

彼とは唯一の高校時代からの同期。

選手時代、「下手くそな俺たちはみんなの3倍練習しよう」とお互いを鼓舞しあって、3:30に起床して練習に向かったことがつい最近のように感じます。

僕がAチームに入る度に、絶対悔しいはずなのに欠かさず「頑張れよ」と言ってくれる彼のためにも、結果を出したいと常々思っていました。

実は、柴が北里大学とのオープン戦で3塁線を抜いたツーベースを打った時、サングラスの奥でちょっと泣いていました。笑

今ではお互いスタッフになりましたが、午後練習だというのに朝7:00に来て後輩の練習に付き添う姿を見ると、本当に刺激を受けます。

選手時代も、スタッフになってからも、

柴がいるから、ここまで頑張れていると本気で思っています。

僕が彼を支えられていたかは別として、少なくとも僕は彼に支えられてきました。

そんなアホみたいに実直な彼のラストブログにご期待ください。

頼んだぞ!

Indecision is often worse than wrong action.



4年 西村厚人
10月4日

10月4日

こんばんは。

塾高から7年目の仲、そして大学ではクラスまでも一緒になってしまった腐れ縁の中濱遼(政4 慶應義塾)からバトンを受け取りました、嶋内隆介(政4 慶應義塾)です。


大学入学当初、ラクロス部に入っていた私は準硬式野球部に入ることなど微塵も頭にありませんでした。
しかし、「野球がしたい」と純粋に思い、クラスメイトの中濱に相談したのを覚えています。

もし中濱がいなかったらこの部に入っていなかったかもしれません。
そんなきっかけをくれた中濱には感謝しています。

また、彼のスタッフとしての責任感やチームへの想いには誰もが一目置いていて、私も彼のそんな部分を尊敬しています。
私たちの代で初めてのスタッフが彼で良かったと思っております。


本日は秋リーグ戦最終カードである東大戦に向けて、4年が中心となった引き締まった練習となりました。
残り10日余り、最後まで後輩に伝えられることは伝えるようにと、後輩たちとのコミュニケーションが目立った練習でした。



さて、同期のみんなが感動的なブログを書いている中、私のブログは少し自己満足のような形になってしまうかもしれませんが、どうかお付き合いください。



私はこの3年半で 「役割」 の大切さを学ばせてもらったと考えています。


財務の仕事であったり、
ひたすらに走塁、三塁コーチャーをすること、
最近ではスタッフが足りない時にノックを打つなど、
その時々での自分の役割を考えてチームのために行動してきたつもりです。


地味な仕事でも、感謝された時は嬉しいこともありましたが、目立たない役回りだからこそ、
試合で活躍している同期を見るのが悔しかったり、
なんで自分だけいつもチャンスがないんだと、
不満に思うことばかりでした。


ただそんな時でも一つ心に思うことがあり、
結局自分は役割に徹することができました。


それは同期でスタッフになった中濱、稲田(法4 海陽学園)、西村(法4 慶應義塾 写真)、柴(環4 慶應義塾)の想いです。


彼らも私たちと同様、プレーで活躍することを願って入部してきました。
しかし、そんな彼らは自分の想いとは裏腹に、チームのためにスタッフという役回りを担ってくれました。


誰かがやらなくてはいけない役回り、
私もスタッフという選択を考えたことがありましたが、
そこで自身の活躍を優先し、踏み出すことができませんでした。


そんな私にとって彼らは本当にすごい存在で、
部活が終わった後の時間もチームのために割いてくれる彼らには感謝しかありませんし、彼ら無しに今のチームはありません。


勝手ながら、そんな彼らの分まで走り続けてきたつもりです。


感謝の想いを胸に、あと10日余りも全力で走り抜けます。

後輩のみんなも同期のスタッフには感謝を忘れずに。



そしてもう一つ、自分は「役割」を認識して、そこでの努力を重ねてきたつもりですが、結局役割内に収まるだけではおもしろくないことに気づきました。


時には左打ちにしたり、
外野手をやったり、
いろんな挑戦を通すことで野球を楽しむことができました。


後輩のみんなは、これからも口酸っぱく「役割」を果たせと言われると思いますが、それだけに目を向けず、
時には殻を破った行動も大切だと思います。
結局決めるのは自分ですし、よく言われますが、やらない後悔よりやる後悔です。


ただやるならとことんやりましょう。


中濱が昨日のブログで言っていたように、未来は前にしかありません。


偉そうなことは言えませんが、人生のうちでこんなに好きなことに打ち込めるのは今しかありません。

とにかくやってみればどうにかなります。笑



最後になりますが、この3年半お世話になった先輩方、後輩達、そして最高の同期への感謝で締めさせていただきます。


毎日あんな朝早くから我々を指導してくださった、織戸監督、嶋川コーチ、矢田コーチ、松本コーチ、そして試合には必ず足を運んでくださる三麦会の方々。


適当なことを言ってると思いきや、しっかり周りを見てくれていた才茂さん(H28卒)。


リーグ戦ベンチでは私のグローブをこよなく愛し、離さない名田屋さん(H29卒)。


私がベンチにいれば「なんでお前いるの?」、
ベンチから外れれば「なんでユニフォーム着てないの?」、とめちゃくちゃなことを言う渡邊勁介さん(H29卒)。


文句言いながらも飯だけは無限に奢ってくれる大脇さん(H29卒)、
これからも30年くらいよろしくお願いします。


頼りになるスタッフ陣であった田中優作さん(H29卒)、山本裕哉さん(H29卒)。


様子がおかしい後輩達である羽柴(商3 浅野)や石渡(経3 多摩大学目黒)、


先輩である私の守備をいじり続ける五島(経3 慶應義塾湘南藤沢)、下川(経2 慶應義塾)、出町(経2 慶應義塾)。


最近は普通にタメ口のかわいい後輩猪砂(法2 慶應義塾志木)、


どこか放っておけない田中杜人(政2 時習館)、鱗原(法2 湘南)。


そして何より最高の同期達。



ミーティング部かよ!って思うくらい学年ミーティングを重ねたのは真剣に野球に取り組んでた証拠。


一時期スタメンを取るまでに、叱咤激励して共に練習に取り組み続けてくれた有賀(商4 慶應義塾湘南藤沢)、


夜の10時過ぎまで一緒に室内練習場に籠った柴、


なんかもういろいろ最高なアニキ油科(環4 川和)、


口下手だけど熱い男、大島(総4 桐朋)、、。


同期はこれからも嫌という程よろしく。


ここには挙げきれないほどに最高の仲間と出会えて、幸せな3年半でした。

本当にありがとうございました。



明日のブログは、西村厚人に回します。下級生の頃から同じ内野手として、朝早くからノックやティー、練習が終わればウエイトトレーニングに励み、切磋琢磨してきた良きライバルです。

そんな彼は下級生の頃は連盟主務、4年になってからは運営統轄責任者としてチームを支え続けてきました。
「支える」という言葉が軽く感じるほど、彼はチームのために尽力したと言えます。

たぶんこれは同期の誰もが思ってることでしょう。
このブログだけでは感謝しきれないので、私は生涯かけて彼に恩を返すつもりです(笑)

社会人になっても今と同じように楽しくお酒を飲んで、共通の趣味を持ち、語り合える最高の仲間です。これからもよろしく。

All things are possible.



4年 嶋内隆介
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