9月29日
こんばんは。
本日のブログを担当させていただきます、鈴木貴(文4 清水東 写真左)です。
前回のブログ担当の伊藤雅彦(経4 関西大倉)は、入部当初は剛腕投手でした。ブルペンで彼が投げ込んでいる姿を見て、「すごい球を投げる投手が同期にいるんだな」と思いました。それから、途中で捕手に転向し、今ではチームNo.1とも言われるキャッチングを武器に投手陣から非常に信頼の厚い女房役です。
小学生時代に投手も捕手もクビになった経験を持つ僕にとって、両方できる彼はヒーローです。
本日は法政戦前の最後の練習でした。チームとして盛り上がった雰囲気で練習ができ、良い準備ができたのではないでしょうか。
さて、ラストブログということもあり、僕はここで2つの感謝の気持ちを綴りたいと思います。
1つ目は「両親」への感謝です。
6歳で野球を始めて、今現在24歳まで野球を続けることができたのは、紛れもなく両親の支えがあってのものでした。
父親は、小学校から高校まで、ほとんどの試合に応援に来てくれ、アドバイスや叱咤激励を、
母親は、食事面からのサポートをし続けてくれたり、部活が朝早い時には送り迎えをしてくれたりしました。
幼い頃からの会話もほとんど野球で、野球を通して家族と繋がっていた気がします。
あまり余裕のない家庭にも関わらず、「慶應にいきたい」と言う僕を全力でサポートしてくれました。
そんな常に支えてくれ、自由に夢を追わせてくれた両親に最後の野球で、良い報告をできるよう、残りの準硬生活も全力で頑張ります。
2つ目は、「部の方々」への感謝です。
打率がそんなに高くないにも関わらず、代打だけでもリーグ戦で20試合、20打席以上起用し期待し続けてくれた首脳陣の方々
今春のリーグ戦ではスタメンでも使っていただき、感謝に堪えません。
下級生の頃からよく御飯に連れて行ってくださった、渡辺裕貴さん(H27卒)、谷上さん(H28卒)、高木さん(H29卒)、
朝ノックやPPでシゴいてくれ、20sダイエットに貢献してくれた三浦さん(H28卒)、
打撃で悩んでいるときによく相談に乗ってくれた勁介さん(H29卒)や大瀬さん(H29卒)、
毎朝早くから、バッティングに付き合ってくれた学生スタッフの中濱(政4 慶應義塾)、西村(法4 慶應義塾)、柴(環4 慶應義塾)。
特に西村は投げすぎが原因で肩が痛くなったときでも、嫌な顔せず次の日も投げ続けてくれました。
いろんな話をして、苦しみを分かち合った大島(総4 桐朋)、
粗相をして、今後どうしていいかわからない時に朝練に誘い続けてくれて、変わるきっかけをくれた有賀(商4 慶應義塾湘南藤沢)、
何故か僕のことを「校長」と呼び続ける羽柴(商3 浅野)とあだ名を作り続ける油科(環4 川和)と田口(商4 慶應義塾)、
日吉で良くお世話になっております、城下(文3 韮山)と大野(商2 時習館)、大塚(総2 一宮)、
永遠のライバル、谷諒太郎(商3 サレジオ学院)。
書き出せばキリがありませんが、本当に多くの人に助けられてここまで来ました。全く思い通りのプレーが出来ず、苦しい日々が続いた3年半でしたが、彼らの支えで乗り越えることができました。
残りの2カードで、どんな形であれチームの勝利に貢献することが、部への恩返しになると思います。
時間は限られていますが、自分の出来ることを最大限行っていきたいです。
次のブログは、夏合宿で共に小名浜球場を盛り上げた森田宗一郎(経4 慶應義塾 写真右)に託したいと思います。思えば3年前の僕たちが1年生の頃、Bチームの練習を仕切っていたのは当時4年生だった井上泰輔さん(H27卒)と新井惇起さん(H27卒)でした。僕と森田が偶然にも彼らと同じ立場になり、その苦しさを共に体感しながら、力を合わせて前に進んで来ました。
今季リーグでサードコーチャーとしてチームを盛り立てる彼の熱いブログを期待しましょう。
努力だけは嘘をつかない
4年 鈴木貴
本日のブログを担当させていただきます、鈴木貴(文4 清水東 写真左)です。
前回のブログ担当の伊藤雅彦(経4 関西大倉)は、入部当初は剛腕投手でした。ブルペンで彼が投げ込んでいる姿を見て、「すごい球を投げる投手が同期にいるんだな」と思いました。それから、途中で捕手に転向し、今ではチームNo.1とも言われるキャッチングを武器に投手陣から非常に信頼の厚い女房役です。
小学生時代に投手も捕手もクビになった経験を持つ僕にとって、両方できる彼はヒーローです。
本日は法政戦前の最後の練習でした。チームとして盛り上がった雰囲気で練習ができ、良い準備ができたのではないでしょうか。
さて、ラストブログということもあり、僕はここで2つの感謝の気持ちを綴りたいと思います。
1つ目は「両親」への感謝です。
6歳で野球を始めて、今現在24歳まで野球を続けることができたのは、紛れもなく両親の支えがあってのものでした。
父親は、小学校から高校まで、ほとんどの試合に応援に来てくれ、アドバイスや叱咤激励を、
母親は、食事面からのサポートをし続けてくれたり、部活が朝早い時には送り迎えをしてくれたりしました。
幼い頃からの会話もほとんど野球で、野球を通して家族と繋がっていた気がします。
あまり余裕のない家庭にも関わらず、「慶應にいきたい」と言う僕を全力でサポートしてくれました。
そんな常に支えてくれ、自由に夢を追わせてくれた両親に最後の野球で、良い報告をできるよう、残りの準硬生活も全力で頑張ります。
2つ目は、「部の方々」への感謝です。
打率がそんなに高くないにも関わらず、代打だけでもリーグ戦で20試合、20打席以上起用し期待し続けてくれた首脳陣の方々
今春のリーグ戦ではスタメンでも使っていただき、感謝に堪えません。
下級生の頃からよく御飯に連れて行ってくださった、渡辺裕貴さん(H27卒)、谷上さん(H28卒)、高木さん(H29卒)、
朝ノックやPPでシゴいてくれ、20sダイエットに貢献してくれた三浦さん(H28卒)、
打撃で悩んでいるときによく相談に乗ってくれた勁介さん(H29卒)や大瀬さん(H29卒)、
毎朝早くから、バッティングに付き合ってくれた学生スタッフの中濱(政4 慶應義塾)、西村(法4 慶應義塾)、柴(環4 慶應義塾)。
特に西村は投げすぎが原因で肩が痛くなったときでも、嫌な顔せず次の日も投げ続けてくれました。
いろんな話をして、苦しみを分かち合った大島(総4 桐朋)、
粗相をして、今後どうしていいかわからない時に朝練に誘い続けてくれて、変わるきっかけをくれた有賀(商4 慶應義塾湘南藤沢)、
何故か僕のことを「校長」と呼び続ける羽柴(商3 浅野)とあだ名を作り続ける油科(環4 川和)と田口(商4 慶應義塾)、
日吉で良くお世話になっております、城下(文3 韮山)と大野(商2 時習館)、大塚(総2 一宮)、
永遠のライバル、谷諒太郎(商3 サレジオ学院)。
書き出せばキリがありませんが、本当に多くの人に助けられてここまで来ました。全く思い通りのプレーが出来ず、苦しい日々が続いた3年半でしたが、彼らの支えで乗り越えることができました。
残りの2カードで、どんな形であれチームの勝利に貢献することが、部への恩返しになると思います。
時間は限られていますが、自分の出来ることを最大限行っていきたいです。
次のブログは、夏合宿で共に小名浜球場を盛り上げた森田宗一郎(経4 慶應義塾 写真右)に託したいと思います。思えば3年前の僕たちが1年生の頃、Bチームの練習を仕切っていたのは当時4年生だった井上泰輔さん(H27卒)と新井惇起さん(H27卒)でした。僕と森田が偶然にも彼らと同じ立場になり、その苦しさを共に体感しながら、力を合わせて前に進んで来ました。
今季リーグでサードコーチャーとしてチームを盛り立てる彼の熱いブログを期待しましょう。
努力だけは嘘をつかない
4年 鈴木貴