10月12日
井筒(経4 慶應義塾湘南藤沢)から紹介に預かりました、皆さんお待ちかね英検3級、TOEIC90点、文武両道の鏡、有賀慎一郎(商4 慶應義塾湘南藤沢 写真右)です。この写真は副将3人の写真です。やっぱり良い写真です。
井筒とはもう10年間一緒に野球をしてきました。12歳の時、ガンジーのようなメガネでおかっぱ気味の彼が野球をしていたのを知っているのはこの部で僕1人だけでしょう。
彼は全力少年です。僕が疲れて少し抜いているランも、高校時代の1時間続いた灼熱のグラウンドでの素振りも、突然綺麗なお姉さんが目の前に現れて凝視している姿も彼はいつも全力でした。10年間春夏秋冬4000日、嫌という程隣で見てきた僕が言うので間違いないです。
そんな日々もあと3日。また内緒でiPhoneを冷凍庫に入れようと思います。
分かっています。ちょっと井筒に尺を使いすぎました。皆様申し訳ありません。陳謝。
井筒はさておき、僕の大学野球生活は本当に濃縮されていて、狂う程楽しい3年半を過ごすことができました。
今から4年前。
僕は高校3年の夏のめちゃくちゃ大切な最後の大会前、右膝靭帯を断裂。そのまま出場した試合で死球で左手首を骨折し、天を仰いで高校野球が終わりました。
1人でトイレにも行けず、90歳のヨボヨボの爺さんに歩くのを抜かされ、乗るはずのバスには乗れず何台ものバスに追い抜かされる。しまいには原因不明のストレス性のアレルギーで死にかけました。
手術後1週間の放心状態を経て、夜10時ナースステーションの前のソファで「準硬入ったらベストナイン獲るぞ」と腹筋を始めました。「傷口開くぞ」と関西弁キツめのベテランナースに頭を叩かれ足を持ってもらいました。
それが僕の大学野球の原点です。
そうです最悪です。ボロ雑巾みたいなスタートです。あの頃から何も自分の中では変わってません。今でも全部昨日の事のように覚えています。
準硬に入っても当たり前のように思うような結果が残せませんでした。
2年生の春から試合に出させてもらい、甲子園球児たちの圧倒的な力に打ちひしがれていました。
多くの試合でチームを負けに導いてきました。4年の春には大怪我をして、またまともに歩けなくなり試合に出れずチームも5位になりました。
毎日毎日本当に色んなことがありました。
平坦な道ではなかったです。泥水すするような道でした。
18歳の時に本当は野球が終わっていたはずでした。だから周りの人たちには感謝しかありません。
高3で手術して野球部をはじめとする沢山のSFCの友達がお見舞いに来てくれ、そこから本当に多くの人に支えられ、大学でももったいないくらいのクセのある素晴らしい人達に出会いました。どんな時も助けてもらい、自己主張の激しいガキの自分を認めてくれて背中を押され、今野球ができています。
1人で小便も行けない人生のドン底だった残念な僕は本当に多くの人の手で引き上げてもらいました。もう1回獲りますがベストナインも2回獲れました。昨秋7年半ぶりのリーグ優勝もできました。病院の天井を1日中穴があくくらい見ていたころには想像できなかったことです。
感謝しかありません。ありがとうございます。本当に多くの人達のおかげで今があります。
だいたいみんな酔ってて何言ってるか理解不能だけどやたらと応援してくれる友人たち。
私たちを息子のように温かい目で見守ってくれた首脳陣の方々。
全力で毎日のように痛いところを押し針をさしてくれた接骨院の先生たち。
常に越えたい存在だった小西さん(H27卒)。
「メシ!」と言ってあなたの有り余るお金を沢山使いました永谷さん(H28卒)。
練習する魅力的な背中はやたらかっこ良かったですクセが強過ぎる谷上さん(H28卒)。
バッテリーっていう時間を感じ最高でした猪砂さん、高木さん(共にH29卒)。
谷上さん以来圧倒的練習量、キャッチボール相手として地球上最底辺世界、スーパースター石渡元就(経3 多摩大学目黒)。
そして最高にくだらない同期。あざす。
僕の人生に大きな影響を与えてくれましたありがとうございます。個人名を書いたら書ききれないので許してください。
長いとは思うのですが最後にもう1つ。中二病かもしれませんが僕自身凄く大切なことだと思っていることです。
人生のドン底だった18歳の時からずっーと考えてきたことがあります。
「何のために野球をするのか」
この本質について4年間ずっと考えてきました。自分のためではなくてチームメートや周りの人を幸せにするために野球をする。周りを幸せにできる程、自分に力があるのか努力しているのか情熱はあるのか、このことに何よりも向き合ってこれたことが1番の自分の財産です。
自分が野球が上手いとか、金持ちかとか、容姿が良いかとか、そのこと自体はそんなに大した価値ではないと思うのです。自分が大切な周りの人を幸せに、笑顔に、他人の人生にプラスの影響を与えてこそはじめて価値があると思います。その為になりふり構わず前に出れる人間は最高にカッコいいと思います。
是非、しらけた人間にならず、人間的魅力のある人間に後輩にはなってもらいたい。そして私自身そういう人間になります。花火大会でもないのに花火をあげたいです。
まだまだ終わりじゃないです。
最後の東大戦、圧倒的に勝ってどデカイ有終の美を飾ってやろうと思います。こんな自分ですが最後まで背中を押してくださいお願いします。
次にブログを回すのは正々堂々、ド直球人間、正義は必ず勝つ、富田雅基(経4 桐朋 写真左)です。
彼とはこの1年で本当にソウルメイトになれました。同じ副将として人生の友として彼の聡明な考えに触れ、僕の人生が豊かになりました。
彼が東大戦必ず打ってくれると僕は信じています。頼むぞ富田。
有言実行
4年 有賀慎一郎
井筒とはもう10年間一緒に野球をしてきました。12歳の時、ガンジーのようなメガネでおかっぱ気味の彼が野球をしていたのを知っているのはこの部で僕1人だけでしょう。
彼は全力少年です。僕が疲れて少し抜いているランも、高校時代の1時間続いた灼熱のグラウンドでの素振りも、突然綺麗なお姉さんが目の前に現れて凝視している姿も彼はいつも全力でした。10年間春夏秋冬4000日、嫌という程隣で見てきた僕が言うので間違いないです。
そんな日々もあと3日。また内緒でiPhoneを冷凍庫に入れようと思います。
分かっています。ちょっと井筒に尺を使いすぎました。皆様申し訳ありません。陳謝。
井筒はさておき、僕の大学野球生活は本当に濃縮されていて、狂う程楽しい3年半を過ごすことができました。
今から4年前。
僕は高校3年の夏のめちゃくちゃ大切な最後の大会前、右膝靭帯を断裂。そのまま出場した試合で死球で左手首を骨折し、天を仰いで高校野球が終わりました。
1人でトイレにも行けず、90歳のヨボヨボの爺さんに歩くのを抜かされ、乗るはずのバスには乗れず何台ものバスに追い抜かされる。しまいには原因不明のストレス性のアレルギーで死にかけました。
手術後1週間の放心状態を経て、夜10時ナースステーションの前のソファで「準硬入ったらベストナイン獲るぞ」と腹筋を始めました。「傷口開くぞ」と関西弁キツめのベテランナースに頭を叩かれ足を持ってもらいました。
それが僕の大学野球の原点です。
そうです最悪です。ボロ雑巾みたいなスタートです。あの頃から何も自分の中では変わってません。今でも全部昨日の事のように覚えています。
準硬に入っても当たり前のように思うような結果が残せませんでした。
2年生の春から試合に出させてもらい、甲子園球児たちの圧倒的な力に打ちひしがれていました。
多くの試合でチームを負けに導いてきました。4年の春には大怪我をして、またまともに歩けなくなり試合に出れずチームも5位になりました。
毎日毎日本当に色んなことがありました。
平坦な道ではなかったです。泥水すするような道でした。
18歳の時に本当は野球が終わっていたはずでした。だから周りの人たちには感謝しかありません。
高3で手術して野球部をはじめとする沢山のSFCの友達がお見舞いに来てくれ、そこから本当に多くの人に支えられ、大学でももったいないくらいのクセのある素晴らしい人達に出会いました。どんな時も助けてもらい、自己主張の激しいガキの自分を認めてくれて背中を押され、今野球ができています。
1人で小便も行けない人生のドン底だった残念な僕は本当に多くの人の手で引き上げてもらいました。もう1回獲りますがベストナインも2回獲れました。昨秋7年半ぶりのリーグ優勝もできました。病院の天井を1日中穴があくくらい見ていたころには想像できなかったことです。
感謝しかありません。ありがとうございます。本当に多くの人達のおかげで今があります。
だいたいみんな酔ってて何言ってるか理解不能だけどやたらと応援してくれる友人たち。
私たちを息子のように温かい目で見守ってくれた首脳陣の方々。
全力で毎日のように痛いところを押し針をさしてくれた接骨院の先生たち。
常に越えたい存在だった小西さん(H27卒)。
「メシ!」と言ってあなたの有り余るお金を沢山使いました永谷さん(H28卒)。
練習する魅力的な背中はやたらかっこ良かったですクセが強過ぎる谷上さん(H28卒)。
バッテリーっていう時間を感じ最高でした猪砂さん、高木さん(共にH29卒)。
谷上さん以来圧倒的練習量、キャッチボール相手として地球上最底辺世界、スーパースター石渡元就(経3 多摩大学目黒)。
そして最高にくだらない同期。あざす。
僕の人生に大きな影響を与えてくれましたありがとうございます。個人名を書いたら書ききれないので許してください。
長いとは思うのですが最後にもう1つ。中二病かもしれませんが僕自身凄く大切なことだと思っていることです。
人生のドン底だった18歳の時からずっーと考えてきたことがあります。
「何のために野球をするのか」
この本質について4年間ずっと考えてきました。自分のためではなくてチームメートや周りの人を幸せにするために野球をする。周りを幸せにできる程、自分に力があるのか努力しているのか情熱はあるのか、このことに何よりも向き合ってこれたことが1番の自分の財産です。
自分が野球が上手いとか、金持ちかとか、容姿が良いかとか、そのこと自体はそんなに大した価値ではないと思うのです。自分が大切な周りの人を幸せに、笑顔に、他人の人生にプラスの影響を与えてこそはじめて価値があると思います。その為になりふり構わず前に出れる人間は最高にカッコいいと思います。
是非、しらけた人間にならず、人間的魅力のある人間に後輩にはなってもらいたい。そして私自身そういう人間になります。花火大会でもないのに花火をあげたいです。
まだまだ終わりじゃないです。
最後の東大戦、圧倒的に勝ってどデカイ有終の美を飾ってやろうと思います。こんな自分ですが最後まで背中を押してくださいお願いします。
次にブログを回すのは正々堂々、ド直球人間、正義は必ず勝つ、富田雅基(経4 桐朋 写真左)です。
彼とはこの1年で本当にソウルメイトになれました。同じ副将として人生の友として彼の聡明な考えに触れ、僕の人生が豊かになりました。
彼が東大戦必ず打ってくれると僕は信じています。頼むぞ富田。
有言実行
4年 有賀慎一郎