10月6日

10月6日

実は中学時代は一番サードの切り込み隊長、坂本大季からご紹介に預かりました監督補佐の三浦清嵩(写真右)です。

様々な最後を感じながら過ごす毎日の中、とうとうこの役目が私にも回ってきたので、部生活が後先短い年寄りながら力を振り絞って書かせて頂きたいと思います。

長文且つ駄文、更には自己満足要素多めと、同期の杉本君の所に高いフライが飛んでいった時並みに不安要素マシマシな文章ですが、最後までお読み頂けたら幸いです。


私は入部から2年の冬までは監督補佐ではなく投手として活動をしておりました。

部の代表として背番号のあるユニフォームを身につけ、公式戦で結果を出し多くの人に存在を認めてもらいたい、そして何より楽しく野球をしたい…という思いからこの準硬式野球部に入部を決めました。

結果、入部して早い段階から試合に使って下さり、当時の私は満足感で一杯でしたが、その後は私の未熟さ故に故障・投球障害に陥り、投手として活動をする事が厳しくなってしまいました。

やがて私は野手転向をする、退部をして新たな事を初める、など様々な進路を考えるようになりました。
今思い返すと、投げられなくなり居場所の無くなった自分を守る為に、あれこれ言い訳を絞り出して、何か楽にたのしくできる事はないかと探していた面が強かったと思います。

しかし様々な人と接する事を通して、今まで辛い事や嫌な事から目を背けて過ごしてきた私は、社会人・それ以前に人として足りないものが多過ぎるのではないかとも考えるようになりました。

学生生活も残り少なくなり、今までリーダーという言葉とは無縁であった私が、幹部の一人として責任のあるポジションで行動する事で感じるものあるのではないか。
プライドやメンツを守る為に逃げ続けるのではなく、最後くらい自分に正直になって何かのために取り組みたい。

そう考え監督補佐をやりたいという旨を織戸監督にお伝えしました。
完全に自分本位な考えで強引に始めさせてもらった監督補佐でしたが、最後まで続けさせてくれた同期には本当に感謝です。


こうしてかれこれ1年半ほど務めた監督補佐を通して得られたものが多くありました。
私自身まだまだ未熟ですが、この部活のこのポジションで過ごしてきたからこそ、考え方や自分との向き合い方が変われた部分もあると確信しております。

またチームが勝った時に味わえるあの感覚は、選手時代とはまた違い心を熱くしてくれる何かがありました。

中でも今季リーグで早稲田に2連勝した瞬間にベンチを飛び出し、我を忘れて同僚の永谷君と飛び跳ね抱き合った時の景色・歓声・興奮は一生忘れません。

以上長々と書かせて頂きましたが、今後の選択肢として、そして自分らしさを発揮する場として監督補佐を前向きに検討してくれる後輩が増える事を切に願っております。


最後に…かつて私が夢に描いたマウンドに、現役投手達を万全な状態で送り出す為、グラブやスパイクなどを一切持たずブルペンにただ立ち続ける、そんな最後を迎えるとは思いもしませんでした。

しかし上にも書かせて頂いた通り、正しかったかは分かりませんが、自分が出来る・やるべきだと考えた事に取り組んできた1年半だったので後悔はありません。

主役である選手達を信じ、今まで支えて下さった本当に多くの方々への感謝を胸に、残り僅かではありますが、引退を迎えるその時まで自分に出来る事をやりきりたいと思います。
皆様の引き続き熱いご声援の程、何卒宜しくお願い致します!


次はこれまた中学時代から同期の才茂正貴(写真左)です。
写真のせいでこのページが狭く感じるかもしれませんが、大丈夫です。
お使いのスマートフォン・パソコンは正常に作動しているはずです。


彼の明るさ・人間味に支えられてきた部員も多いかと思います。
そんな彼もとうとう最後のブログ…笑いを交えてもう一つの集大成を見せてくれるでしょう!
どうぞお楽しみに!

最後までお読み下さりありがとうございました。

随処作主


三浦清嵩
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