10月5日
こんばんは。
嶋内隆介(政4 慶應義塾)からバトンを受け取った西村厚人(法4 慶應義塾)です。
思い返してみると、彼とは部活動以外でも多くの時間を共に過ごしてきました。
練習後、行きつけのお店でメロンソーダを飲みながら、くだらない話をしていたひと時。
オフになれば近くの温泉に行き、何時間も湯に浸かりながら真面目な話に明け暮れたひと時。
社会に出てお互い環境は変わろうとも、同じような時間を共有していきたいものです。
さて、いよいよ残すところ東大戦のみとなっていますが、今年の東大は投打共に例年よりレベルが高いことを、部員皆感じていると思います。
長袖を着る選手も増えてきましたが、実戦中心の緊張感ある熱い練習を行うことができたかと思います。
そして早くも中盤に差し掛かったラストブログリレー。
今日の練習後、僕のことを大好きな後輩複数名が
「西村さんのブログ楽しみにしてます!」
と目を輝かせていたのを思い出すと少々気張ってしまいますが、
頑張って言葉にするので温かい目で見守ってください。
「自分と向き合う」
僕がこの3年半で一番大切と感じたことです。
こうみるとなんだか陳腐に思えますが、真に自分に向き合うことは、簡単なことでないと思っています。
都合の良い自分とだけ向き合い続けることが一番幸せだからです。
僕は野球が下手でした。
硬式出身者がほとんどの準硬式野球界で、私の実力はある意味際立っていました。
それまで振っていた2倍の重さのバットが、筋トレもろくにしたことのないガリガリ男を振り回し、
目が追いつかない速さで襲ってくる硬いボールが、捕球どころかグローブすら触れられずに後ろを抜けていました。
僕の出自を考えても、きっとお荷物が入ってきたと先輩方には思われていたはずです。
ここで僕は必死に練習して、ベンチ入り争いに絡むまでの存在にはなります。
しかし、憧れの先輩方に少しずつ近づいていく過程に充足感を得ながらも
強豪六大学を相手に活躍するビジョンは、一向に見えないままでした。
野球がド下手な自分に向き合い、やっとのことで成長できた次には、
必死に努力して成長した自分が、六大学では通用しないという事実に向き合わなくてはならなくなりました。
死に物狂いで練習した分、この自分に向き合うことは正直辛かったですが、だからこそ今のスタッフとしての自分がありますし、あの努力があったから、今納得してスタッフに没頭できています。
何が言いたいかというと、目を背けたくなるような自分を含めて、真の意味で自分と向き合ってみてほしいということです。
たかだか22年しか生きていませんが、とりあえず今は、それが成長への一番の近道な気がしています。
結局僕たちは、春も秋も優勝できませんでした。
簡単でないことは百も承知でしたし、やれることもやってきたつもりでしたが、やはり後悔が残ります。
後輩には絶対に優勝して欲しい、そのためにも、本当に頑張ってください。応援しています。
と、「感謝」をテーマにしたブログが続いていたこともあったので何か変えようとした結果、変な感じになってしまいました…。
人生一度のラストブログ、嶋内みたいにもっと前の日から気合を入れて作っておくべきでした。
胸の内に秘める感謝は、直接皆さんに伝えていこうと思います。
さあ、明日のブログは柴崚太郎(環4 慶應義塾 写真)に回しましょう。
彼とは唯一の高校時代からの同期。
選手時代、「下手くそな俺たちはみんなの3倍練習しよう」とお互いを鼓舞しあって、3:30に起床して練習に向かったことがつい最近のように感じます。
僕がAチームに入る度に、絶対悔しいはずなのに欠かさず「頑張れよ」と言ってくれる彼のためにも、結果を出したいと常々思っていました。
実は、柴が北里大学とのオープン戦で3塁線を抜いたツーベースを打った時、サングラスの奥でちょっと泣いていました。笑
今ではお互いスタッフになりましたが、午後練習だというのに朝7:00に来て後輩の練習に付き添う姿を見ると、本当に刺激を受けます。
選手時代も、スタッフになってからも、
柴がいるから、ここまで頑張れていると本気で思っています。
僕が彼を支えられていたかは別として、少なくとも僕は彼に支えられてきました。
そんなアホみたいに実直な彼のラストブログにご期待ください。
頼んだぞ!
Indecision is often worse than wrong action.
4年 西村厚人
嶋内隆介(政4 慶應義塾)からバトンを受け取った西村厚人(法4 慶應義塾)です。
思い返してみると、彼とは部活動以外でも多くの時間を共に過ごしてきました。
練習後、行きつけのお店でメロンソーダを飲みながら、くだらない話をしていたひと時。
オフになれば近くの温泉に行き、何時間も湯に浸かりながら真面目な話に明け暮れたひと時。
社会に出てお互い環境は変わろうとも、同じような時間を共有していきたいものです。
さて、いよいよ残すところ東大戦のみとなっていますが、今年の東大は投打共に例年よりレベルが高いことを、部員皆感じていると思います。
長袖を着る選手も増えてきましたが、実戦中心の緊張感ある熱い練習を行うことができたかと思います。
そして早くも中盤に差し掛かったラストブログリレー。
今日の練習後、僕のことを大好きな後輩複数名が
「西村さんのブログ楽しみにしてます!」
と目を輝かせていたのを思い出すと少々気張ってしまいますが、
頑張って言葉にするので温かい目で見守ってください。
「自分と向き合う」
僕がこの3年半で一番大切と感じたことです。
こうみるとなんだか陳腐に思えますが、真に自分に向き合うことは、簡単なことでないと思っています。
都合の良い自分とだけ向き合い続けることが一番幸せだからです。
僕は野球が下手でした。
硬式出身者がほとんどの準硬式野球界で、私の実力はある意味際立っていました。
それまで振っていた2倍の重さのバットが、筋トレもろくにしたことのないガリガリ男を振り回し、
目が追いつかない速さで襲ってくる硬いボールが、捕球どころかグローブすら触れられずに後ろを抜けていました。
僕の出自を考えても、きっとお荷物が入ってきたと先輩方には思われていたはずです。
ここで僕は必死に練習して、ベンチ入り争いに絡むまでの存在にはなります。
しかし、憧れの先輩方に少しずつ近づいていく過程に充足感を得ながらも
強豪六大学を相手に活躍するビジョンは、一向に見えないままでした。
野球がド下手な自分に向き合い、やっとのことで成長できた次には、
必死に努力して成長した自分が、六大学では通用しないという事実に向き合わなくてはならなくなりました。
死に物狂いで練習した分、この自分に向き合うことは正直辛かったですが、だからこそ今のスタッフとしての自分がありますし、あの努力があったから、今納得してスタッフに没頭できています。
何が言いたいかというと、目を背けたくなるような自分を含めて、真の意味で自分と向き合ってみてほしいということです。
たかだか22年しか生きていませんが、とりあえず今は、それが成長への一番の近道な気がしています。
結局僕たちは、春も秋も優勝できませんでした。
簡単でないことは百も承知でしたし、やれることもやってきたつもりでしたが、やはり後悔が残ります。
後輩には絶対に優勝して欲しい、そのためにも、本当に頑張ってください。応援しています。
と、「感謝」をテーマにしたブログが続いていたこともあったので何か変えようとした結果、変な感じになってしまいました…。
人生一度のラストブログ、嶋内みたいにもっと前の日から気合を入れて作っておくべきでした。
胸の内に秘める感謝は、直接皆さんに伝えていこうと思います。
さあ、明日のブログは柴崚太郎(環4 慶應義塾 写真)に回しましょう。
彼とは唯一の高校時代からの同期。
選手時代、「下手くそな俺たちはみんなの3倍練習しよう」とお互いを鼓舞しあって、3:30に起床して練習に向かったことがつい最近のように感じます。
僕がAチームに入る度に、絶対悔しいはずなのに欠かさず「頑張れよ」と言ってくれる彼のためにも、結果を出したいと常々思っていました。
実は、柴が北里大学とのオープン戦で3塁線を抜いたツーベースを打った時、サングラスの奥でちょっと泣いていました。笑
今ではお互いスタッフになりましたが、午後練習だというのに朝7:00に来て後輩の練習に付き添う姿を見ると、本当に刺激を受けます。
選手時代も、スタッフになってからも、
柴がいるから、ここまで頑張れていると本気で思っています。
僕が彼を支えられていたかは別として、少なくとも僕は彼に支えられてきました。
そんなアホみたいに実直な彼のラストブログにご期待ください。
頼んだぞ!
Indecision is often worse than wrong action.
4年 西村厚人