10月6日
こんばんは。
西村厚人(法4 慶應義塾)からご紹介に預かりました、柴崚太郎(環4 慶應義塾 写真左)です。
昨日のブログで西村は、「僕が彼を支えられていたか分からない。」と不安がっていたので、この機会にお答えしましょう。
僕は西村に支えられてきました。
というより、西村に常におんぶにだっこ。
それは高校時代から今日まで、7年間変わらないことです。
この先の人生で、彼が困っている時、1回でもおんぶし、そしてだっこできるような人間になることは、僕の目標の1つでもあります。
さて、本日の練習は来週末に控える東大戦に向けて引き締まった、良い雰囲気でできました。
金曜の練習は特に人数が多いため、下級生の多くは全ての練習メニューには入れません。ですが、練習の前後に積極的に自主練習に励む彼らの姿を見ると、部員95人全員で東大戦を勝ちにいく姿勢の表れではないかと感じました。
さて、ラストブログリレー、ついに自分にバトンが回ってきてしまいました。
これがラストブログの内容として正しいかは分かりません。
ですが、自分らしく、熱いスピリットをしっかり燃やしながら、書き上げてやろうではありませんか。
「ド下手クソ。」
この言葉が自分にはぴったりだと思います。
それは野球の実力しかり、生き方しかり。
下級生時から誰からも期待されていなかった自分は、結局選手として1回も公式戦には出られず、唯一残せたものはというと、
おそらく弊部史上1番の珍粗相だと思います。
そんなどうしようもない僕のことを、沢山の人が支えてきてくれました。
それは部の関係者だけではありません。
毎朝、駐輪場で「いってらっしゃい!」と元気よく声を掛けてくれる、名前も知らないおっちゃん。
練習後に昼飯を食べに行くと、「準硬っす!」と言うだけで、サービスをしてくれる藤屋の名物店長。こちらも、未だに名前が分かりません。
そんな、名前も知らない沢山の人達も僕のことを支えてきてくれました。
ここで、名前を知っている人達に感謝の言葉は無いのか?と疑問に思う人も多いでしょう。
でもここには書けません、数が多すぎます。
昨日、何度もブログの下書きをしました。
沢山の人の名前を書いては消し、書いては消し。
このブログには収まりきらない感謝の気持ちは、一人一人に丁寧に僕の言動で示して行きたいと思います。
一人だけ、山本裕哉先輩(H29卒)。
冒頭でも言った「ド下手クソ。」な選手時代の自分に懇切丁寧に、、いや非常にテキトーなアドバイスをして下さり、
そしてスタッフとしてあるべき姿を提示して下さり本当に感謝しています。
あなたのお陰でここまでやってこれました。
裕哉さんが遺してくれたものを僕も、少しだけ引き継げたのではないかと思います。
僕が後輩達に遺せたものは、応援席でバントケースになるとお尻を上下に揺らす奇妙な動作と、今秋のリーグ戦で数々の奇跡を演出してくれた一つの"角材"くらいです。
ただ、一つだけ遺したい言葉があります。
「目は口ほどに物を言う。」
僕はこの言葉を、準硬での4年間で良くも悪くも、特にスタッフになってから強く実感しました。
所詮、言葉で伝えられることには限りがあります。
自分がどんな立場であっても、自らの行動を律することを怠らないで下さい。
そうすれば、皆の目は今よりもっと輝きを増し、自分の真意をきっと仲間は汲み取ってくれるでしょう。
僕はそんな仲間を持てたと実感しています。
僕を今まで支えてきてくれた後輩達は皆、本当に良い目をしていると思います。
そんな皆の目が今よりもっと輝きを増せば、これから先、強い準硬式野球部が築けると確信しています。
では、そろそろブログのバトンを田口勝康(商4 慶應義塾 写真右)に渡そうと思います。
彼と自分は常に馬鹿をして、周囲に迷惑を掛けてきました。
でも田口と僕とで決定的に違うのは、僕は単純に馬鹿、田口はもっと単純に馬鹿だということです。
馬鹿をよく捉えると、素直で実直。
そんな田口の実直さに何度救われたことか、そんな田口をどれだけ大好きなことか。
そんな大好きな田口のためなら、僕はいくらでも自分の時間を割けます。
ここまでくると、「お前、、そっちの気があるんじゃないか?」と疑われるかもしれませんね。否定できませんが笑
そんな何においても実直な彼は、努力を積み重ねた結果、怪我からの復活を果たし、
法政カードでついに今秋のリーグ戦では初のベンチ入りを果たしました。
最後に一本、もう一度田口のヒットを見せて欲しい。
そんな彼のヒットを僕の "ド下手クソな馬鹿応援" で後押しできれば幸いです。
では田口、ラストブログも、残り1週間も、全力で馬鹿しようぜ!
No pain, no gain
4年 柴崚太郎
西村厚人(法4 慶應義塾)からご紹介に預かりました、柴崚太郎(環4 慶應義塾 写真左)です。
昨日のブログで西村は、「僕が彼を支えられていたか分からない。」と不安がっていたので、この機会にお答えしましょう。
僕は西村に支えられてきました。
というより、西村に常におんぶにだっこ。
それは高校時代から今日まで、7年間変わらないことです。
この先の人生で、彼が困っている時、1回でもおんぶし、そしてだっこできるような人間になることは、僕の目標の1つでもあります。
さて、本日の練習は来週末に控える東大戦に向けて引き締まった、良い雰囲気でできました。
金曜の練習は特に人数が多いため、下級生の多くは全ての練習メニューには入れません。ですが、練習の前後に積極的に自主練習に励む彼らの姿を見ると、部員95人全員で東大戦を勝ちにいく姿勢の表れではないかと感じました。
さて、ラストブログリレー、ついに自分にバトンが回ってきてしまいました。
これがラストブログの内容として正しいかは分かりません。
ですが、自分らしく、熱いスピリットをしっかり燃やしながら、書き上げてやろうではありませんか。
「ド下手クソ。」
この言葉が自分にはぴったりだと思います。
それは野球の実力しかり、生き方しかり。
下級生時から誰からも期待されていなかった自分は、結局選手として1回も公式戦には出られず、唯一残せたものはというと、
おそらく弊部史上1番の珍粗相だと思います。
そんなどうしようもない僕のことを、沢山の人が支えてきてくれました。
それは部の関係者だけではありません。
毎朝、駐輪場で「いってらっしゃい!」と元気よく声を掛けてくれる、名前も知らないおっちゃん。
練習後に昼飯を食べに行くと、「準硬っす!」と言うだけで、サービスをしてくれる藤屋の名物店長。こちらも、未だに名前が分かりません。
そんな、名前も知らない沢山の人達も僕のことを支えてきてくれました。
ここで、名前を知っている人達に感謝の言葉は無いのか?と疑問に思う人も多いでしょう。
でもここには書けません、数が多すぎます。
昨日、何度もブログの下書きをしました。
沢山の人の名前を書いては消し、書いては消し。
このブログには収まりきらない感謝の気持ちは、一人一人に丁寧に僕の言動で示して行きたいと思います。
一人だけ、山本裕哉先輩(H29卒)。
冒頭でも言った「ド下手クソ。」な選手時代の自分に懇切丁寧に、、いや非常にテキトーなアドバイスをして下さり、
そしてスタッフとしてあるべき姿を提示して下さり本当に感謝しています。
あなたのお陰でここまでやってこれました。
裕哉さんが遺してくれたものを僕も、少しだけ引き継げたのではないかと思います。
僕が後輩達に遺せたものは、応援席でバントケースになるとお尻を上下に揺らす奇妙な動作と、今秋のリーグ戦で数々の奇跡を演出してくれた一つの"角材"くらいです。
ただ、一つだけ遺したい言葉があります。
「目は口ほどに物を言う。」
僕はこの言葉を、準硬での4年間で良くも悪くも、特にスタッフになってから強く実感しました。
所詮、言葉で伝えられることには限りがあります。
自分がどんな立場であっても、自らの行動を律することを怠らないで下さい。
そうすれば、皆の目は今よりもっと輝きを増し、自分の真意をきっと仲間は汲み取ってくれるでしょう。
僕はそんな仲間を持てたと実感しています。
僕を今まで支えてきてくれた後輩達は皆、本当に良い目をしていると思います。
そんな皆の目が今よりもっと輝きを増せば、これから先、強い準硬式野球部が築けると確信しています。
では、そろそろブログのバトンを田口勝康(商4 慶應義塾 写真右)に渡そうと思います。
彼と自分は常に馬鹿をして、周囲に迷惑を掛けてきました。
でも田口と僕とで決定的に違うのは、僕は単純に馬鹿、田口はもっと単純に馬鹿だということです。
馬鹿をよく捉えると、素直で実直。
そんな田口の実直さに何度救われたことか、そんな田口をどれだけ大好きなことか。
そんな大好きな田口のためなら、僕はいくらでも自分の時間を割けます。
ここまでくると、「お前、、そっちの気があるんじゃないか?」と疑われるかもしれませんね。否定できませんが笑
そんな何においても実直な彼は、努力を積み重ねた結果、怪我からの復活を果たし、
法政カードでついに今秋のリーグ戦では初のベンチ入りを果たしました。
最後に一本、もう一度田口のヒットを見せて欲しい。
そんな彼のヒットを僕の "ド下手クソな馬鹿応援" で後押しできれば幸いです。
では田口、ラストブログも、残り1週間も、全力で馬鹿しようぜ!
No pain, no gain
4年 柴崚太郎