10月10日
こんばんは。
油科俊毅(環4 川和)からブログを託されました、竹原雅貴(理4 横浜翠嵐 写真中央)です。
油科のブログにもあった通り、私たちの出会いは5年前の夏、高校野球最後の大会でした。
当時は「変わった名前だなぁ」程度の印象でしたが、フルスイングでの三塁打、ヘッドスライディングで地面を叩いて悔しがる姿は、思い返せば今にも通じる漢っぷりだったかもしれません。
「一緒に野球やろうぜ」
なんて恥ずかしいことを言った記憶はありませんが、
高校野球から縁のある選手と一緒に野球できることがとても嬉しかったのはよく覚えています。
まあ色々あったけど、最後はホウタマにアベックホームランでもぶち込んで引退しよう。
川和高校にはなんとか勝利した僕ですが、次の試合で塾高に敗れ、KEIOのユニフォームが大嫌いな状況で準硬式野球部に入部することとなりました。
しかし、そんな想いは忘れるほど、準硬では充実した4年間を過ごさせてもらえました。
おかげさまで、KEIOのユニフォームが大好きな状況で引退することができそうです。
もちろん、悔しいこと、辛いことはたくさんありました。
初めての公式戦では、法政の甲子園軍団に打ち込まれました。
紅白戦で名田屋さん(H29卒)に3安打され、サイドスロー転向を決めました。
初先発の関東大会、早稲田相手に1回ももたず9失点しました。
ホウタマの石垣にまでホームランを飛ばされたこともありました。
いつの日からか、肘は曲がらなくなってしまいました。
自分たちの代の春には自分自身1勝しかできず5位に沈みました。
そんな中でも、支えてくださる人は沢山いました。
ラストシーズンの間にも関わらず、ピッチングを何度も指導して頂いた小西さん、中場さん(共にH27卒)。
何度ボコボコにされても励ましマウンドに送り出してくれた伊勢さん、才茂さん(共にH28卒)。
ブルペンでは松島さん(H29卒)、齋藤(総3 聖学院)に何球捕ってもらったか分かりません。
僕らの代には投手が僕1人しかおらず、投手陣の先輩方・後輩達は下手したら同期よりも長い時間を共に過ごしたかもしれません。
いつも球場に来てくださるOB、JKBの皆様にはいつも優しい声をかけて頂きました。
そんなみなさんのおかげで、嬉しい経験も沢山できました。
早稲田を3回も完封できました。
ウエイトトレーニングを頑張って、体重が10キロ増えました。
2年間背番号18をつけ、通算18勝もあげることができました。
先輩方に導かれ、優勝決定戦のマウンドも経験できました。
この秋苦しんでもぎ取った明治、立教からの勝ち点は今までのどれよりも嬉しかった。
好き勝手にのびのびと、後悔の少ない4年間を過ごすことができました。
改めて、4年間お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。
そんな僕から、僭越ながら後輩へのメッセージをひとつだけ。
「自分の納得のいくことをやり抜くこと。」
どう頑張っても、結果なんてどう転ぶか分かりません。
そして出てきた結果を最後に誰よりも重く受け止め、背負わなければならないのは自分です。
ならば、人に言われたからとか、これやれば周りに何も言われないからとかじゃなく、
まずは自分自身が納得できる練習をしよう。
そうすれば、結果が出た後の後悔は少なくなると思います。
特に投手陣!
自分のピッチングでチームの勝ち負けが決まってしまうことを忘れず、
自分に嘘をつかない練習をしてください。
自分の納得する練習をしていたら、
それが自信になって「メンタルが弱い」なんてもう2度と言われなくなるはずです。
特に菅ちゃん(経3 慶應義塾)、頑張れ。
長沢(政3 慶應義塾)はまあいいや。
最後に同期へ。
個性しかないこの代でなければ、
思ったことを全て口に出してしまう僕は受け入れてもらえなかったと思います。
あえてここにたくさんは書きませんが、
本当に楽しい代でした。
本当にお世話になりました。
ありがとう。
さて、書きたいことを全て書き連ねたので、そろそろ次にブログを繋ぎたいと思います。
明日のブログは背番号1、一生懸命くんこと井筒陽介(経4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)に回したいと思います。
井筒くんは六大No.1の守備範囲を持つものの正面の打球は高確率でエラーするという弱点を抱えています。
しかし彼がエラーするとなぜかチームが勝つという、持ってる男です。
そしてチームNo.1のいじられキャラでもあります。
誰よりも井筒のことをいじっているのは僕だと思うので、
ブログでももっといじり倒してやりたいところですが、ここら辺でやめておきます。
最後に井筒へ一言。
いつもいじってごめんね、
でもあと5日いじり倒すから覚悟しといてくれ!!
一意専心
4年 竹原雅貴
油科俊毅(環4 川和)からブログを託されました、竹原雅貴(理4 横浜翠嵐 写真中央)です。
油科のブログにもあった通り、私たちの出会いは5年前の夏、高校野球最後の大会でした。
当時は「変わった名前だなぁ」程度の印象でしたが、フルスイングでの三塁打、ヘッドスライディングで地面を叩いて悔しがる姿は、思い返せば今にも通じる漢っぷりだったかもしれません。
「一緒に野球やろうぜ」
なんて恥ずかしいことを言った記憶はありませんが、
高校野球から縁のある選手と一緒に野球できることがとても嬉しかったのはよく覚えています。
まあ色々あったけど、最後はホウタマにアベックホームランでもぶち込んで引退しよう。
川和高校にはなんとか勝利した僕ですが、次の試合で塾高に敗れ、KEIOのユニフォームが大嫌いな状況で準硬式野球部に入部することとなりました。
しかし、そんな想いは忘れるほど、準硬では充実した4年間を過ごさせてもらえました。
おかげさまで、KEIOのユニフォームが大好きな状況で引退することができそうです。
もちろん、悔しいこと、辛いことはたくさんありました。
初めての公式戦では、法政の甲子園軍団に打ち込まれました。
紅白戦で名田屋さん(H29卒)に3安打され、サイドスロー転向を決めました。
初先発の関東大会、早稲田相手に1回ももたず9失点しました。
ホウタマの石垣にまでホームランを飛ばされたこともありました。
いつの日からか、肘は曲がらなくなってしまいました。
自分たちの代の春には自分自身1勝しかできず5位に沈みました。
そんな中でも、支えてくださる人は沢山いました。
ラストシーズンの間にも関わらず、ピッチングを何度も指導して頂いた小西さん、中場さん(共にH27卒)。
何度ボコボコにされても励ましマウンドに送り出してくれた伊勢さん、才茂さん(共にH28卒)。
ブルペンでは松島さん(H29卒)、齋藤(総3 聖学院)に何球捕ってもらったか分かりません。
僕らの代には投手が僕1人しかおらず、投手陣の先輩方・後輩達は下手したら同期よりも長い時間を共に過ごしたかもしれません。
いつも球場に来てくださるOB、JKBの皆様にはいつも優しい声をかけて頂きました。
そんなみなさんのおかげで、嬉しい経験も沢山できました。
早稲田を3回も完封できました。
ウエイトトレーニングを頑張って、体重が10キロ増えました。
2年間背番号18をつけ、通算18勝もあげることができました。
先輩方に導かれ、優勝決定戦のマウンドも経験できました。
この秋苦しんでもぎ取った明治、立教からの勝ち点は今までのどれよりも嬉しかった。
好き勝手にのびのびと、後悔の少ない4年間を過ごすことができました。
改めて、4年間お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。
そんな僕から、僭越ながら後輩へのメッセージをひとつだけ。
「自分の納得のいくことをやり抜くこと。」
どう頑張っても、結果なんてどう転ぶか分かりません。
そして出てきた結果を最後に誰よりも重く受け止め、背負わなければならないのは自分です。
ならば、人に言われたからとか、これやれば周りに何も言われないからとかじゃなく、
まずは自分自身が納得できる練習をしよう。
そうすれば、結果が出た後の後悔は少なくなると思います。
特に投手陣!
自分のピッチングでチームの勝ち負けが決まってしまうことを忘れず、
自分に嘘をつかない練習をしてください。
自分の納得する練習をしていたら、
それが自信になって「メンタルが弱い」なんてもう2度と言われなくなるはずです。
特に菅ちゃん(経3 慶應義塾)、頑張れ。
長沢(政3 慶應義塾)はまあいいや。
最後に同期へ。
個性しかないこの代でなければ、
思ったことを全て口に出してしまう僕は受け入れてもらえなかったと思います。
あえてここにたくさんは書きませんが、
本当に楽しい代でした。
本当にお世話になりました。
ありがとう。
さて、書きたいことを全て書き連ねたので、そろそろ次にブログを繋ぎたいと思います。
明日のブログは背番号1、一生懸命くんこと井筒陽介(経4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)に回したいと思います。
井筒くんは六大No.1の守備範囲を持つものの正面の打球は高確率でエラーするという弱点を抱えています。
しかし彼がエラーするとなぜかチームが勝つという、持ってる男です。
そしてチームNo.1のいじられキャラでもあります。
誰よりも井筒のことをいじっているのは僕だと思うので、
ブログでももっといじり倒してやりたいところですが、ここら辺でやめておきます。
最後に井筒へ一言。
いつもいじってごめんね、
でもあと5日いじり倒すから覚悟しといてくれ!!
一意専心
4年 竹原雅貴